第23話:読み取った記憶
「どうしてですか? 故郷の料理を懐かしく思うのは悪くないでしょう?」
アリシアが尋ねると、マルティナが寂しげに微笑んだ。
「私、ほぼ家出同然に国を出て彼と結婚したんです」
「……っ」
何不自由なく暮らしているような美女の意外な言葉に、アリシアは驚きを隠せなかった。
「交易のためにカラドに訪れた夫と出会い恋に落ちました。でも、外国人との結婚ということで大反対されて。島国なせいか、カラドはとても閉鎖的なところがあるんです。一族からは縁を切られ、身一つでこの国に嫁ぎました」
「そ、そうなんですか……」
思ったより深刻な事情があるらしい。
アリシアは本で読んだカラド皇国についての記述を思い出した。
国民性は勤勉で温厚。だが、排他的な所があり、外国人とは距離を取る。
歴史が長く、独自の文化体系をもち、独特の宗教的儀式なども多い。
血筋を重んじ、身分格差がある。
(そういう背景があるなら、外国人との結婚は歓迎されない。もし、マルティナ様が高貴な血筋の出身なら尚更……)
「夫との結婚を後悔していません。でも、夫は今も私との結婚を反対した実家を許していません。カラドのことも……話すと機嫌が悪くなるんです」
「それで故郷の料理を食べたいと言えないんですね……」
「ええ、夫の反応が怖くて。でも、どうしても我慢できなくて」
「……」
異国での慣れない生活、夫しか頼る者がいない孤独――ストレスが積み重なって爆発してしまったのかもしれない。
食は人の原始的な本能を揺さぶる。
この可憐な女性が思いきった行動を取る背景には、アリシアが思うよりもっと切実な感情があるのかもしれない。
「思い切って話してみるのはどうですか? 故郷の食事が懐かしいって」
「無理です……。きっと悲しませてしまうわ」
マルティナが諦めたような笑みを見せた。
「ちゃんと話せば、きっと相手に伝わりますよ!」
そう言い切ったアリシアだったが、口元に苦い笑みが浮かぶのを止められなかった。
「あの、何か……」
「いえ、とても他人に偉そうに言える立場じゃないのに、って思ってしまって」
アリシアはふっと息を吐いた。
「私は元夫とぶつかり合うことを避けたんです。揉めたくなくて、黙って距離を取りました。そして結局、離婚されました」
マルティナが息を呑むのがわかった。
「私の場合、お互いに愛はなかったですし、離婚されてすっきりしました。後悔はありません。でもマルティナ様は違うのではないですか?」
マルティナの肩がびくりと上がる。
「もし夫と幸せな生活を送りたいなら、円満な家庭を築きたいなら、勇気を出して向き合うべきです。問題から目を背けても、いつか対峙することになります」
「でも……」
まだマルティナは躊躇っている。
彼女にとって今頼れるのは夫だけなのだ。当然と言えよう。
アリシアはマルティナの左手を見た。ダイヤモンドのついた指輪をしている。
「その薬指の指輪、結婚指輪ですか?」
「え、ええ」
なら、彼女の結婚生活をずっと見てきたはずだ。
「指輪に触ってもいいですか?」
「え、ええ」
アリシアは右手の人差し指で指輪の石に触れた。
ゆっくり石に意識を集中させる。
すると、少しずつ頭の中に映像が映し出された。
「どうだ、アリシア」
ヴィクターの前で石の記憶を読むのは二度目だ。
そのせいか、ヴィクターは落ち着いていた。
「ええ、見えました」
「えっ、何が……?」
不安げにこちらを見るマルティナに頷いてみせる。
「シドニア公爵は貴方を深く愛していますね」
「あなたは占い師なんですか……?」
「ええ、そのような者です」
アリシアは笑顔で誤魔化した。
石から読み取った記憶では、マルティナを大事に慈しむ夫の姿が見えた。
それと同時に――。
「おそらく、不安なのだと思います」
「え?」
「貴方が祖国に帰りたいと言って、自分から離れないかと心配なだけだと思いますよ」
マルティナを見つめるシドニア公爵は、いつも不安そうな表情をしていた。
目の前から彼女が消えてしまうのを恐れるかのように。
「彼のそばを離れるつもりはないと安心させて、その上で懐かしく思っていると伝えると良いのでは?」
「大丈夫でしょうか……」
「ええ。彼が不安そうなら、言葉を尽くして安心させてあげればいいんです。何度でも」
「……やってみます」
「では、もうお帰りになった方がいいですね。つばめ亭って料理の持ち帰りはできるのかしら」
ヴィクターに尋ねると大きく頷いた。
「頼めば包んでくれるだろう」
その言葉にマルティナの顔がぱっと明るくなった。
*
ヴィクターがてきぱきとバナナの蒸し焼きを注文し、紙に包んでもらった。
紙包みを手渡すと、マルティナが幸せそうな表情を浮かべた。
「さあ、それを持って馬車に乗ってください」
「ええ、ありがとうございます」
マルティナがアリシアの方を向いた。
「アリシア様も……ありがとうございました。勇気を出して、夫に話してみます」
「私の見立てではシドニア公爵は貴方に夢中です。きっと耳を傾けてくれるはずです。今度は二人で食べに来ては?」
「ええ。ご夫婦の大事な時間をお邪魔してしまってごめんなさい。失礼しますね」
「いえっ、私たちまだ夫婦じゃ――」
笑顔のマルティナが馬車に乗り込むのを確認し、ふたりは顔を見合わせた。
「どうなるかと思ったが、ようやく食事ができるな」
「お腹ぺこぺこだよ。お休みのはずが、結局仕事っぽくなっちゃったね」
「だな。でも良かったよ。最近、マルティナ殿が元気がないのが気になっていたから」
(この人、本当に人をよく見てるのね……)
そこが貴婦人たちに愛される由縁なのかもしれない。
気を張る貴族社会のなか、自分を気遣ってくれる存在はとても貴重だから。
(私だってそうだ……)
本来なら、たった一人で暮らしているはずだった。
こんなに気軽に街を歩くこともなかっただろう。
(私も……伝えなきゃいけないわね。ちゃんと感謝していると……)




