第22話:ふたりの休日
パーティーや茶会続きで忙しくしていたふたりに、ようやく休日が訪れた。
「アリシア、つばめ亭に行かないか?」
「えっ」
ヴィクターからの誘いに、アリシアはぱっと顔を輝かせた。
「行きたい!」
最後は意識を失ってしまったが、食べた料理の美味しさは今もまだ覚えている。
「アリシアには頑張ってもらっているから、息抜きも必要かと。もちろん俺にも」
ヴィクターがにこりと笑った。
「第五王子と侯爵令嬢じゃなくて、ただのヴィクターとアリシアになろう」
「ええ!」
願ってもない申し出に心が浮き立つ。
なるべく目立たないシンプルな服装に着替えた二人は、馬車に乗り込んだ。
気兼ねなく楽しめる外出は本当に久しぶりで、アリシアはうきうきするのを止められなかった。
そんなアリシアの様子に、ヴィクターの口元がほこぶ。
「知っていたか? つばめ亭は昼と夜で出す料理が違うらしい」
「えっ、じゃあ、前回とは違う料理が食べられるのね! 楽しみ!」
アリシアはわくわくしながらヴィクターを見ると、自分に負けじと期待に目を輝かせていた。
その無邪気な表情に思わず笑いがこぼれる。
(そうだ、この人もすごく美味しいものが好きなんだった)
お酒と料理が大好き、という共通点があったから、前回はとても楽しい時間を過ごせた。
「懐かしいな……あれから二週間くらいしかたっていないのに、もうすごく昔のことのような気がする」
「そうだな……」
ヴィクターの婚約者となったこの二週間は、あの味気ない二年の結婚生活とは比べられないほど濃密な時間だった。
(いろいろあったなあ……。マリカ様とお友達になったり、サファイアのペンダントをもらったり、罠にかけられて危うく濡れ衣を着せられそうになったり)
アリシアはのんびりした気分で、過去に思いを馳せた。
馬車に揺られること一時間弱で町についた。
「結構王都から遠いのね」
前回は酔い潰れていたので、道中のことを覚えていない。
「あの日は他に用事があったの?」
「いいや? つばめ亭に行きたくて行っただけだ」
「そのためだけに町に来たの?」
「何か変か?」
「いえ、ただちょっとびっくりして……」
「きみも美味しい料理が食べたくて宿屋の主人に訊いて足を運んだんだろう?」
ヴィクターがいたずらっぽく微笑む。
食い意地が張っているのはお互い様ということだ。
見覚えのある路地にさしかかったとき、つばの大きい帽子を目深にかぶった女性が目に付いた。
着ているドレスはシックな色味ではあったが、精緻な刺繍やレースが施されていかにも高級品だとわかる。
(いかにも貴族の女性がお忍びで来ているとわかる……)
明らかに周囲の人からその女性は浮いていた。
立ち姿からしても圧倒的に品がある。
(やだ、私もきっと前回はあんな感じだったのね。いいカモと思われて絡まれるわけだわ)
アリシアは自分を重ねて恥ずかしくなってしまった。
「あの人、大丈夫かしら」
「心配だな。声をかけてみるか」
「えっ、ちょっと……!」
ヴィクターは根っからの世話好きらしい。
迷うことなく帽子の女性に近づく。
「失礼、道に迷われたんですか?」
「えっ、いえ、その……」
いきなり声をかけられた帽子の女性がおろおろする。
だが、ヴィクターの品のある物腰と柔らかな態度に安心したらしい。
「つばめ亭というお店に行きたくて――」
「ああ、それなら――」
言いかけたヴィクターが絶句した。
「もしやシドニア公爵の奥様、マルティナ殿では……?」
「ヴィクター様!?」
女性がひらりと帽子をとった。
エーデルハイドでは珍しい褐色の肌に、くっきりとしたオリーブ色の目をした女性の顔が現れた。
(異国の人……? なんて美貌なの)
艶やかな藍色の髪に包まれた顔は、はっとするほどの美しさだった。
「どうなさったんですか、マルティナ殿」
「ヴイクター様!」
みるみるうちにマルティナの目に涙がたまる。
「私っ……」
泣きながらマルティナがヴィクターの胸に飛び込む。
ヴィクターがおろおろとマルティナとアリシアを交互に見やる。
アリシアは遠慮なく冷たい目を向けた。
「違うんだ、アリシア! 誤解だ!」
「……あなたは本当に人気者ね」
「誤解だ!」
ヴィクターの胸の中で泣きじゃくっていたマルティナが顔をあげた。
涙で潤んだオリーブ色の目は同性から見ても艶っぽい。
(すごい美女ね……)
自分と同い年くらいだろうが、女性としての色香が全然違う。
「失礼しました……。不安なときにヴィクター様の顔を見て思わず……」
マルティナがそっと涙をぬぐう。そんな姿も抱きしめたくなるほど可憐だ。
「慣れない外国生活に戸惑っているときに、ヴィクター様にずいぶん助けられて……」
「ずいぶん優しいのね、ヴィクター」
「なんだか棘があるな……。マルティナ殿、こちらは私の婚約者のアリシアです」
「ええっ、婚約者……! どうも、みっともないところを見せてしまって……」
マルティナが恐縮する。
「アリシア、紹介するよ。シドニア公爵夫人、マルティナ殿だ」
「え? なんで公爵夫人がこんなところにお一人でお供も付けずに……」
自分の言葉がすべてブーメランのように突き刺さる。
(うん、私が言うことじゃないわよね。でも……)
マルティナが暗い顔でうつむいた。
「私、カラド皇国出身なんです」
「そうなんですね。ずいぶん遠い所から……」
カラド皇国は大陸の東南に位置する島国だ。
エーデルハイド王国からは陸路と航路で七日はかかる遠い国で、カラド皇国の人にアリシアは初めて会った。
道理でどこかエキゾチックな雰囲気があるはずだ。
「つばめ亭では外国の料理が食べられると聞いて……」
「それでお一人で……? 失礼ですが、シドニア公爵はご存知なのですか?」
マルティナがうつむいたまま首を横に振る。
「誰にも言っていません。こっそり屋敷を抜け出しました……」
「マルティナ殿……それはまずい。すぐにお帰りになる方がいい」
「ちょっと待って、ヴィクター。ここまで来てるのだから、せめて料理を食べてからでいいのでは?」
つばめ亭はもう目前だ。わざわざ来たのに、このまま帰すのは気の毒だ。
だが、ヴィクターは首を横に振った。
「シドニア公爵はマルティナ殿を溺愛されていてな。行方不明とわかったら大騒動になるだろう」
「す、すいません……ご迷惑を……」
マルティナが真っ青になっている。
「本当につまらない理由なんですが、……バナナの蒸し焼きが食べたくて」
「バナナの蒸し焼き?」
「バナナを大きな葉で包んで蒸し焼きをしたものに、スパイスをかける料理です。この国ではバナナもカラドのスパイスもあまり手に入らないようで、一度も食べたことがありません」
「ああ。南国特有の食材ですものね」
アリシアは本で見たバナナを思い出した。
確か黄色で房になっている果物だ。アリシアも食べたことはない。
「美味しいんですか、それ」
思わず尋ねたアリシアに、マルティナが力強くうなづく。
「ええ、とても! ねっとりした食感で甘くて、それにスパイスをかけるとキリリと味が引き締まって……」
「アリシア……よだれが垂れそうだぞ」
思わず想像してしまったアリシアに、ヴィクターが呆れ顔だ。
「だって! あまりにも美味しそうに語られるんだから!」
アリシアはマルティナを見つめた。
「その料理を食べに行きたいと言うのはダメなんですか?」
別に故郷の料理を食べるだけなら、秘密にする必要はない。
だが、マルティナが悲しげにうつむいた。
「夫にどうしても言えなくて」




