第13話:マリカの事情
馬車で引き返してきたアリシアとヴィクターは、応接室に通された。
パーティーの客たちはとっくに帰宅の途についており、先程の喧噪が嘘のように屋敷は静まり返っている。
「僕はシオン大使と話をしてくるよ。夫である彼が、あのペンダントをどう認識しているか気になる」
「では、私はマリカ様に忠告とお知らせをしておくわ」
「頼む」
ヴィクターが部屋を出て行ってほどなく、応接室のドアが開いた。
「私にご用とか……?」
マリカが怯えた表情で応接室に入ってくる。
アリシアの緊張が伝わっているのだろう。
「ええ。お時間を少しいただけますか?」
アリシアは笑顔を浮かべたが、マリカは緊張したままだ。
(やっぱり様子がおかしい……)
(何か隠している? それとも……)
「さきほどは素晴らしいペンダントを見せていただいてありがとうございます。確認したいのですが、そのペンダントはイミテーションなんですよね?」
マリカがびくっとエメラルドのペンダントに手をやる。
「は、はい。何か問題が……?」
「いえ、私にはそれが本物のエメラルドに見えたので」
「えっ?」
マリカが驚いたように緑色の目を見開く。
「余計なお世話だとは思いますが、本国に置いてある本物と間違えて持ってこられたのかと……」
「え……?」
マリカが怪訝そうに首を傾げた。
「本物なんて……ないですけど」
「えっ」
「このイミテーションは夫からの贈り物で、この一点しかありません」
「は?」
てっきり本物と、身に付ける用のイミテーションの二つがあると思っていたアリシアは驚いた。
(大使ともあろうお方が、自分の妻にわざわざ本物ではなくイミテーションを贈るの?)
戸惑うアリシアに、マリカが淋しげに微笑んだ。
「……おかしく思われますよね。それなら、ささやかな宝石でも本物を贈ればいいのに、って」
「え、ええ。敢えてイミテーションを贈る理由がわからなくて」
夫婦間の事情に踏み込みすぎているのはわかっていたが、アリシアは勇気を出して尋ねた。
「私のせいなんです……」
マリカが悲しげに目を伏せる。
「最初は本物を買ってくれる、と言ったんです」
「ええっ!?」
「でも、すごく高価でしょう? でも、彼は『きみの目と同じ色だから、きっと似合うよ』と、買うの一点張りで」
「ああ……確かに、このレベルの宝石には魔力がありますよね」
知ってしまったら脳裏から離れない。まるで一目惚れのような吸引力がある宝石。
相性もあるのだろうが、シオンはきっとこのエメラルドの虜になったのだろう。
「夫は公爵家の出身で……とても裕福な家柄なのですが、さすがに衝動買いする買い物の域を超えているかと……」
「そ、そうですね……」
「固辞したら、じゃあイミテーションならどうだ、と聞かれて、つい頷いてしまったんです」
「な、なるほど……!」
これほど精緻なアクセサリーであれば、イミテーションだとしても高級品だ。
落としどころとしては悪くない。
ただ問題はそのペンダントが、まごうことなき本物だということだ。
「でも、本物なんです。そのエメラルド……」
「どういうことかしら……」
おろおろとする様子からして、マリカは本当に何も知らないようだ。
「まさか商人がイミテーションと間違えて本物を渡していたのかしら?」
「さすがにそんなミスをしないとは思いますが……」
「本物のエメラルドだったなんて……。私、知らずに気軽に扱ってしまっていて……」
今更気付いたのか、マリカの顔が引きつる。
「金庫があればそこに仕舞うようにして、あまり人の手に触れさせないようにした方がいいかと思います」
「そ、そうよね! ああ、なんてこと!」
動揺するマリカの手を、アリシアはそっと握った。
「大丈夫ですよ。ペンダントはこうして無事ですし、心配する必要はありません」
「え、ええ」
「とりえあず、座りませんか」
アリシアが促すと、マリカは大人しくソファに腰掛けた。
「……私、もともと平民の出なんです」
ぽつりとマリカがつぶやく。
「町に遊びに来ていたシオンに見初められ、恋仲になりました。それで、公爵家が懇意にしている伯爵家の養女になって、シオンと結婚したんです」
「そうなんですね……」
アリシアはマリカの打ち明け話に少し驚きつつも、腑に落ちることもあった。
マリカのどこなくぎこちない笑顔や振る舞いの理由がわかった気がしたのだ。
アリシアの表情で目敏く察したのか、マリカが寂しげに微笑んだ。
「ふふ……やっぱり私、貴族っぽくないですよね」
「い、いえ、そんなことは……!」
「いいんです。自分でも付け焼き刃だってわかっています。でも、シオンに求婚されて嬉しくて、一緒になりたくて頑張ってみたんですけど……」
マリカがふっと疲れたような笑みを浮かべた。
「本物の貴族の令嬢たちに囲まれると、自分だけ偽物な気がして……」
「……」
「だから、彼がエメラルドのペンダントを贈りたいって言ったときも素直に受け入れられなかったんです」
マリカがそっとエメラルドのペンダントに手を触れる。
「自分にふさわしくない、って。だから、イミテーションをもらったときはどこかホッとしました。気楽につけられるし、気後れすることもなくて……」
「……なるほど」
アリシアはマリカと違い、生まれながらの令嬢だ。
だが、今のアリシアには少しマリカの気持ちがわかった。
(気後れする気持ちなら、私にもある。この場に自分はふさわしくないのでは、とつい思ってしまう気持ちも……)
(王子の婚約者……あまりに重い肩書きだわ。しかも、私たちは愛し合っているわけでもない)
背筋を伸ばし、堂々とヴィクターの隣に並ぶのは気が引けた。
マリカが深いため息をついた。
「私、もう無理かもしれません」
「えっ」
「シオンが大使に選ばれて……この国に来ました。でも、いつも私には大使夫人なんて大役、荷が重いと常に感じていて……」
マリカはすっかり自信を失ってしまっているようだった。
「無理に笑顔を浮かべているのに気づかれたのかしら。最近、夫の様子もおかしくて、あまり目を合わせてくれなくなりました……」
(ああ、王子が心配していたとおり、やはりこのご夫婦はうまくいっていなかったんだ……)
完全に冷え切ってしまった夫婦なら、よく知っている。
自分がそうだったから。
でも、マリカと自分が大きく違うのは、彼女は夫をまだ愛しているということだ。
それなら、まだやれることはある。
アリシアはそっとマリカの肩に手を置いた。
「一緒にシオン様のところに行きましょう!」
「え?」
「エメラルドのペンダントについて何か知っているかもしれませんし」
「でも……」
マリカの戸惑いが手に取るようにわかる。
彼と話し合うことで、決定的な何かが出るのが怖いのだ。
自分も問題を先延ばしにしてきた。
その結果が、あの乾ききった離婚だ。
「わだかまりがあるなら、遅かれ早かれ問題は出てきます。今、はっきりさせた方がいいです」
アリシアの目をじっと見つめたマリカがゆっくり頷いた。
「そのとおりですね」
二人は応接室を出て、大使の執務室へと向かった。




