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銀色回路  作者: 青磁奏
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第1話 アルギュロス家 白金の宮




「――よろしいですか、アイネ様。銀とは、この王国の血です。純度こそが、命の重さなのです」


 窓から差し込む午後の陽光が、机に座る少女の前髪の白い筋を透かしている。 その前の大きな椅子に座り話すかなり年を召した先生が、もう一時間にわたり「銀の流動性と市場価値」について繰り返していた。


(――ああ、頭に入らないなぁ)


 アイネ・アルギュロスは気付かれないように欠伸をかみ殺した。

 ルンドル先生のことは大好きだ。物知りだし、小さな頃からアイネや他の兄姉の家庭教師をしていて、気心も知れている。

 ただ、今日はもう集中出来ない。

 アイネは顔を上げて先生の方を見る振りをしながら、午後の窓の外をちらりと見た。

 窓の外、白金の宮の名の通り、眩いばかりの白い石造りのバルコニーが陽光を跳ね返している。 その先には、整然と区画された中庭と並木があり、遥か向こうにここ首都エ・クルの街並みが覗いていた。

 季節は春から夏に移る頃だ。

 中庭も首都の街路樹も、若い枝が緑石のような若葉を風に揺らし、その風もきっと青いすっきりとした香りに満ちているだろう。


(お外に行きたい!)


 唇を噛むアイネの様子を見て、ルンドル先生が小さくため息を吐いた。


「アイネ・アルギュロス様。どうも集中出来ないようですな」

「いえ、そんな事はありません。ルンドル先生」


 嘘言うなと言わんばかりにルンドル先生は眼鏡を皺だらけの指で押し上げた。


「言い訳をせずとも良い。もう今日の座学はこれまでにしましょう。その代わり、今日は自室に戻られて、銀の品質判断に関する貴女様のお考えをまとめて頂きますように」


 げ、と言いたげなアイネを横目に、ルンドルは教科書用の書籍を脇に抱え、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 ルンドル先生は、まるでパラム大陸の歴史そのものを体現したような人物だ。 使い込まれた羊皮紙のような深い皺が刻まれた顔に、知性を湛えた明るい灰色の瞳。いつも丁寧に整えられた銀髪は、アルギュロスの街並みよりも穏やかな輝きを放っている。


(まるで『銀』そのものだわ)


 手を貸すために机を回り、皺だらけの手をとる。ごつごつしているが、指は長く形が良く、思慮深さを表しているようだ。

 ルンドルが、ふと先程までアイネが見ていた窓に目をやった。


「今日は良い天気じゃ。聖銀の鋳造所(セイント・ミント)が良いかもしれませんなぁ」


 驚いて見上げるアイネに小さくウィンクすると、老教師は杖を突きながらゆっくりと書斎を出て行った。





 

 老教師を見送った後、戻った書斎の重厚な扉が音もなく閉まるのと同時に、アイネはぴょんと跳ね飛んだ。


「もう、これだからルンドル先生の事大好きなのよね!」


 あのご老人は、アイネがもう我慢出来ないのも、何がしたいのかもよくご存じなのだ。兄や姉達はルンドルが甘いと思っているようだが。

 周囲に使用人たちがいないのを確認すると、アイネは一気に廊下を走り抜けた。

 そう、高級な白山羊の革の踵の低いドレスシューズを履いているのは、こんな時に足音を立てないためなのだ。淑女の嗜みだからだけじゃない。


(なんて言ったら、お父様が卒倒しちゃうわね)


 所々で急ブレーキをかけてすれ違う人々に笑顔を振りまきつつ、急いで自室に滑り込んだ。

 アイネの部屋は、高官の娘の部屋らしく、寝室の側に小さな応接室、化粧室、衣裳部屋、浴室、トイレ、書斎が備え付けられている。ちょうど化粧室から出て来た侍女が、目を丸くした。


「アイネお嬢様! もう授業は終わりですか? かなり早いんですけど」

「ええ! この後は実習よ! 先生が、鋳造所へ行っていいって仰ってたの」


 侍女は丸くした目を今度はうっすら細めてアイネを見やった。

 深いブラウンの髪に淡いブラウンの瞳。アイネ付の侍女のリマは勘が鋭い。あっという間にばれているようである。


「ルンドル様は、お嬢様に甘すぎです」

「何よリマ、貴女もそんな事言うの? 本当よ、そこで実習してきなさいって」

「ええ、ええ、そうは言われてもお嬢様はカドシュ王国の四家(フォー・クランズ)の一角、アルギュロス家の一員なのですよ? さぼるのをお許しになるなんて、甘い以上にちゃんとお嬢様の事を考えてらっしゃるのかどうか」


 侍女のリマの小言を聞き流しながら、ブロンドの髪を簡単に編み込み、しっかりとリボンで結んで留める。

 衣装部屋に駆け込み、片隅にある箪笥からいつもの外出用の服と編み上げ靴を引っ張り出した。これは主に市民が日常的に作業着として来ているもので、女性用もある。布制の上着とベストはどちらも丈夫で、膝丈のズボンは膝の部分などを革で補強し、こちらも丈夫さを第一とした造りだ。編み上げ靴は、作業中に足首など大事な筋肉や腱を守れるよう、大角牛の革を何回も鞣して作られていた。


 準備が整うと、箪笥の一番下の引き出しから銀の測定機を取り出した。アルギュロス家の一員にそれぞれ渡されているもので、家紋が金で象嵌されている。それを革の袋に入れなおしてから、小さなリュックに収める。

 あとは腰に小さな短剣を差して、出発準備は完了だ。


「さぼるなんて言わないで。さあリマ、ちゃんと夕食までには戻るわ」


 リマの目の前には、先ほどまでいた可憐な令嬢の代わりに、下町にいそうな働き手の少女の姿があった。それでも、磨き抜かれた所作や凛とした佇まいは、安物の作業着では隠しようもない。

 あと、アルギュロス家に特有の髪の毛の色。

 リマは小さく息をついた。こういった事は、いつまでも続けることは出来ないのだけれど――。


「さあ、いつものように裏戸に連れて行って」


 アイネは弾けんばかりの笑顔でリマを振り返った。

 


 

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