花を咲かせる者 前編
花の女神ヨナハルは、この大陸全土に花の種を撒き、春を寿ぐ繁栄の女神であった。
花が咲き誇るように、ヨナハルが加護を与えた土地には、人々が暮らし、営みが栄えた。
あるとき、魔法が起こった。
ヨナハルが咲かせた花から取れる魔力が、魔法のもととなったのである。
人々はその花から種を採り、それをまた育て、長く魔法を使うようになった。
それは人々の生活を豊かにし、大陸はまた、栄えた。
やがて、争いが起こった。
戦のために、新たな魔法がいくつも開発された。
大陸は火に包まれ、逃げ惑う人々の泣き叫ぶ声が響く。
そんな時代が100年続いた。
ある日、争いをやめない人間たちに絶望し、ヨナハルは、この世界で彼女が咲かせたありとあらゆる色の花を消した。
ヨナハルの花は、魔法を使うためになくてはならぬものであったから。
人々は困り果て、魔法を使った戦を諦めた。
最後の最後、争いで疲弊し弱りはてた彼らを哀れに思い、ヨナハルはたった一種だけ、空色の花の種を地上に残した。
空色の花は、唯一、回復魔法の行使を可能にする花であった。
「この花が開くとき、咲かせたものは心からの願いを叶えるだろう」
そう言ってヨナハルは天に帰ってしまう。
その際に彼女が残した種こそが、『贈り物』。
―――遠き、神話の時代の話である。
【花屋の息子は女神に向かって愛を囁く】
リック゠ハリソンは花屋の子である。
幼いころから両親にくっついてあっちの仕入れこっちの手入れとやっていたら、いつの間にか人一倍、花に詳しくなっていた。
売っている花のいくつかは、ハリソン家の庭で育てている。
リックが日々真心を込めて手入れし、慈しんだ花々は、まるで女神ヨナハルの贈り物のようだと人々は口々にほめたたえた。
この国にはるか昔から伝わる神話がある。
『贈り物』というのが、その花の名前だった。
毎年、セレリス・フォレストという土地に群生するその種の芽は、花を咲かせる前の段階まで育ち、花開くことなく、種だけを残して枯れる。
花咲く条件は一体何だ。
世界中の植物学者が挑戦し、敗れ、今となっては誰もその種を研究しようとはしなくなった。
ハリソン家が育てる花には、それに近いものがいくつかある。
といっても、宵の空のような深い紫がかった青。
空、と聞いて人々が想像する、あのさっぱりとした、美しく澄んだ薄青には程遠い。
それでも、空色には違いない、と人々は花屋ハリソンの育てた花を買った。
買えば、自分の願いも叶うかもしれないと、あるいは親や子、大切な者たちへの祝福として。
またあるいは、お守りのような、心の拠り所のような、その程度のものであるかもしれなかったが。
心からの願い、とリックは口に出してみる。
自分のそれがどんなものなのか、リックには皆目見当もつかない。
女神の花を咲かせられたとしても、きっと何も思い浮かばないだろう。
リックは平凡な人間だった。
普通に生きて、まじめに働き、ありふれた病でこの世を去るのだろう。
できれば、死ぬときは一人じゃなければいいなと思う。
リックにとって、『心からの願い』という言葉はひどく眩しいものだった。
少しだけ、うらやましいと思う。
それだけをまっすぐに見て、努力だけでは成しえないほどの何かを叶えたいと、心から願う人たちのことが。
これを成したい、成して見せると熱い志を持って何かに取り組める人間が。
リックは欲望というものがあまりないかわりに、ひどく情熱に欠けた男だった。
その虚ろさが、少し、おそろしかった。
***
「ラセランボタンの花が咲いたんだ。綺麗だったから、フィノラにも」
「わ。綺麗……。きっと、我が家のリビングにぴったりだよ」
そう言って、ふわりとフィノラが笑った。
リックの心臓は、最近妙な挙動をする。例えば、彼女がこんなふうに笑ったとき。
それがどんな感情から来るものか、なんとなく、本当になんとなくわかっていた。
その花びらみたいな色のくちびるに、触れたいという感情も。
フィノラ゠ロイドは一年ほど前にリックの斜向かいに越してきた、中央の役人の娘である。
家が近ければ何かしら用事を頼まれるのが田舎町であり、それに加えてリックの家は花屋だ。
風邪を引けば書き取りを届けるし、遊ぶ場所も大抵被った。
日々を彩る花を、ロイド家は花屋ハリソンで買ってくれていた。
フィノラの両親も身分というものにあまり頓着がなかった。
娘にも押し付けないおおらかな性格であるがゆえに、リックとフィノラは共に行動することが多くなった。
すでに、リックとフィノラは、町の大人たちからセットで扱われることが増えている。
「今日の花は、リックが選んだの?」
「うん」
たっぷりとミルクを含ませたような、柔らかなカフェオレ色の髪。
日に焼けぬ白い肌は陶器のようになめらか。
宝石のようなアイスグリーンの瞳に、それを縁取るまつ毛はさらりと長く、伏し目がちに見える。
形の良いパーツがあるべき位置にぴたりと収まっている。
綺麗だな、と彼女を見るたびに思う。
本人がどう思っているかは知らないが、フィノラは美人だ。学校でも、リックと違って友達も多い。
「どうしてリックはいつも、我が家にその時一番しっくりくるお花を選べるのかな。私、不思議でならない。まるで毎日私の部屋で、一緒に過ごしているみたい」
「なんだって? 君と僕が同棲できそうなほど仲良さそうだって?」
「私、一言も同棲だなんて言ってないわ」
「そうか? 間違いないか? もう一度よく思い出すんだ」
「言ってないわ」
「そうか」
(毎日私の部屋で一緒に過ごしてるみたい、なんて。僕じゃなければ本気にしてるぞ)
茶化しながら、心の中でリックは呟く。
フィノラはときどき、勘違いさせるような言い方をする。
完全に他意はないのだが、だからこそなかなかに厄介だ。
「……してくれるの? 同棲」
「喜んで。いやそうじゃない。いや、そうだけどもそうじゃなくて」
ほら。
いたずらっぽく笑うフィノラは、きっとリックのことなど、からかいがいのあるやつだ、くらいにしか思ってない。
フィノラは、まるで手の中にあるラセランボタンみたいに笑うと、じっとリックを見つめる。
透き通ってきらめくアイスグリーンの瞳に、リックの心は飛び跳ねるように鳴る。
「ねえリック、今日はきっと雨だよ。土も空気も、いつもより多く水を含んでる。小昼鳥が飛ぶ位置も低いし」
フィノラの天気予報は外れたことがない。
「そうか。では今のうちに庭に雨よけを作っておこう。先日アセライサの花が咲いたばかりなんだ。ハクヤソウの種も植えたばかりだった。ありがとう。さすがだ」
「なにを言うの。リックもわかってたくせに」
「…………」
リックが驚いてフィノラを見ると、彼女はリックの手元を指差す。
「あなたが今左手に持っているのは何かしら」
「……なんてこった雨よけだ」
「そういうことよ」
「そういうことか」
さすがの観察眼である。
一を聞いて十を知り、初級学校の主席の座をだれにも譲らない才媛。頭の回転も早い。
リックが、がんばってがんばってがんばっても、彼女に勝てるのは植物学くらいだ。
数学の難問を渡せば難なく解いて、古代語の混じった悪筆もさらりと翻訳する。
きっと町一番、いや、この領地一くらいには聡明なのに違いない。
どうしたら、もっと笑ってくれるだろう。
フィノラに会うとき、リックはいつも、そのことばかり考えている。
***
「今日の花は、雪みたいにまっしろなんだね」
そう言って、フィノラは花の香りを聞くように目を閉じる。
奇しくも外は雪で、あたりはしんとした空気に満ちている。
「『祝福花』という名前だ」
「綺麗な名前」
祝福花は、冥府の神ハーデルが、妻である春と雪の神ペルセフォリアが神となった日に、彼女に贈った花だと言われている。
冥府に唯一咲くその花は、死者を次の生へと導く祝福の花。
同時に地上では『生誕の祝い』を意味する花だ。
「春のはじめの、まだ雪の残る日に、国中が花まつりをするだろ? その時に人々が歌いながら放り投げる花びらはこの花のものだ。あれは12歳になった子供たちを祝う祭りだから」
「詳しいのね」
「花のことだから」
「私の誕生日を、祝うために?」
「それ以外に何がある」
フィノラはそれを聞いてまたうれしそうに笑った。
リックは家の中を見る。
フィノラしかいない、がらんどうの部屋。
彼女の両親は今日も仕事だ。彼らが働く財政課は、役人の中でも特に忙しい部類であると聞く。
フィノラは本を読んでいたのだろう。
暖炉の傍の丸い机には分厚い本が積まれ、一番上のものにしおりが挟まっている。
「今日は寒いし、雪だし、もう少しこっちに居てもいいか」
尋ねると、フィノラはぱあっと目を輝かせ、三日月のように細める。
リックはフィノラの笑った顔が好きだ。
アイスグリーンの瞳が、とろりと優しくにじむから。
「お母さんがテーブルの上にケーキを置いて行ってくれたの。柔らかいふかふかのシフォンケーキに、やさしい甘さのクリームを塗って、甘酸っぱい冬いちごがのってるんだよ」
冷えたリックの手を引いて、フィノラはリックを居間に誘う。
彼女の手は、おひさまの光のように温かい。
「……とってもおいしそうだけど、ひとりで食べてもきっと、味がしない」
「ぜひご相伴にあずかろう」
「……お父さんのプレゼントは、王都ではやりのパズルというものだったのだけど、ひとりじゃちっとも進まないの」
「一緒にやろう。僕でもいないよりはましだろ?」
暖炉に目をやると、あたたかそうな、とろけるように炊かれた火の横に、つぎ足すための薪がたっぷりと置かれていた。
きっとフィノラが凍えぬように、彼女の両親が早起きして割ったのだろうとリックは思う。
フィノラもそれが分かっているから、きっと笑顔で、いってらっしゃいと言ったのだろうと思う。
しんしんと、雪が降る。
ぱち、ぱち、と薪がはぜる音がする
青と白と、火の赤い色に照らされた雪明りの中で、フィノラの横顔を、綺麗だと思った。
くるくると変わる彼女の表情を一つも見落とさずにこの目に焼き付けられたらいいのに。
すべてを残せておけたらいいのに。
だけどそれらすべてを他の誰にも見せたくない。
これは悪い感情だとわかっている。
けれど、彼女が友達に笑顔を見せるとき、リックの心はインクの瓶を溢したみたいに黒いものでいっぱいになる。
パズルをひとつ、またひとつとはめ込みながらフィノラは言った。
「私リックと居るの、好き」
「へえそうか」
「照れなくてもいいのに」
「照れてなんかない」
ああ、もう。
何なんだよ。
「不機嫌そう」
「拗ねてるわけでもない」
「じゃあ照れてるほうだったのね」
「違うと言ってるだろ」
フィノラは嬉しそうにリックに笑い、ぶっきらぼうにリックが返す。
同じことを、思っていたなんて言えない。
「あのね、ペーターがね、お祝いにおいしそうなお菓子を持ってきてくれたのよ」
「え……」
学校一の人気者のペーター。
ペーターはフィノラのことを好いている。
学校での態度を見れば、そんなことは容易にわかった。
「一緒に食べない?」
「……いや、僕は……」
だからこそ今日、ペーターはフィノラの家に来たのだ。
一番乗りは、リックじゃなかった。
そのことに、なぜか無性に腹が立った。
リックの苛立ちに気づいているのかいないのか、フィノラはリックの顔を覗き込んで言う。
「本当に、うれしかったんだよ。来てくれてありがとう、リック」
「誰が来たって、君はそう思うんだろ」
「え?」
その言葉は、無意識にリックの口をついて出た。
リックの言葉に、フィノラが目を見開いて固まる。
フィノラの手首を掴んだ。
その指先にキスして、それから彼女の手のひらにも唇を落とす。
「誰にでも、同じ顔で笑うくせに」
この手は―――彼女の手は、ペーターのことも同様に、この部屋に招いたのだろうか。
「―――リック……?」
呼ばれて目線を戻す。
真っ赤な顔をしたフィノラが、リックを見ていた。
さらりと、彼女の耳にかかっていた髪が滑り落ちる。
慌てて彼女の手を離し、リックは立ち上がって言った。
「ごめん、僕は―――もう帰る」
外の冷たい空気すら跳ねのけて、リックの頬は熱かった。
雪はいまだ、しんしんと降っている。
***
「フィノラ゠ロイドを王都へ召し抱える。疾とく参れ。」
その日町に来たのは、王宮からの使者だった。
今代の王太子が次期王妃を娶るのだ。
フィノラはその婚約者候補に選ばれたのだと使者は言った。
その使者はどうやら王都に住む貴族のようで、リックたちが住む町の領主の、そのまた上司といったところか。
彼の娘も候補に選ばれたらしく、領地からもう一人……身もふたもないことを言えば使者の娘の引き立て役を、選抜することになったのだそうだ。
「あれがその娘だってさ」
リックの数少ない友の一人、ユージーンが隣で女の子を指し示した。
気の強そうな瞳と勝ち気そうに笑む口元はたしかに魅力的だったが、フィノラのほうが可愛い、とリックは思った。
「お前が首を縦に振るか、横に振るか、それだけで町の者の生き死にが決まる。平民に、否、という選択肢などない。出発は二日後だ。支度をしておけ」
使者はフィノラにそう言いおいて町を去った。
王太子本人でもあるまいに、ずいぶんと偉そうにものをいうやつだと町中の人間が貴族の品格を疑った瞬間である。
でっぷりと肉をためたお腹は金でも詰めたのかと思うほど重そうだ。
「婚約者候補だって。王都まで十日もかかる町から」
この年にしては大人びた、馬鹿馬鹿しい、と言いたげな目でフィノラは言った。
あの、誕生日の日の出来事は、お互いになかったことのようになっていた。
「行くのか」
「断れないもの」
「そうか」
明日で初等学校は卒業だ。それは同時にフィノラとの別れを意味した。
彼女は、来月から王都のルイスレアス学院に通う。
「そんなに寂しそうな顔しないでリック」
「別に寂しくなんかない」
そうね、とフィノラは言った。
まったく自分勝手だが、リックはそれに傷つく。
「……ここから、通えばいいのに」
強がりきれずに、つい出た言葉だった。
だというのに、フィノラは一度目を瞬かせると、少し安心したように笑う。
「片道十日かかるのよ? それに寮があるそうだから」
「気象学者になる夢はどうする」
「仕方がないことだもの。私は後悔してないわ」
「そうか」
「……」
「……」
「ねえリック」
うるさいくらいの静寂の中、フィノラの震える声がリックを呼んだ。
「なんだ」
初めて聞く、フィノラの弱々しい声に、リックの鼓動はどんどん速くなっていく。
リックの服の裾を、ぎゅっと掴んでフィノラは続けた。
「泣いても、いいかしら」
その声は、ほとんどかすれて、吐息のようだった。
こちらを見る丸いアイスグリーンの瞳に、いっぱいの涙を溜めて。
「いいよ」
抱きしめようか、迷って。
結局、自分の帽子を彼女に深く被せる。
「…………」
「いいよ」
フィノラは泣いた。微笑みながら泣いた。
リックの袖をキュッとひく。
ぽろぽろと、彼女のガラス玉のような瞳から涙があふれた。
それは地面にぶつかって、まるで星が降るみたいに跳ね返る。
「……いまだけ。いまだけでいいから、ここにいて。……どこにも、行かないで」
「いるよ」
彼女は泣き続ける。
「―――ここに、いる」
嗚咽はなく、どこまでも静かに、まるで春に降る雨のように。
その静寂の中に、ぽつん、ぽつんと言葉が響いた。
「私、ここが好きよ」
「うん」
それでも彼女は行ってしまうのだ。
フィノラはそういう子だ。
強がりで優しい、女の子だ。
「本当は、どこにも行きたくない」
「うん」
きっと、誰にも涙を見せないで出発するつもりで、それでも今日ここに来て、リックのところに来て泣いた。
そのことが少しうれしいだなんて、自分は最悪な男かもしれない。
あのね、とフィノラが言った。
「……私、あなたのお嫁さんになりたかった」
息が、止まるかと思った。
自分で瞠目したのが分かった。
「この前の、こと。怒ってる……?」
「怒ってない」
思わず出てしまった勢いのあるリックの口調に、フィノラがびくりと体を震わせる。
逃げられたくなくて、慌てて彼女の手首を掴む。
「僕は……僕に、怒ってた」
心臓は……大丈夫、動いてる。
リックは息を吸った。
「君がペーターの話をすることに腹が立って、気持ちに任せて勝手なことをした」
俯いて泣く彼女の、カフェオレ色の髪を撫でる。
「……ごめん。あのとき、勝手に触れたのも、それを今まで謝らなかったのも……ごめん」
顔をあげたフィノラの頬に両手を添え、いまだあふれてやまない彼女の涙を親指でぬぐう。
「こんな僕でも、まだ君は、僕のお嫁さんになりたいって言ってくれる……?」
フィノラが、アイスグリーンの目を見開いた。
フィノラの瞳に映るリックは、びっくりするほど情けない顔をしている。
放心したままで、こくりとフィノラが頷いた。
そのことが、天にも昇れそうなほど、うれしい。
「ぼくも、お嫁さんは、君がいい」
そう、つよくつよく思う。
ずっと、ずっとずっと前からそう思っていたということに、リックは今、気づく。
「ほんとう?」
「僕は嘘をつかない」
「ふふ、うれしい」
「それは僕のセリフだ」
涙にぬれた瞳を、フィノラは三日月のように細める。
リックを映したアイスグリーンの宝石が、とろりとにじむ。
リックが一番好きな、フィノラの表情。
リックはフィノラに帽子を深くかぶせなおした。
そして上を向く。そうしないと、気づかれてしまうから。
「残念。私、リックの笑った顔が好きなのだけど、最後に見るのは泣き顔になるかな」
「なにを言う。よく見てくれ僕は泣いてない」
「なら……この水滴は、私の見間違え?」
「ちょっとモノノケバラの棘が目に入っただけだ」
「それは重症なんじゃ?」
「先に泣いたのは君だろ」
リックはフィノラを抱きしめた。ぎゅーっと抱きしめた。
少し低い肩が温かくてリックは泣きそうだった。
あくまで泣きそうだっただけだ。断じて泣いてない。
「ふふ、苦しいよ、リック」
「待ってて。必ず、追いつくから」
「おばあさんになってしまいそう」
「君が優秀すぎるだけだ」
「本当に、待っててもいい?」
「君が嫌でないなら」
「鵜呑みにするよ」
「望むところだ」
リックが腕を外すと、フィノラはその形のいい頭をリックの胸にこつんと当てた。
まずい。また抱きしめてしまいそうだ。
いや待てよ。抱きしめても、問題ないのでは。
「いつまでも待ってるけど、できるだけ早く来てくれないとだめよ?」
「まかせろ。僕は鬼ごっこの鬼の役が、町で一番得意な男だ」
リックはなんとか口角を持ち上げる。フィノラはそんなリックを見て、ふわりと微笑んだ。
それを別れの挨拶に、フィノラは王都に発った。
フィノラを見送る人たちが、せまい道にぎゅうぎゅうになって別れを惜しんでいた。
初級学校の同級生たちが、それぞれにファルリアの花びらを放り投げる。
薄紅色の花びらは、馬車が見えなくなってもずっと、ずっと降り続けていた。