95.牙をむく最強隠者
エロイに水をぶっかけられた群衆は頭が冷えるどころか、明らかに混乱している。
以前にも玉座の間でエロイは同じことをしたが、あれは俺とカーケンの争いを止めるのが目的だった。
しかし今回はエロイの意図がわからない。親父が死んだ後は再び隠遁生活に戻ったと聞いていたが、何をしにやってきたのか。
「エロイ殿、どういうつもりですか!」
俺は濡れた髪をかき上げて空を見上げ、エロイを問いただした。「なぜ俺たちが水をかけられなければならないのか、理由を聞かせてください!」
エロイは険しくも美しい顔で俺を見下ろし、答える。
「あなたの演説は、内戦で傷ついた人々に融和をうながすことを建前としていますが、その本当の目的は国民の支持を得て自分が王になることでしょう」
ああ、まったくその通りだ。
「仮にそうだとしても、このようなことをされる理由にはなりません。あなたはもう、王家とは関わりのない立場です」
「王家? 私はヴァランサード家が王家とは認めていません。アルゴール王国の王家はローディガン家です。卑小なシジミの一族は王位簒奪者に過ぎません」
正気か?
エロイの言葉は、到底聞き流せないものだ。
確かにローディガン家は300年前まではこの国の王家であり、我がヴァランサード家はその配下の諸侯に過ぎなかった。
しかし『暴王』と呼ばれるローディガン・マーガーが、他国に理由のない戦争を仕掛けて負け続け、国を危機に陥れた。
これを憂慮した諸侯たちはマーガー王に謁見し、無益な戦争をやめるように要求した。至極真っ当な要求だったが、怒った王はその場で諸侯たちを殺してしまった。
こうしてローディガン王家対諸侯連合の戦いが始まり、激しい戦いの末、諸侯連合が勝利した。マーガーは処刑され、ローディガン王家の一族は根絶やしにされた。
その後は勝った諸侯たちの間で王位をめぐって争うことになり、最終的にヴァランサード家が勝利した。
それ以後はずっとヴァランサード家がアルゴール王国を統治している。
「ひょっとしてエロイ殿は、ローディガン家の再興を企んでいるのですか?」
そう問いかけたのはレイスだ。
「企むという言い方は気に入りませんが、その通りです」
「なぜ、そんなことを?」
「私はローディガン王家の家臣であり、マーガー王に仕えていたのです」
エロイは驚くべきことを言ったが、レイスは納得したようにうなずいている。
「なるほど、ローディガン家が滅んだのは300年前、あなたが隠遁生活に入ったのも300年前。主家が滅んだ後で隠者になったというわけですか」
「念のため言っておきますが、私はローディガン王家の再興を願いながら隠遁生活を送っていたわけではありません。世を捨てた私には、王国がどうなろうとどうでもよかったのです」
「ですがあなたは、父上に招かれて王都にやってきた」
「ええ、エルドールがあまりにもしつこく頼むので、仕方なくやってきました。
そして私は、現在のヴァランサード王家がどうしようもなく腐敗していることを知ったのです。我が主君はこんな奴らに滅ぼされたのかと、300年前を思い出して腹が立ってきました。
そこで私はヴァランサード王家を滅ぼし、ローディガン王家を復活させることにしたのです」
「何を言ってやがる! もうローディガン家の人間はいねえだろうが!」
カーケンが怒声を上げた。
「いいえ、ローディガンの血を引く者は現在も残っているのです。私はその者を擁立し、ローディガン王家を再興します」
まさか……ティコのことか!?
カーケンやレイスは知らないだろうが、ティコはローディガン王家の末裔だ。
ティコを発見し、王都に連れてきたのはエロイだ。それはローディガン王家の再興のためだったのか。
俺は振り返り、ティコに目を向けた。
真っ青な顔で荒い息をつき、その場にへたりこんでいる。こんなに動揺しているティコは見たことがない。
どうやらエロイの意図を初めて知ったようだ。
あいつは自分がローディガン王家の末裔であることは知っていたが、俺が王になるために全力を尽くして働いてくれた。
自分は王になりたくないと、はっきり言ったこともある。その言葉に嘘があるはずもなかった。
「おうおうおうっ! 隠者だかなんだか知らねえが、勝手なことをしてくれるじゃねえかっ!」
「ここがカースレイド商会のシマだと知っての狼藉かぁ!」
「とんだ恥ぃかかせてくれよったのう!」
ガラの悪い言葉でエロイを威嚇しているのは、会場の警備を担当しているカースレイド商会の社員たちだ。
面子をつぶされて黙っているわけにはいかないのだろう。
だが今回は、相手が悪い。
「みんな! エロイさんを刺激しちゃだめ!」
ユリーナが部下たちを注意したが、遅かった。
晴れ渡った空に閃光が走り、数秒遅れてバリバリバリッと轟音が鳴り響いた。
気が付くと、地面には黒焦げになった社員たちの死体が横たわっていた、30人以上が犠牲になっただろうか。
エロイが雷を落としたのだ。彼女の隠術は詠唱がないのはもちろん、ネキと違って予備動作もないので避けようがない。
取り乱したユリーナが部下たちのところに駆け寄ろうとするが、俺は演壇から飛び降りて彼女を抱きとめた。
「危ないっ! まだ近づくな!」
「でも、あいつらが!」
「もう死んでる」
「この私に向かって暴言を吐いた者たちには、当然の報いです」
エロイはまったく表情を変えずに言った。
ユリーナはうめき声をあげ、地面にひざをついた。
「いくらエロイ殿といえど、このような狼藉を許すわけにはいかない! 弓兵隊、構えろっ!」
ベアードが王家の弓兵隊を指揮し、上空のエロイに狙いをつけている。
「やめろベアード! 弓なんかで倒せるものか! おまえらも雷に打たれるぞ!」
「しかしアクセル殿下、このままでは!」
「おまえは兵士たちを指揮して住民を避難させろ! すぐにだ!」
すでに住民たちは逃げ出しているが、これだけの大人数が一度に逃げようとしても混乱するだけだ。誰かが誘導してやる必要がある。
「はっ! すぐに住民たちを避難させます!」
ベアードは復唱し、兵士たちを率いて動き出した。ここで逡巡しないのは、さすが一流の軍人だ。
続けて俺は、ツヤガラス女公に声をかける。
「ブランディーヌ!」
「はい!」
「君も諸侯たちに指示を出し、住民を避難させてくれ!」
「アクセル殿はどうされるのですか?」
「逃げる」
もちろん嘘だが、そう言わねば女公は納得しないだろう。
「わかりました。我は住民を避難させます。シャコガイ公とイワガキ公にも手伝わせましょう」
「頼む」
「ですがアクセル殿、必ず逃げてください。間違ってもエロイと戦ったりはしないでください。それは勇気ではありません」
「わかった、約束する」
そう答えると、女公は疑わしげな顔をしながらも、右と左を従えて去っていった。
カーケンやレイスの姿も見えなくなっている。逃げたのだろうか。
だが、俺は逃げるわけにはいかない。
「ティコ! しっかりしろ!」
俺はティコの元に駆け寄った。ティコの身柄をエロイに奪われるわけにはいかなかった。
「アクセル様、僕は……王になんてなりたくありません」
「わかっている! おまえは俺の従者だっ! それ以外の何者でもないっ!」
「いいえ、それは違います」
エロイがスーッと地上に下りてきて、俺たちの前に立った。「ティコこそが、アルゴール王国の王となるべき者です。もうあなたが主人面をすることは許されません」
「だったらなんでティコを俺の従者にしたんだ!」
ティコを俺の従者にするよう親父に勧めたのは、エロイだ。
「農民の暮らししか知らなかったティコに学問、剣術、そして王族としての心得を学ばせるためです。
子どもには優しいあなたなら、ローレンやカーケンやレイスとは違って、ティコを大切に育ててくれると信じていました。そしてまずまず期待に応えてくれました。
ただ、ティコがあなたの影響を受けて腹黒くなったのは想定外でした。まあ清廉潔白なだけでは王は務まらないので、それも悪くないと考えましょう」
ティコが腹黒いのは俺のせいではない。
「ですがティコも15歳になりました」
エロイは続けた。「この国では大人として扱われる年齢ですし、王位につくには充分でしょう」
「おまえはティコが15歳になるのを待っていたのか……」
「ええ。それまではエルドールの側近を務めることにしました。ただしヴァランサード王家が諸侯や民衆の支持を失ってほしいとは思っていました。王権交代による反発が少なく済みますから。
だからメアが残酷な統治をしたのは願ったりでしたし、内戦が起きた時は喜びました。あれは王族の内輪もめに過ぎないので、どちらが勝ったとしても民衆は王家を見放すと思ったのです。
それなのにあなたはさっきの演説で、王家の不始末を美談に変え、打ちひしがれる者たちに希望を与えました。そして愚かな大衆はコロッと騙されました」
「だから水をぶっかけたのか」
「あの演説を聞いて、あなたなら民衆に支持される王になってしまうと確信しました。だから死んでもらわねばなりません。その後でティコを即位させます」
「そんなことを認めるものは、誰もいないぞ」
「反対する者は私が始末します。まずはあなたからです」
くっ……こんなところで殺されてたまるか!
「アクセル様、お逃げください!」
ギャザリンが人類絶滅槍を構え、俺を守るように立ちはだかった。あの狂った槍を、演説会場に持ち込んでいたのか。
俺も常識粉砕剣を持ってくればよかった。
――いや、どのみち勝てる相手ではない。
「邪魔です」
「きゃあっ!」
突然の強風を体に受け、ギャザリンは転がっていった。
「エロイさん、やめてください!」
俺が止める間もなく、ティコがエロイのところへ走っていき、その肩をつかんだ。
「ティコ、離しなさい。アクセルはあなたにとって邪魔な存在です。ここで殺しておかねばなりません」
「それは違います! 僕にはアクセル様が必要なんです!」
「なるほど、普通の人間はずっと一緒にいれば情が移るのでしたね。隠者としての生活が長すぎて、そのことを忘れていました」
「そんなんじゃありません! 僕はあなたの思い通りにはなりませんよ!」
ティコは腰に差した剣を抜き、その刃を自分の首筋にあてた。
まさか、死ぬつもりか!?
ティコには15歳になった記念として、帯剣を許してやっていた。嬉しそうなティコの顔を見られて俺も満足したのだが、まさかこんな使い方をするとは。
俺は駆け寄って止めようとしたが、
「愚か者!」
エロイの声と同時に、パァンと乾いた音が響き渡り、ティコが頬を押さえてうずくまった。剣は取り落としている。
「あなたは王としての自覚を持たねばなりません。これからは私が教育を施しましょう」
あのクソババア……!
ティコが殴られたのを見て、俺の心の中で何かが弾ける音がした。俺でさえティコを殴ったことはないのだ。
たとえ勝てない相手だろうと、ここまでなめられて許せるわけがない。
俺は身体の重心を落とし、地面を強く蹴ってエロイとの距離を詰めた。
そして腰に差した剣を素早く抜き、右肩から袈裟懸けに斬り下ろす。
キンッ!
エロイは薄手のドレスしか身につけていないにもかかわらず、刃がはじかれてしまった。
彼女の全身は見えない障壁で常に守られているのだ。
しかもネキとは違って、別の隠術を同時に使うことができる。
「ぐあっ!」
突然胸に強い衝撃を受け、俺は吹っ飛ばされた。まるで見えないハンマーで殴られたかのようだ。エロイの隠術に違いない。
ドロンが人々の前から姿を消して以来、数多の隠者がこの世に現れたが、エロイはその中でも別格の存在だ。
「アクセル様! あっ……剣がっ!」
ティコが地面に落とした剣が、ひとりでに宙に浮かんでいた。
「ティコ、あなたのアクセルへの思いを断ち切るため、あなたの剣でアクセルを殺してあげましょう」
エロイの言葉と同時に、宙に浮かんだ剣の切っ先が俺に向けられ――、
「アクセル様、危ないっ!」
突然体を突き飛ばされた。
気が付くと、タラサンが俺に覆いかぶさっていた。
「タラサン……?」
「アクセル様……よかった……ご無事で……」
タラサンは俺を見つめて微笑んだ。
彼女の胸を、剣が背中から貫いていた。
ティコとエロイとローディガン王家の話について覚えていない方は、『13.ティコの秘密』を参照してください。




