剣の調べと過ちの日記
少し前に両親が死んだ。妹も亡くなってしまった。
俺とは違って妹は、この村で誰からも愛されるような可愛らしい少女だった。妹の瞳は大きな翠色で、まるで深い森の中に秘められたような神秘的な輝きを放っていた。無邪気な心を映しているようで、村でもとても評判だった。
陽光のように明るい笑顔も周りにいる人たちにはほんのり温かく感じられたようだ。
しかし、今はもう見ることができない。
居間の片隅にある小さな暖炉の火が家の中をほんのりと照らした。暖炉前の小さな椅子に座って、俺は今日も家の中に引きこもっていた。今日も俺独りだ。家の中は静寂で満たされていた。
家の中にある質素な家具のひとつひとつに家族の思い出が詰まっている。
こんな辺鄙な村には、街であるような家具屋はないので、すべて父が手作りした家具ばかりだ。テーブルに置かれている小さな花瓶に飾られた花はもう枯れてしまっている。
ただただ悲しくて、ショックで、何もやる気が起こらなくて俺は引きこもる。幸いにも食糧庫には数日分の食糧があった。
村が魔物の襲撃にあったときも俺は外に出ずに、ずっと家の中に居た。村の中で叫び声が聞こえたが、俺は耳を塞いでずっと引きこもっていた。
数日が経ち、いよいよ食糧庫の食料がつきそうになった。
そのときまた、村が魔物に襲われた。
この村は山や森に隣接しており、ときおり山や森から迷い出てくるのか魔物が定期的に出現する。今日も村の中では男たちが果敢に戦う声が家の中にまで響いてきた。もはや日常生活の一部だ。心にさざ波すら生まれない。
(うるさいなあ。とっとと終わらせてくれよ。こっちは食べ物がなくて、これからどうすりゃいいのか考えたいんだよ)
両親がいたころは食べる物に困らなかった。
これから先のことを考えるとゾッとした。餓死してしまう。
食糧は基本的に村の共有倉庫に保管されている。食べ物を得るには働いて、その対価としてもらう必要がある。もしくは自分たちで山や森の中に入って獣を狩ったり、木の実を採集したりする。
億劫だ。
とても面倒くさい。
山の中にはもう行きたくないと思った。
そこでふと俺は思いついた。
日常の一部とはいえ、村は総出で魔物退治を行っている。この隙をついて村の共有倉庫から食糧を運び出せないか? と。
俺は早速、久しぶりに外に出た。
案の定、村の中は人影が少なかった。
皆、魔物を村の中に入らせないように奮闘している。
俺は人目につかないように家々の壁に身を隠しながら、共有倉庫まで辿り着き、大袋の中に詰め込めるだけ食糧を詰めて、家に帰った。
魔物を無事に撃退した後に、近くを通りかかった村の人々の会話が、窓から差し込む光とともに家の中に入ってきた。
どうやら魔物の襲撃に合う中で、知らない内に共有倉庫に魔物が侵入して食糧を盗まれたらしい。
ちょっとした食糧難が村を襲いそうだ、と話しをしていた。
そして、村で一番強かった戦士が、一人の少女を庇って死んでしまったらしい。
彼らの声にこれからの不安と悲しみが帯びていた気がする。
(ほう。それは大変だなあ)
俺は果実を頬張りながら、他人事のようにその会話に心の内で相槌をうった。それにしても、この果実はうまい。傷心の俺は、それからもしばらくの間、引きこもり生活を満喫した。
時折、通りがかる村の人が不思議そうにしている会話が聞こえてきたが、俺は聞かぬふりをした。どうやって俺が生活しているのか気になって仕方ないらしい。放っておけという話しだ。
その数日後、またしても俺は食糧危機に見舞われた。
どうしようか、と悩んでいるとまた村が魔物に襲われた。
(最高だな。また食糧を取りに行くか)
俺は家を出て、また共有倉庫に向かった。
しかし、俺は厄介な奴に出くわしてしまった。
「あ! あんたはアレクスじゃない! 村が大変なときにこんなところで何をしているの!」
そいつは俺の幼馴染だった。
名をエリーと言う。
「――お、おまえこそ、こんなところで何をしてるんだよ」
「わたしはまた魔物がやってこないか、倉庫を見張っていたのよ」
どうやら前回のことがあって、村のやつらも対策をしたようだ。
ちっ、と心の内で舌打ちした。
「あなた、最近見かけなかったけど大丈夫? 両親と妹さんはとても残念だと思うけれど、いつまでもくよくよしてるんじゃないわよ」
「放っておけ」
俺はぶっきらぼうに答えた。
「ところで今、戦士がたりないのよ。いい加減立ち直って、村のためにまた戦ってよね」
「――そしたら食い物をもらえるのか?」
「わたしが父さん――村長にお願いしてみるわよ」
「そうか。それなら久しぶりに剣を握ってみるかな」
「ありがとう。気をつけてね! 絶対に死んだらダメだよ!」
俺は手のひらを振って、踵を返した。家に戻ってから、壁にかけていた剣を手に取った。あの日以来も手入れだけはかかさずに行っている。
剣の柄は木製で、その表面には握り込まれた跡が浸透している。剣の重さが手の中にしっかりと感じられる。
俺は村の中で喧騒を判別し、人が群がっている場所を探して向かった。そこに魔物がいる。
村を襲っている魔物――ゴブリンたちは、緑色の肌をし、小さな人間を歪ませたような異形の姿をした魔物だった。
人の群れに割って入り、俺はゴブリンどもを斬り倒す。
前回、村で一番の戦士が死んでしまったようだが、そいつは俺のもう一人の幼馴染だった。父からそいつと一緒に小さな頃より剣術を習わされた。俺からしてみればそいつは雑魚だった。村で一番の戦士とか何の冗談だ。俺の方が強い。
当時は厳しい稽古ばかりさせられて苦しかったが、引きこもり生活をしていると剣も少しはいいもののように思えた。たまに外に出て運動するのは気持ちがよかった。
魔物たちを撃退すると、多くの食糧を報酬として得た。
「アレクスはやっぱりすごいね! あなたの両親も、いつもあんたのことを誇らしげにしていたのよ! あなたはとても強くなって、村の守りは盤石になるだろうって! 村で人気だったあなたの妹もとても自慢げにしていたのよ」
「……そうか」
エリーから称賛を浴びて、俺は嬉しかったがますます引きこもるようになった。
あいつらは俺のことを一言もそんな風に言わなかった。
俺が知っている両親と妹の顔は、とても冷淡なものだった。
引きこもり生活はとても静かで、快適なものだった。
俺の心をざわつかせる存在は誰もいない。
剣の手入れだけは欠かさずに行うものの、家の中で何かをするわけではない。ただ何も考えずに一日を過ごすだけだ。村の皆が汗水流して働いている中で、何もしなくても良いということは最高の贅沢のように思えた。
ときおり魔物退治をするだけで食糧の心配もなくなった。
こんなことならもっと早くにそうしておけば良かった。
最近は少しそう思うようになった。
心変わりをしたせいか、それからというもの、日記を書くようになった。
両親と妹が亡くなった日の日記だ。
三人は同じ日に死んだ。
あの日、俺たち親子は山に木の実や山菜をとりに行っていた。気候に恵まれず、思ったより農作物の収穫がなかったので少しでも村のために、食糧を確保しにいったのだ。
しかし、その帰り道に妹が崖から落ちて死んでしまった。
一緒にいてなんで助けられなかったのだと父に詰問された。
――俺のせいにするな。
俺は父の詰問を歯を食いしばりながら耐えた。
父は厳格であり、剣術の稽古においても容赦がなかった。幼い頃から俺はこの父が怖くて仕方がなかった。このときまでは反抗なんて考えもしなかった。
しかし、その父も帰りに魔物に襲われて逃げている途中に崖から転落した。今でも目に焼きついている。逃げ惑う父の背中はとても大きかった。
父と妹を失った悲しみから母は錯乱し、崖から落ちた。
どうしてあのとき俺は大事な人を守ってやれなかったのだろうか。
何度もあの日のことを思い返して日記を書いた。
日記を書いていると、自然とあの日のことを思い出せた。
しかし、あの日のことを何度も書くうちに、死因はころころと変わった。転倒して後頭部の強打。魔物に襲われて死亡。あるいは俺に――……。
過去の中で、ひょっとしたら彼らを救う方法があったかもしれない。今とは違った結末を迎えられたのかもしれない。しかし、俺には何度思い返しても彼らを救う方法を見つけられなかった。
「おまえはこの家のごくつぶしだ! いい加減、家の中にばかりいないで村の役にたて!」
「わたしとは違って、みにくいお兄ちゃん。生きているだけでは、なんの役にも立たないのよ」
父と妹の罵倒の声と嘲笑する顔が今でも鮮明によみがえる。母は――俺をかばってはくれなかった。
あの頃、家族からはそんなことばかり言われて、むしゃくしゃしていた。
そんなときだ。
家族から誘われて、山に行くことになった。
俺には、やつらの目的が分かっていた。
食糧難が村をこれから襲うかもしれない。
だからなんの役にも立たない俺を山奥に置き去りにして口減らしをするつもりだろう。
――そうはさせるか!
俺は心に強く誓って、一緒に山に出かけた。
山から無事に生還できたのだが、それもこれも、この剣のおかげだ。
今日も寝起きに、剣の手入れをする。
そうしていると、トントントン、と家の扉が叩かれた。
この音にももはや聞き慣れた。
エリーに違いない。
また魔物どもが襲ってきたのだろう。
引きこもって、気味悪がられている俺だが、魔物が襲われるたびにこうして頼られるようになった。
とても気分がいい。
――どうだ。
俺は役に立っているだろう。
なにがごくつぶしだ。
今日も俺は、剣を手に持ち、立ち上がる。
俺の平穏を脅かした両親と妹――やつらと同じように魔物どもを蹴散らしてやる。
神に裁かれるその日まで俺はこの村を守ってみせる。
それが贖罪になると信じて、俺は、日記を暖炉の火に焚べた。
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