異臭と露出狂
世界が魔族の脅威に晒されたのはここ10年のことだという。それまでは魔物という人々に害をなす野生動物こそ存在したものの、人類の存亡に関わるなんてことにはならなかった。
「魔王と名乗る魔族が現れた」
人間たちは比較的大人しく友好的な種族として、魔力を持った人類──魔族と呼ばれる種族とも極めて良い関係を築いていた。
田んぼや畑で作物を育て、魔物や獣を狩猟し生活する人間たちにとってその報せは最初こそ訳が分からないものだったが、頭で理解するよりも非情な現実として突きつけられる方が早かった。
弓や槍を持ち罠を巧みに使って日々の肉を得ていた程度の人間たちは、魔王擁する魔族の侵攻に各地で敗北を繰り返していた。
「みな、武器を取るのだ──」
⭐︎⭐︎⭐︎
どこかの晩ごはんの空腹を誘う香りが漂う街の一角にある“武器・防具販売、買取”と看板の上がっている店のなかから派手に暴れるような音がする。
「何やってんだこの嬢ちゃんは……」
ヒゲもじゃの店主さんがカウンターに頬杖つき呆れて見るのは、閉店間近なこの時間に現れた歩く鎧、もといサイズが全く合ってないフルプレートメイルを着込んだ少女らしき人物。というかわたしだった。
「だって……疑うから……」
ふらつきながら歩いて入ったお店の中で、大きな大きな剣を地面に落っことして、店の商品もろとも店内を散らかしたわたしは、呆れる店主さんに説明をしたいけど、どうにもできない。
しかも寝そべったまま片付けようとさえしないスタイルだけど店主さんも分かってくれたらしく怒りはしないみたい。
どう考えても鎧の重さに潰されていて、その上中身のわたしは疲労困憊といった感じなんだから。それでも本来なら激怒して蹴り飛ばすくらいはされそうだけど、この店主さんは見た目よりも優しい人なのかも。
「いきなり入ってきて『武器を取るのだ』なんつって剣を抜いたと思ったら倒れるんだもんな」
「だから、その……説明をしようと」
つまり、湖から似合わない鎧を着込んで、ときに関節部で肉を挟んだりしながらもどうにかたどり着いた街で、初めて会った住人に買取の店を尋ねてここまでやってきたはいいいんだけど、店主さんから見て明らかにサイズのあってない武器防具を「売りたい」といった小汚い女の子のわたしは怪しすぎたのだ。
だからそれをどこで手に入れたのかとか、何で売りたいのかとか根掘り葉掘り聞かれたから、それらの説明ついでにさっきの有名な口上を述べながら大きな大剣でポーズとったら、倒れて商品まで台無しにしちゃったのよね。
「説明って?」
「冒険者は武器を持って戦うのに、わたしにこの剣は大きすぎて重すぎるし、鎧は歩くたびにどこか挟んで痛いのなんのって……」
「──まあ、見れば分かるわなそんなこと」
⭐︎⭐︎⭐︎
顎ひげをさすりながら俺は呆れ顔の眉間に皺が増えていくのがわかる。
(俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな……)
かなりの時間を修行して店を構えてから、魔王が誕生してから、相当の目利きをしてきた俺が見たところ、その剣も鎧もそこらに落ちていていいものではないと分かる。
(それに、いわく付きってやつだな)
鎧に刻まれた紋様は、複雑に組み合わされているものの、それら全てが高度な技術によって埋め込まれた魔術回路と呼ばれるもので、計り知れない効果を発揮する代償に装着者の肉体を枯らせてしまう呪いつきだあな。
(信じられねえのはそれが効力を失っていることだ。それでも貴重な鉱石と魔物素材をふんだんに使った逸品には違いないが……この嬢ちゃんはこんなものを解呪しちまう、名の知れた賢者かなにかか?)
俺は少女をまじまじと見て観察する。厳しい修行の果てに俺は鑑定眼を手に入れている。冒険者たちのようにジョブを手にして取得したものではない、本物の修練の賜物だ。そんな瞳が少女の情報をまる裸にせんと上から下まで──いまは寝そべった左から右までをじっくりと、見回す。
「……あの、それでお願いなんですけど」
⭐︎⭐︎⭐︎
店主さんはわたしを引き起こして、自分では脱げなくなった鎧をひとつずつ丁寧に外していってくれる。店主さんが言うにはこれはきちんと磨いたあとこの店の目玉商品となる予定だからだそう。
どうやって売るか、値段はどの辺りが適正かなどと考えながら作業してすっかり外し終えた店主さんは、やっとわたしとまともに対面した。
「──嬢ちゃんのジョブってのは、露出狂とかか?」
「……っ⁉︎」
ぶかぶかの鎧を脱いだあとに現れたわたしの姿ってのは……散々走り回ってちぎれたインナーは革鎧からはみ出てる部分が少しあるだけ。インナーの中で盛っていた胸当てはがっつりズレていて、腰回りもほとんど脱げかけている。
「しかも、くせえ」
「女の子のいい匂いに決まってるじゃないですかっ」
「いいや、汗と魚のぬめった臭いだ」
「いやあああああっ」
露出した肌にギリギリ見えるかどうかの際どさも、歳が離れた店主さんにはご褒美でもなんでもないらしい。
それよりはせっかくの鎧にその臭いが残ってないかと心配して嗅いで言ったのがさっきみたいな言葉なんだから信じられない。
それはうら若き少女のわたしにとってはスライムに襲われ続けた以上のショックを与えて、みずから床に頭を繰り返し打ち付けるという奇行に走らせた。