半裸で出会ったのは
そして今である。
(私が大魔法使いとかなら、きっとちょちょいのちょいであんなスライム……っ)
わたしは逃走しながらも頭の中で現状をそう考えていたけど、後から知った事によると実際に魔法が使えたところでそんな簡単にはいかないらしい。
見た目に水の塊かのようなスライムだけど、斬られても潰されても元に戻る生態は構成する細胞の一粒までもが命と魔力を有し、その魔力を削り命を削り続けて細胞の一粒さえ残さずに消し去ってはじめて討伐が叶うとか。
個であり全である。なんて話はこの世界で最初にスライムを討伐してみせた賢者が分析したのちそう語って、手出しするべからずと広く伝えた魔物だって。
そんなスライムがいまもわたしを捕食しようと追いかけて来ている。手足の無い赤い液体状のスライムは全力で走るわたしに向かい進むために、やはり薄く伸ばした体を波のように、あるいは陸でバタフライ泳法でもするかのようにしている。
「すっごい怖いんだけどおおっ」
もう、叫ばずにはいられない。これも後から知ったことだけど、スライムとしては細胞が前の細胞を乗り越えるようにするのを繰り返して移動しているだけらしい。わたしからすれば後方を完全に塞がれ、いつしか捕食される未来が訪れることを確信するばかりの絶望の壁なわけだけどさ。
街道がまだ視界の端にある平原を石につまずき、野うさぎを飛び越え駆けていたけど、いつしか木々の生い茂る森へと突入していた。
障害物の多いところでなら追っ手の勢いも削がれると思ったからなのに、さっきの通り細胞ひとつひとつの集合体である魔物にとっては障害物を避けながら追いかけることは難しくないみたい。
むしろ木の根に足を取られたり、苔に滑ったりとせっかくそれまで速度差で離した距離を縮める結果になって困ったのはわたしの方だった。
「死ぬって、マジに死んじゃうってぇっ」
ジョブ持ちになれば並の人間よりは身体能力も底上げされるけど、これだけ走りっぱなしじゃあ、そのうち限界が訪れる。
緑の森をすり抜けるかのように襲いくる赤い波はわたしの鞭にお怒りのようで、ここまで動物も植物も多くすれ違っているはずなのに、それらを食べた形跡はない。あくまでもわたしだけを狙っているのが分かる。
もうほとんどないインナーの残った切れ端がひらひらとなびくのが鬱陶しくて、走りながらちぎって手のひらに丸めていく。
そんなことを繰り返していれば、布面積は段々と減り、気づけば革製のビキニアーマーでも着ているような状態になっていた。もうここまできたら痴女にしか見えないかもっ⁉︎
「……あれはっ、なにっ⁉︎」
焦りでろくに方向転換も出来ずに走り続けるうちに、森は終わりまたも平原が見えたのだけど、そこはわたしたちの街の管轄じゃないところ。
その先に遠く街が見えるけど、それよりも手前に大きな湖がある。ボートがいくつか係留されているあたり、地元のひとがそこで魚でも獲るのかもしれない。
でもわたしが気になったのはそんな景色ではなく、もっと変わったもの。
全身に甲冑を着込んだ姿はそれなりの地位にある騎士のように見えるけど、そいつが跨っているものが普通じゃない。
簡単に言うと全身から紫色の炎を立ち上らせる骨格だけの馬。およそ人間が従えることなどできそうにもないし、野生で見つけても乗馬にしようなどと思ったりはしないであろうそれは、どう見ても魔物なんだよなぁ。
目の前にはそんな謎の騎士、後方からは赤い津波が執拗に狙って来る。
もうとっくになりふり構ってなんていられない。もしかしたらあの騎士は可能性として囁かれているだけの“魔物を従えることができるテイマー”なのかも。そんなごまかしの希望にすがって、わたしは半裸の情け無い姿で一直線に湖に向かっていく。
⭐︎⭐︎⭐︎
森の方から聞こえてくる軽快で素早い足音はその界隈では知らぬもののいない私にとって脅威でもなんでもない。
湖を挟んだ向こうに見える街が今回の標的。いつからかチカラをつけてきた人間たちが集まる場所を、退屈しのぎに蹂躙するためにここまで訪れた。
だから、そんなチカラをつけた人間のうちのたったひとりが背後から迫ってきていたとして、慌てて構えることもない。彼我の力量差は私に限らずまともな頭があるなら誰もが知りうるところだ。
腰の剣の、私の間合いにそれが入ってくるのはおよそ10秒後。達人として永い時を過ごしすぎた私は、獲物が間合いに足を踏み入れた瞬間には命を奪っている自信がある。そしてそれはわざわざ意識するまでもなく現実となってきた。
街を堕とすまえの、その前菜を。私はせめてその目に入れてもおこうかと静かに振り返る。愛馬もつられて緩慢な動きで首を向けるが、主従ともに──不覚にも次の行動が頭からも習慣からもすっぽ抜けてしまった。
泣き喚きながら走り寄ってきた人間が、私を見て何やらうるさく声を上げて発狂しながら近づいて来るのも異様ではあったが、その後ろから追いかけるようにやってきた赤い津波に「何故……」と呟いたのが私の最期だった。