幕間⑦狂気(ジュリアンside)
僕はジュリアン=デミコ ロナル。公爵家の嫡男だ。
将来は王妃の弟として、次期国王となられるテセウス殿下をお支えするよう、幼い頃から父上に言い付けられていた。
でも僕は、姉上の事が昔から大嫌いだった。母上は愛している、可愛い娘だと姉上を抱きしめるけれど、どこか白々しさと言うか、今にも首を絞めるんじゃないかという緊迫した空気が漂っていたし、姉上も最中には身を固くして貼り付けたような気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
この二人は、どこか歪なのだ。
幼い僕はこの空気の意味も分からず、ただ無邪気に母上に問いかけた。
「母上は本当に、姉上の事を愛しているのですか」
途端に、母上は壊れた。僕と同じプラチナブロンドの髪を掻き毟り、絶叫して泣き叫んだ。そして恐ろしい勢いで姉上を絞め殺そうとしたのだ。慌てて飛んできた使用人たちによって、暴れる母上は取り押さえられ、連れて行かれた。
その夜、帰ってきた父上に殴られた僕は、姉上がメイドとの間にできた子だと聞かされた。酷くショックだったが、父上によれば愛人ではなく、酔って記憶のないままできた子供で、生まれてすぐ母子共々叩き出してやったと言われた。同じ頃にできた母上の子は死産で、神託もあり仕方なく引き取ったのだと――
物心つく前の姉上……いや義姉上の記憶がない理由が分かった。信心深い母上が、不義の子を自分の娘だと必死で思い込んででも、受け入れた理由も……
しかし、やはり無理をしていたのだろう。僕は母上を悲しませる義姉上が憎かったが、かわいそうな母上のお人形になってくれるのなら、許してあげない事もない。本当の家族の邪魔をせず、息を潜めて従順な道具でいてくれるのならば。
やがて義姉上は、テセウス殿下の婚約者に選ばれる。義姉上如きがこの国の王妃となるのは業腹だが、母上によると王妃の重責は耐えがたく、今の王妃様は他国からの人柱とも言えるのでおかわいそうだとの事。公爵家の道具が、王家の道具にすり替わるだけだ。
殿下に挨拶した際、僕はご機嫌をうかがおうと義姉上の事を訊ねる。
「義姉上が何か、殿下に失礼な事をされていないか心配です」
「心当たりでもあるのか」
この時点で下賤の出自である事を明かそうか迷ったが、公爵家の道具として育て上げた父上に咎められるだろう。それに、母上の恥になる事も避けた方がいい。
「殿下の婚約者を悪くは言いたくないのですが……義姉上は猫を被るのが上手いので一見大人しそうに見えますが、本当は自分以外の人間を蔑んでいるのです。自分が何のために手をかけて育ててもらったのか、その恩も忘れ、いつも反抗的な態度を取っております」
「そなたは、姉の事を嫌っているのか」
「昔から反りが合いませんでした。仲良くしようとは心掛けているのですが、向こうにどう思われているのかは……」
曖昧な言い方で、義姉上の心証を悪くしようと試みる。どこまで信じたのかは不明だが、最初から義姉上を得体が知れないと思っていたらしい殿下は、婚約者をさらに疎んじるようになった。
だけどまさか、冤罪を被せてでも婚約を破棄してくるとは……激怒した父上にも捨てられてざまぁみろと思ったけれど、公爵家にまで累が及ぶのはまずい。我が家では義姉上を切り捨て、ラク様を養女に迎え入れるという話まで出てきた。
ところが、それに異を唱えたのは、なんと母上だった。
「テセウス殿下と婚約するのは、エリザベスよ! そのためにどれだけ厳しくあの子を躾けてきたと思っているの!」
「母上、もう義姉上はいません。殿下はラク様を新しい婚約者に据えるおつもりで」
「ダメよ、神託はエリザベスを選んだの。だから婚約者はエリザベスでなければ……女神はお怒りになるわ」
母上が震える手で、プラチナブロンドの髪の人形を撫でている。あれは僕が生まれる前から家にあったもので、義姉上がいた頃はクローゼットに仕舞われていたはずだけど。
父上が怒って人形を取り上げる。
「いい加減にしないか! こんなボロ人形をいつまでも……罪を犯したエリザベスの事も、さっさと忘れるんだ」
「娘を返して! わたくしがお腹を痛めて産んだ子なの。あんなメイドなんかじゃない、ねぇそうでしょ? 神託は絶対なの、だからわたくしは身を引いて、あなたと結婚したのよ。エリザベスを、返してちょうだい!!」
母上の目には狂気が見られて、ぞっとした。今や母上は、人形を義姉上……いや、実の娘だと思い込んでいる。父上に奪われた人形を取り返そうと、金切り声を上げて縋り付いている。
父上の命令で専属医師に鎮静剤を打たれ、ぐったりとなった母上は寝室に運ばれていった。
「父上、その人形は……」
「学生時代、陛下からプレゼントされたものだ。彼女は愛されていたが、神託に自分が選ばれなかったと知ると、頑なに求婚を拒んだ……いつまでも未練がましく贈り物を取っておきながらな」
「母上は……ラク様を養女に迎えでもすれば、壊れてしまうのでは?」
もうとっくに壊れているのを知っていながら、それでも敢えて言う。
「エリザベスの時も、髪を染めさせて根気よく刷り込み続ければ、最後には受け入れたのだ。あいつには神託が全てだ……殿下と結ばれる者こそ我が娘、我が公爵家の者だと分かればいい」
俯いて歯を食い縛る。
ここで父を非道と詰るのは簡単だ。だが、それを言うなら母はどうなのだ? 義姉上に冤罪を被せた殿下は? 彼らを狂わせた神託――この国の女神は?
誰が、本当の『悪』なのだ?
ああ、イライラする。この憤りを使用人や身分の低い同級生に当たり散らすのは簡単だ。だが、ただでさえ義姉上のせいで公爵家の評判は落ちている。せめて僕は、義姉上とは無関係の優秀な学園の生徒で、王家の忠実な家臣でなくては。
そうだ、全ては義姉上が悪いのだ。『血塗られたエリザベス』、それが彼女じゃないか。ああ、今どこにいるんだろう? 学園内でいくら探しても見つからない義姉上。一体どこへ隠れたんだろうね? 僕たちの、都合のいい『お人形』は。




