婚約者でよかった
膠着状態が続くと思われたが、先に目を逸らしたのは殿下の方だった。
「その騎士気取りも、いつまで持つかな。まあ、傷物だろうと罪人だろうと、伯爵家にとっては貴重な『女』だ。丁重に持て成したいのなら好きにしろ」
そう言ってさっさと席を立つ殿下の後ろを、金魚の糞の如くついて行く義弟。ちらりとアステル様を見遣り、「醜いって損だよな。義姉上なんかのために必死になって」と呟いた時は足を踏んでやろうかと思った。やらないけど。
他のクラス委員たちもチラチラ見ながら退席する中、とうとう会議室は二人きりになってしまった。
「アステル様!」
「待った、ここでは僕らは他人なんだ。できるだけ距離は置いた方がいい」
駆け寄ろうとするあたしを、アステル様は制する。そうだ、いくら大丈夫だと思っても、誰が見聞きしているか分からないのだ。本当に二人きりになれるのは、図書室に造られた魔法の空間の中だけ。
だけど今、どうしても言いたくて、耳に顔を寄せ小声で囁く。
「あたしのせいで、目立つような事になってごめんなさい」
「遅かれ早かれこうなっていた事だ。それに、やられっぱなしは癪だろう? どうせならうんと幸せな姿を見せ付けてやろう」
ぱっと顔を上げてアステル様を見ると、またパカッとウィンクをされた。その音、どうにかならないのかしら。
「もうそのマスクには、魔法はかかっていないのですよね」
「伯爵領に戻った時にでも、また作ってもらえばいいさ。そうだ、リジー用にドレスも仕立てないとな」
あ、あたしのドレス?? 一応、両親が用意してくれる事になってるけど。もちろん、公爵家にいた頃に着せられていたようなのは期待していない。過度な贅沢は控えるべきだ。
そう告げると、アステル様は周囲に誰もいない事を確認し、小声で返した。
「婚約者なんだから、贈らせて欲しい。寸法だけ測っておいてもらえれば、伯爵家で用意させるから」
さっきから気になっていたけど、あの厳しい環境にそんなに職人が住んでいるのだろうか?
「それなら、まあ……町へ下りた時にでも、型紙を作ってもらってお渡しします」
「うん、楽しみにしていて」
何だかその声が弾んでいたので、あたしも遠慮なくその厚意を受け取る事にした。最後に教室を出る際、あたしは手を伸ばしてアステル様の指をそっと握る。驚いて息を飲む気配がした。
「リジー?」
「さっきは、ありがとうございました。殿下にああ言っていただけて……」
「君が気にする事じゃないさ、あれは自分のためだもの」
「ええ、でも……今となっては殿下に感謝しているんです。あなたの婚約者になれて、よかった」
それだけ言うと、アステル様の脇をすり抜け、やや小走りでその場を後にした。お礼のつもりが余計な事まで口走ったおかげで、急に照れ臭くなったのだ。




