本文
一般的な概念として話しているため、様々な事情を抱える方へ、個別に配慮している内容ではありません。地雷の多い方は自己責任でお読みください。
なんでそんなテーマが降ってわいたのかと言うと、森さんの失言からでした。オリンピックなんとか会長だった森さん。全文読んだけど女性蔑視。≒女性の人格の不在、という視点で話をします。
紀伊國屋書店が出版している本があります。『愛するということ』エーリッヒ・フロム
2020年9月に改訳新装版が出ました。1956年ニューヨークで出版された本です。ユダヤ教の伝統の中で育った新フロイト派。ドイツ、フランクフルト生まれ。詳しいことはご自分で確認してください。
なんで出版年とか著者の生まれ育ちが必要かと言えば、現代では誤りと言われている考え(同性愛は逸脱とか)が語られているし、日本人にはなじみのないユダヤ教が根底にあるから、日本人には読みづらいかもねというだけです。老婆心です。わたしもまだ半分しか読み進んでいない。
「家同士のつながり=結婚」が主流だった時代の話? いいえ、恋愛結婚が登場したからこそ論じています。結婚した二人が愛を育むのだ、愛するとは技術である、って。
まあ、本筋とは実はあんまり関係ありません。この本の中に、母性愛と父性愛について論じている部分があります。父性愛は条件付き、「おまえが後継ぎとして有能ならば愛する」であることに対し、母性愛は無条件、「おまえの存在丸ごと肯定するよという愛」だという。
母親からの愛は子どもにとって受動的で、「愛されるためにしなければならない」ことなんて存在しない。資格も必要ない。無条件。ただし、「努力すれば」母性愛を得られるわけではないという点で、神の恵みのようなものであり、自分では(母性愛を得られる状態を)作り出せないとも言っている。
十歳くらいまでは、子どもは愛されるだけ、愛することを知らない、愛を返すことをしない、そうだ。子どもならそれでいいと思う。子どもを作ったおとなが、生まれて十年くらいの子どもに見返りを求めるのはどうかと思うよね。愛されればうれしいけど愛せと強要するのはちょっと……。
で、本題ですが。
おまえの存在丸ごと肯定するよ。という母性愛ならみんなほしいよ。
生の声を読むためにジェンダーとかセクシャリティとかの話題を漁ってネットをさまようと、『求められているのは母性愛……』って感想が頭の中にちらつくんですよ。「結婚したい」「嫁ほしい」発言の奥に、「自分の存在丸ごと肯定してくれ」ってニュアンスがにじんでいるように感じられる。まあおそらく「結婚したい」「旦那ほしい」女もそう思っている。女性の声はフェミニスト界隈にしか転がってないのかな……。こじらせている人が多くて好きじゃないんだけど。
いや別にいいんですよ。無条件に愛してほしいなんて本能的な欲求でしょ。持っていていいんだよ。いいんだけど、それ、配偶者に一方的に求めるのはよくないんじゃ……?
女は女の体に生まれただけ。男が男の体に生まれたのと同じことです。男が「男らしく」「男のくせに」と負担を強いられているように、女は「女らしく」「女のくせに」と息苦しい抑圧を受けています。お互いに当事者じゃないとわからないことはあるから、そういうものだと認識して会話した方が建設的だと思います。
女は女の体に生まれただけですが、どうも『母性愛』は女なら先天的に備わっているものと男性からは思われてます? 女だってそれは苦労して手に入れているし、手に入れられなかった人もいるし、先天的に持ってましたかと聞いてみたいくらいに自然な人もいる。女ならだれでも持っているわけではないのですよ。
んで、ですね。女ではないという意味で当事者ではない男性諸氏、あなた方が嫁に欲しいのは『母性愛という概念』ではないですか? と思うのです。自分のことを無条件に受け止めてくれる人。自分が愛さなくても、自分を愛してくれる人。条件も資格もいらない。受動的に、ただ愛されていればいい状態。努力しても与えられるわけじゃない点も含めて。
――そのような『嫁』がいると思います? 『概念』ですよ。母性愛の擬人化みたいなもの。
それを求めるのは女性も同じだろうという反論はあるだろうと思います。ありますよ、それがなにか。
少女マンガなんて典型的じゃないですか。目立たない『わたし』がスパダリに見初められてしあわせになる話が大半じゃないですか。あこがれていますよ、それに何の問題があるんです?
フィクションでそれだけ存在するってことは、「現実にはほぼ不可能」ってことじゃないですか。
多くの男性が一度は夢見ていると思われる『周りには主人公を好きな女の子しかいないハーレムの創作物』みたいに、「現実にはほぼ不可能な夢」じゃないですか。
女性が結婚相手に金(収入や将来性)を求めがちなのは、少女マンガが現実じゃないと認識しているからです。妊娠出産乳幼児育児の真っ最中、どれだけ安全に暮らせるか。命に関わる問題なんだから、真剣に相手を選びます。ぶっちゃけ、配偶者が自分を気遣わない男でも、金さえ払えばサービスが受けられるんだから、金持ちをゲットできれば何とかなります。結果的に子どもを持たなかったとしても、結婚するからには子どもについて考えていない女性はあまりいないと思います。
妊娠は病気じゃないって言いますけど、『病気と違って治せない』って意味ですからね。妊娠中は薬も気軽には飲めないんですよ、ご存じでしょうけど。生存性バイアスで楽観的にとらえないでください。妊婦は死ぬかもしれないし、出産で一生障害が残るかもしれないんです。命がけ。いやでも考えます。体も心も変化します。胎児の健康についても母親に責任がついて回りますし。
夫、父親はどうでしょうか。
自分の子どもを体の中で育んでいる妻にどう接しますか。あなた(と彼女自身)の子どものために命を賭けている妻に、なにをできますか。あなたの配偶者は、『あなたの子どもへ』母性愛を注ぐ存在じゃないんですか? あなたは『自分の子どもに愛情を注ぐ父親』のはずじゃないですか?
当然ですが、だれもが全部とは言いません。でも、日本で多くの男性が配偶者に求める行動、『母性愛の概念』であるように見えます。現実の人間じゃなくて『母性愛の擬人化したもの』を想定しているような。『幼い子どもの目に映る母親』のように完璧な、母性愛の象徴を合格基準にしているような。たぶん専業主婦と子どもを父親一人の収入で養うことができた時代に見たものなのでしょうけれど、それだって母親側へしわ寄せが行っていたんですよね。男性の目に映るものほどには理想的な状態ではなかった。
子どもと母親の関係って、母親が子どもの庇護者である(上に見る)ことと、母親の無条件の愛情は子どものものである(下に見る)ことが、両方含まれているじゃないですか。ネットでよく見る女性に対しての意見が両極端な感じを如実に表しているようにも見えるんですよね。甘えて寛容を求めるか、自分を無条件に愛して行動するべきと奴隷扱いするか。(飼い主はネコさまの奴隷的なニュアンス)
『現実に存在している、長所も欠点もある人間』同士の、「いっしょに家庭を作るんだ」って意識ではないような気がするんです。成人して自立している男女のはずなんだけど。
男性の語る意見の中に、女の人格が見えないというか。女が発する言葉、本当の意味で男性の脳に届いているのかな? 男同士で話すときと同じレベルで、耳を傾けるに値する意見かもしれない、って思ってもらえているのかな? 「感情的で耳を傾けるに値しない」って決めつけているとき、「本当にそうか?」って自分の胸に手を当ててくれることがあるの? 「おまえはこう思っているんだろ」って男性が想像したニセモノの人格じゃないって確証がある?
ちゃんと聞いているつもりの人には伝わらないんだよなぁ、これ。自分自身に深く厳しく問いかけてもらわないといけないから。
そのあたりを当たり前のこととして認識している男性は、早いうちに結婚しています。結婚生活は話し合い、認め合い、うまくいっている可能性が高いでしょう。認識していなくてもお金があれば、やはり結婚できます。金さえあればなんとかできますから。
そして残る、瑕疵あり物件。男女ともに。婚活市場でデータ化されるのは、そういう人たちの意見です。傷のない候補などいない。
男女とも最低限のリスク管理はしたいよね、家庭を持つなら。二人とも家事ができる、二人で子どもを育てる、二人とも収入がある。相手が倒れたら自分が助ける。自分が倒れたら相手に助けてもらう。それって、結婚ってものに理想を抱きすぎですかねぇ?
自称弱者男性、「女が求めているのは金だから」って決めつけがちですけれど、その女性像は男性の頭の中で想像された虚像では? 男性を苦しめている「男らしさ」という期待、男性たち自身の価値観ですよ。女にとっての「頼りになる」ってソレじゃない、ってことが多い。男らしさという呪縛を逃れるイコール女っぽさ、なよなよ、みたいな考え方自体が、男社会の規範だし。
弱音吐いたっていいよ。現代の日本で収入が厳しいなんて女だって知ってるよ。つらければつらいって言えばいいよ。男を馬車馬のごとく働かせている会社の上層部にどれだけ女性がいる? 男も搾取しているのは一部の男性なんじゃないの? 泣いても一時的に逃げてもいいよ、ただし自分の人生には向き合わなければならない。永続的に逃げるのはダメだ。悩みや苦しみを一人で抱え込んで自殺する男性よりも、医者やカウンセラーを頼ったり、自分で自分のケアをして生きている男性の方がよっぽど「男らしい」よ、かっこいい。配偶者に愚痴を聞いてもらいながら明日も仕事に行く、あるいは、具体例挙げてブラック企業つらい、転職してもいいかと話し合うのでもいい。対等な関係ってそういうものじゃないんですか。いやなことから逃れたいだけの逃避じゃなく、客観的にも筋が通る前向きな決断なら、「わかった。わたしもがんばる」って答える女性が大半だと思うんだけど。
すでに関係がこじれた家庭を救済する方法は考えつきませんけど。
自分の世話で手いっぱいだから結婚する気が全くないわたしの主観だから、勘違いかもしれない。わたしが『男性』って言っているのも個々人じゃなく、一般化した概念だし。個人に対して感じた部分があるとしても、それを個人に詰めよればモラハラだし、言えない。
それでも、この対等じゃない感じが、日本のジェンダーギャップなんじゃないかなぁと、ふと、思ったのでした。
最後に。
母性愛、つまり無条件の愛情。
女だってほしいです。男も女もかつて子どもでした。無条件の愛、ほしい。
結婚した二人が共に、相手に無条件の愛情を与えることができたら、それがいちばんだと思いますが、どうでしょうか? 理想論だけど、心がけることくらいならできるんじゃないでしょうか。
追記。
男女平等って、男性が女性の役割を担うことではないし、女性が男性の役割を担うことでもないと思うんですよ。性別にかかわらず、あらゆるチャンスを与えられることが、平等だと思う。選ぶかどうかは別の問題。土木や建築現場の業界で女性が働きづらいように、看護や保育の業界で男性が働きづらいように、不平等は存在している。あらゆる生き方の挑戦権、不平等ですよね? 女性だけでなく、男性にとっても。性別ではなく個人の能力と希望で選べる社会になってほしいものです。
教育の現場で、現在は性別による区別がだいぶなくなっているそうで、若者は性別役割分業に疑問の声を上げてくれます。性別で区別された中年以降の世代が、時代に沿う若者の声に耳を傾けられるようになりたいものです。
パソコンが勝手におすすめ記事を選んで表示してくる現代、ネットでの情報収集はバイアスがかかっている可能性が高いと認識しています。所詮は「わたしの目に映る社会」の話です。
ネットの情報だけでなく、創作物や現実での話(友人などの体験談)も含めたうえで、書きましたけれども。