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精霊たちはお怒りの様です

 お父様を放置したまま謁見の間を退出し、行きと同じくルーブル伯爵令息様の案内に従って歩くこと暫し。段々私に慣れてきたのか、彼も少しだけ口を開いてくれるようになった。


「アナスタシア様が私の名前をご存知だとは思わず、先程は失礼を致しました」

「同じ社交界にいるもの同士ですもの。名前くらい、知っていて当たり前ではないですか。それとも、わたくしをそんなに無礼な輩だとお思いですの?」


 酷い方、と冗談混じりにくすくすと笑いながら言えば、彼は困った顔になる。困らせるのは本意では無いので、話題を変えることにした。


「冗談ですわ、あまり困った顔をしないで下さいませ。

 学園で同じクラスに在籍していたマルク様が、とても自慢のお兄様なのだと、貴方のことをよく話していたのですわ。素敵なお兄様がいて羨ましゅうございます。……あら、こんなことを言ってはお兄様に怒られてしまいそうですね。今のは内緒にして下さる?」


 そう言ってちらりとルーブル伯爵令息様を見上げると、彼は苦笑しながら頷いた。穏やかな空気が流れるが、どうやら何も起こさずに帰ることは出来ないらしい。

 私の周囲をふよふよと漂っていた精霊たちがざわざわと騒ぎ始めた。ルーブル伯爵令息様も何やら警戒した様子だ。


『アナ、アナ、あいつが来るよ』

『アナを虐めるイヤなヤツ』

『クソみたいなヤツ』

『こっちに来てるの』


 険しい顔付きのルーブル伯爵令息様と顔を見合わせ、足を止める。結局馬鹿王子とは遭遇するのかとうんざりしている間に、何やら喧騒が近付いてきた。廊下を行き交う侍女や女官は怯えて居るように見えるし、「お待ちください!」と必死で止める騎士の声と、「黙れ! 俺は王太子だぞ!」と叫ぶ馬鹿王子の声がする。

 ……はあ、どうしたって面倒な事態は避けられないものね。

 心の中で溜め息を零すのと、馬鹿王子………… …ルーカスが私の事を見付けるのは同時だった。


「おい、アナスタシア!」


 これだけの人目がある所で、婚約者でも何でもなくなった公爵家の令嬢を呼び捨てにし、あまつさえ睨み付けるだなんて……。馬鹿? さては馬鹿なのね?

 ルーカスを追いかけて来たらしい騎士は、どうしたら良いのか分からずに右往左往している。気の毒なことではあるが、見張っていたのならきちんと職務を全うして欲しかったわ。止めても聞かなかったのでしょうけど。


 私の前に立つルーブル伯爵令息が、私を庇うように左手を私の前に伸ばす。ルーカスをそれ以上私に近付けまいとする騎士を見て、ルーカスは(まなじり)を釣り上げた。


「おいお前、無礼だぞ! 退け!」

「承りかねます」

「俺は王太子だぞ!  罷免(ひめん)されたく無ければ退け!! 今ならまだ許してやる!」


 王太子に怒鳴りつけられても、彼は凛と背筋を伸ばし沈黙したまま動かない。その様子を見てルーカスは舌打ちした。


「主が無能だとその従者の騎士まで無能になるのか!?」


 ルーカスがそう言った途端、彼の雰囲気が剣呑になる。当然の反応だ。

 ルーカスったら、彼の制服が見えてないのかしら。その制服、騎士団のものよ? 騎士団の主は陛下なのだけど、陛下を侮辱していることに気付いてる? 相変わらず周りが見えないんだから。


「ごきげんよう、殿下。卒業パーティー以来にございますわね。今日はお会い出来ないものと思っておりましたわ」


 騎士の背中越しにそう声を掛けると、ルーカスにギロっと睨まれた。あら怖い。


「卒業パーティー以来にございますわね、ではない! これをやったのはお前だろう! 男の背中にこそこそと隠れてないで早く何とかしろ!!」


 喚き散らすルーカスの周囲には黒い(もや)のようなものが纏わり付き、意志を持っているかのように(うごめ)いている。その様子は今にも周囲のものを呑み込まんばかりだ。

 控えめに言っても気味が悪い。侍女たちが怯えるのも当たり前よね。私だって近付きたくないもの。


「わたくしは、そのようなことはしておりませんわ。わたくしの魔力がそこまで多くも強くもないのは、第1王子殿下もご存知のはず。こんな大きな魔法、わたくしでは行使出来ませんわ」


 頬に手を当て、困ったような表情でこてりと首を傾げる。嘘は吐いていない。

 私が自分で行使出来る魔法が強くは無いのは同じ学園に通っていた人なら知っているし、ルーカスをこんな状態にしたのは精霊たちだもの。


 私の前に立っていた騎士が気遣わしげな表情で私を見、次いで剣呑な顔でルーカスを睨む。騎士はか弱い人の味方よねぇ。一方的に責め立てられる令嬢と罵声を上げる男性なら、そりゃあそうもなるわよね。

 まさか騎士に睨まれるとは思っていなかったのだろう、ルーカスが一瞬たじろいだ。そんな自分が許せなかったのか、我に返った瞬間に目を吊り上げていたけれど。


「嘘を吐け! こんなこと、お前以外の誰がすると言うのだ! 今までは力を隠していたのだろう! 卑怯なことを平気でできる人間がやってないと言ったところで、信用など出来るものか!」

「そう、ですか……」


 卑怯なこと、と言うのは裏でこそこそとテアトルサンク男爵令嬢を虐めたという件のことを言っているのかしら。

 あれ、彼女の自作自演よ? 馬鹿なの? 懲りるという言葉を知らないの?


「卒業パーティーの件、殿下のお怒りは解けていないのですね ……。わたくしは本当にやっておりません。

 それ程殿下に思われていらっしゃるテアトルサンク男爵令嬢様が羨ましゅうございますわ。

 …………わたくし1人の言葉だけに耳を傾けてくれる者など、わたくしにはおりませんから」


 私の周りは、自分できちんと事実を調べた上で行動する優秀な人ばかりだもの。貴方(ルーカス)とは違ってね。

 仮に私が本当にリーゼロッテを虐げていたとすれば、お父様たちは事実を自分で調べ上げた上で私を咎めると思うわ。たった1人の証言を盲目的に信じるなどという愚は侵さない方たちだから。


「残念だったな、そこがお前とリーゼロッテの違いだ! リーゼロッテに嫉妬して嫌がらせをするお前のような底意地が悪い女のことなど、誰も信じないということだ」


 けれど、案の定言葉の裏に潜めた毒はルーカスには通じなかったらしい。本当、なんでこんなのが王太子だったんだか。

 リーゼロッテの方がよほど底意地が悪いと思うのだけれど。実際彼女、それなりに多くの人から恨みを買ってるのよ?

 それに、どうして私が嫉妬しなければいけないのかしら。頭脳、容姿、家柄、魔法の技量。そのすべて私が上。それに、彼女は貴族のやり取りがろくに出来ない上に努力もしない。嫉妬する要素が見付からないわ。面白くない冗談ね。

 ……はあ、これ以上相手をしていると馬鹿が移りそう。


「……殿下。わたくし、修道院に行く事が決まったのです。もう、お会いすることもないと存じますわ。卒業パーティーの折にも伝えましたが、どうぞこの先もリーゼロッテ様と仲良くお過ごし下さいませ」


 廃嫡されて苦労するでしょうし、リーゼロッテは平民になる。それでもなれるものなら、幸せになるといいわ。

 そもそもリーゼロッテは王太子としての地位とルーカスの顔にしか魅力を感じていないように思うのだけれど。


「お前には似合いの末路だな」


 予想はしていたが、ルーカスは婚約を破棄された罰として私が修道院に送り込まれると思ったようだ。私から望んだのだけれどね? 婚約破棄に対する周りの反応が未だに理解出来ていないようね。


「では、失礼致しますわ」


 二度と会いたくはないものね、お互いに。

 心のなかでそう毒づき、礼もそこそこに私はルーブル伯爵令息に先導されながら馬車寄せまで歩いて行った。

 ルーカスは当初の目的は完全に忘れているようだけれど、私には関係ないわよね。


「ルーブル伯爵令息様、本日はありがとうございました。とっても頼もしゅうございましたわ」


 馬車寄せに付いたので、ここまで案内してくれていた騎士にお礼を述べる。勿論、貴族令嬢らしい楚々とした微笑みも忘れずに。


「いえ、お役に立てたのでしたら光栄です。…… …あの…」

「何でしょう?」


 笑顔を向けると、少し耳を赤くした騎士が聞いてもいいのか悩むように言い淀む。ルーカスに会う前の楽しげな雰囲気はすっかりどこかに行ってしまっていた。

 視線を彷徨わせ、どうしようかと悩んでいる騎士に私はこてりと首を傾げて先を促す。


「アナスタシア様は、大丈夫ですか……?」


 散々悩んだ末に、彼はそう口にした。何を心配されているのか、良く分からないのだけれど。

 内心首を傾げていると、伝わっていないことが分かったのか騎士は再び口を開く。彼はやっぱりどこか言いづらそうだった。


「ルーカス殿下の事は……その……」


 ああ、なるほど。言ってもいいものかと悩む姿に、言いづらそうだったのもそのせいかとようやく得心した。先程のやり取りを見て心配してくれたという事なのだろう。悩んでいたのは、彼が完全な部外者だからかしら。

 一方的に婚約を破棄された元婚約者に悪しざまに言われ、その上私が修道院に行くと言ったことで、騎士道精神を刺激してしまったのだろうか。


「ふふ、心配して下さってありがとうございます。あの様なことは言われ慣れておりましたし、修道院に行くことについてはわたくしが自分で決めたのですから、ご心配には及びませんわ。心配して下さるなんて、騎士様はお優しいのですね」

「…え、あ、その……」


 にっこりと微笑んだ瞬間、眼前の騎士の顔が赤く染まる。真っ赤だ。口をパクパクと開閉させて何か言おうとしているが、全く言葉になっていない。

 ……私、何か怒らせるようなことを言ったかしら。おかしいわね、全く分からないわ。心配するなんて勘違いするなよってこと? でも、少し話した感じではそんなこと考える方ではなさそうなのよね。

 まあ、気分を損ねてしまったことは確かなようだし、これ以上不快にさせる前にさっさと退散してしまいましょう。


「では、ご機嫌よう」


 御者の手を借りて馬車に乗り込む。この場合、本来ならば騎士がエスコートするものなのだけれど、その騎士は今、真っ赤な顔であーとかうーとか唸っている。とても無理だと判断したらしい。

 御者はいつもと同じくエリックだが、今日はフィリップもちゃんと御者台に座っていた。屋根の上にいないなんて珍しい。

 私のエスコートをするエリックの表情は普段と同じなのだけれど、その口元はぷるぷると微かに震えていた。明らかに笑いを我慢している。

 そんなに面白いことがあったかしらと思いつつ窓の外に視線を向けると、騎士が騎士の礼をする姿が見えた。それに淡く微笑みを返す。騎士の姿が見えなくなると、口からほっと息が零れた。


 ……ああ、なんだかとっても疲れたわ。

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