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彼にも出来ないことがあるようです。

きりがよかったので短めです。

追記:すみません、予約投稿できていなかったことに今気が付きました……!

 動揺した様子のエリックに促されるまま馬車を降りると、そこには確かに石が浮いているとしか表現の仕様がない光景が広がっていた。

 そこにあったはずの石橋の姿がなく、崩落したはずの橋を構成する石も見当たらないことから、かろうじて浮かんでいるのはその石なのだろうと予想出来るけれど。


「何よ……これ」

「お嬢様もご存知無いのですか? 突然急ぐようにと言われたので、てっきりお嬢様は知っているとばかり……」


 不思議そうなエリックに向かって首を横に降り、私は馬車の止めてある方を振り返った。

 こんな常識離れしたことができる人物なんて、心当たりは1人しかいないわよ。


「彼…………ヴィンセントが、橋が崩落したのだと教えてくれたの。まさかこんなことになっているとは思っていなかったけれど」

「あぁアナ、初めて俺の名を呼んでくれたな。ヴィンセントでは無く、ヴィンスと呼ぶが良い。別にシオンでも構わないぞ? お前には俺の名を呼ぶ資格がある」

「……!」


 好きな方を選べ、と彼が言う。至近距離から突然聞こえてきた声に驚いて勢いよくそちらを向けば、鼻先が触れてしまいそうなほど近くにくつくつと楽しげに笑う端正な顔があった。

 その顔は確かに笑っているのに、どこか怒っているように見えるのは何故なのだろう。


「貴方……いつの間に」

「この程度の距離、無いも同然だろう? アナが俺の名を呼んだから移動してきたまでだ」


 堕天使の様子は至極あっさりとしたもので、いつものことながら最早私が驚いているのが馬鹿らしくなってくる。非常識なのはヴィンセント(あちら)なのに、まるで私がおかしいみたいじゃない。

 ついそんなことを考えてしまって、口から溜息が零れる。それを、私に関して理由が不明の執着を見せる彼が見逃してくれるはずも無かった。


「アナ、溜息なんて吐いてどうかしたのか? 何でも言ってみろ、お前の憂いは俺が取り払ってやろう」


 真面目な顔で言ってくる彼だけれど、だからと言って溜息の原因は貴方です、なんて言えるはずも無く。再び零れそうになった溜息を何とか堪え、私はふいと彼から視線を逸らした。


「結構よ。この石は貴方の仕業?」


 すげなく断った後で宙に浮かんでいる石を指差せば、目の前の堕天使はあっさりと頷いた。


「そうだ。其方が気にしていたからな」


 相変わらずの規格外に、思わず溜め息が零れる。普通は視認出来ない場所にまで魔法を使えないものなのよ……。彼が精霊たちよりも強い力を持つことは知っているけれど。

 はあ、彼と出会ってから溜め息を吐くことが増えた気がするわ。


「……そう。エリック、念の為マリベルとカイとフィリップに連絡しておいて頂戴」


 そう指示を出すと、エリックは分かりましたと頷いた。現在別行動を取っているあの3人は、先に最終目的地に到着しているはずだ。到着が遅れる可能性だけでも、伝えておかなくてはならない。


「私たちは怪我人がいないかを確認に行くわよ。貴方はどうせついてくるのでしょう?」


 堕天使の方を振り返ってそう聞くと、彼は当たり前の顔で頷いた。


「そうだな、其方が行くのが適任だろう。俺では傷を治すことは出来ないからな」


 言われた言葉がとても意外なもので、思わず踏み出しかけた足を止める。再び振り返って彼を見ると、不思議そうな顔をしていた。


「……意外だわ。貴方にも出来ないことってあるのね」


 大抵のことは出来てしまうから、出来ないことは無いのかと思っていた。さっきみたいに石を浮かせてみたり、ね。

 けれど、どうやらそれは間違いだったらしい。


「確かに大抵のことは出来るが、俺とて万能ではない。1度命を落とした者となれば話は別だが、基本的に傷を癒すのはセレニテスィヨンの領分だな。全ての力を操れるのはヴァルリウスだけだ」


 そう言って彼は、ふっと笑う。その顔には、私に向けられるものとはまた別の種類の優しさがあった。

 彼にも出来ないことはあるのだと知れて、何だかホッとしたわ。


「それより、急ぐのだろう? しっかり捕まっていろ」


 そう言って、彼は私の腰に手を回してくる。それに文句を言う間もなく、視界に移る景色が一瞬にして変わった。


「……まあ」


 先程まで遠目で小さく石が浮いているのが見えていただけだと言うのに、間近で見ると崩落した橋の残骸である石はそこそこの大きさがあった。この様子では、もしも石の下敷きになった人がいれば大変なことになっているのでは無いかしら。


「……ちょっと、離して頂戴」


 未だに私の腰を抱いたままの彼を横目でじろりと睨む。不機嫌な私を見た彼は、ぱちぱちと瞳を瞬かせ、悪びれた様子もなく笑いながらすまんと言った後パッと手を離した。

 はあ、と口からため息が漏れる。


「疲れているのか? アナ」

「誰のせいだと思っているの? それに、転移するなら先に教えて欲しかったわ」


 たったこれだけの距離でまさか転移を使うとは思っていなかった。短い距離で、しかも一瞬だったとは言え、転移は魔力酔いを誘発するのであまり進んで体験したいものでは無い。そもそも使える人など滅多に居ないけれど。

 息を吸って気分を整えようとしている私を見て、堕天使は想定外だったと言わんばかりにぱちりと目を瞬いた。


「……そうか、人間は脆いのだったか。俺の……があるとは言え、アナも人間なことに変わりはないからな。失念していた、すまない」


 申し訳なさそうに眉を下げて謝られては、怒る気も失せてしまう。連れてきてもらったのだから、元より大して怒ってもいなかったけれど。


「……まあ、いいわ。ここまで運んでくれてありがとう」


 多少気分が落ち着いてから周りをぐるりと見回すと、数人が怪我をしているのが見えた。見たところ、そこまで酷い怪我をしている人はいないように思う。

 不思議なのは、そこまで大きな怪我をしている人がいないにも関わらず、一様に動こうとしないことだ。動けないというより体に力が入らないのか、彼らは皆だらりと気に背を預けたり、その場に寝転んだりしている。


「これは、どういう状況? 彼らに何かしたの?」

「別に大したことはしていない。一時的に痛覚を含めた神経を殺しただけだ。直に戻る」

「……分かったわ。今のうちに治した方がいいのね」


 時間が経てば元に戻ると言うのなら、もう何も言うまい。彼に関しては理解しようとするだけ無駄だ。やっと、そのことに思い至ったわ。


 自分の魔力の媒介となる杖を取り出し、魔力を注ぐ。別に杖が無くても魔法は使えるけれど、効果を高めるためには杖を使った方が都合がいいのだ。

 そうして魔法を発動すれば、白く優しい光が怪我をしている人たちをふわりと包み込んだ。


 怪我が治ったのだろう、突然の光に驚いた彼らはキョロキョロと当たりを見回している。彼らに見つかるのも時間の問題だ。その前にこの場を去ってしまおうと思い、私はそっと傍らに立つ堕天使を見上げた。


「ねぇ、彼らが私たちを認識出来ないようにすることって出来るかしら」

「出来なくは無いが……こちらの方が早いだろう?」


 ニヤリと笑った堕天使は再び私の腰に腕を回してくる。何が来るのか分かっているので今回は驚くようなことも無く、転移酔いに備えることも出来た。


「ありがとう、助かったわ」

「このくらいは大した労力では無い。だが、そうだな……本当に感謝していると言うのなら、対価を要求しても許されるとは思わないか?」


 楽しげな様子の堕天使を見て、思わず身構えてしまう。何を要求されるか分かったものでは無い。初めからこれが目的だったのかしら。


「残念だけれど、私から貴方に差し出せるものなど無いに等しいわよ」

「そんなに警戒しなくとも良い。そう難しいことでは無いはずだ」


 そうして告げられた『対価』の内容は予想外のもので、私は大きく目を見開いた。

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