修道院へ出発です
長いです。
レベッカの家名を変更しました。
レベッカとのお茶会の翌日、我が家の門前には多くの人が集まっていた。お父様とお兄様、それから公爵家の使用人だ。
「貴方たち……わざわざ集まってくれなくてもいいのよ? 大変だったでしょう」
いつもならようやく私たちがが起き始める時間である。主一家が起きる前に全ての支度を済ませなくてはならないのに、この時間に出てくるためにどれほど無理をしたのかしら。
「いえ、とんでもございません。お嬢様をお見送り出来ないことの方が大変なことです。それに、旦那様が今日の業務は多少遅れても構わないとおっしゃって下さいましたので」
「お父様が? ごめんなさいね」
予想外の執事の言葉に目を瞬き、嘆息する。それじゃ、見送れと言っているようなものじゃない。
お父様の言葉に甘えて彼らが業務を遅らせるとも思えないし、申し訳ないわ。
「お嬢様、私たちは強制されたのではありませんよ。こちらから旦那様にご相談したんです」
「そう……」
その言葉を信じるほど私も純粋ではない。私にお父様を責めさせないために、彼らはそう言ったのだと分かっている。けれど、信じたフリくらいはしておきましょう。
とりあえず、元凶のお父様の元に向かおうかしら。一言文句を言ってやらなくちゃ。
「いくらなんでも急すぎる! アナ、こんなに早く出発することは無いだろう? もう少しだけ出発を遅らせないかい?」
「それを大人しく聞いていたらお父様がどれだけ先延ばしにするか分からないではありませんか」
「アナぁ…」
お父様の元に行くと、お父様は情けない声を上げて眉を寄せた。お兄様はそんなお父様を見て呆れたように溜め息を吐く。
「全く、父上は仕方がないな。こうなるのは分かり切ってたし、ひとまず父上のことは放っておこう。あんまり気にしなくて良いよ、アナ」
「ありがとうございます、お兄様。自分で決めたことなのに、いざとなると旅立つのは寂しいものね」
「らしくも無いな。せっかく第1王子殿下から解放されたのだから、好きに生きれば良い。ここがお前の帰る場所であることは変わらないしな」
そう言って、お兄様は優しく笑う。ぽんと頭に手を置かれてくすぐったい気持ちになった。
「修道院に行っても元気でやるんだよ。まあ、アナにその心配はいらないかな」
「ええ、精々がんばるわ。クーヴレール公爵家に不利益をもたらすことは絶対にしないから」
「アナがそんなヘマをするとは思ってないよ。自慢の妹だからね」
たとえ兄馬鹿だろうと、お兄様に自慢の妹だと言われるのは嬉しい。私にとってもお兄様は自慢の兄だ。
「エルザとマリベルも元気で。僕の可愛い妹をよろしくね。君たちは優秀だから、頼りにしてるよ」
言いながら、お兄様はちらりとエルザに視線を向ける。
お兄様? それ、言外に優秀なのはエルザだけって言ってるわよね? マリベルだって優秀なのよ。給茶と戦闘、危機察知能力に限るだけで。
「もったいないお言葉にございます、若様」
「お嬢様のことは任せて下さい!」
私の後ろに視線を向けたお兄様がエルザとマリベルに声を掛けた。エルザがうやうやしく一礼したのが分かる。マリベルも勢いよく頭を下げていた。
修道院に行くのは私だけでは無く、侍女の2人と護衛3人組も一緒だ。ふと拾った当時の彼らのことが思い起こされて護衛3人組を見ると、彼らは忙しそうに動き回っていた。
私の馬車の周りで準備を進める彼らを何とはなしに眺めていると、お兄様がにこりと微笑んでエルザに話しかけた。
「ああ、そうそう。例の羽虫たちには僕からもお仕置きしておくよ。希望があれば聞くけど、何かある?」
「いいえ、若様にお任せ致します。きっと素晴らしい方法で成し遂げて下さると信じておりますから」
ははは、うふふと優雅に微笑み合うお兄様とエルザにぞっとする程寒々しいものを感じてそっと腕を摩った。予想外のところに暴走族予備軍が。
イイ笑顔で微笑み合っているお兄様とエルザの傍から離れて、いつの間にか門の前に移動していたお父様の元に向かう。マリベルも私の後を着いてきた。
「お父様」
私の声に振り向いたお父様は、眉をへにょんと下げてなんとも情けない顔をしていた。捨ててきた威厳、早く拾って来て下さい。
「ア、アナぁ…。やっぱり修道女になんて……」
「それが無理なのは、お父様が1番分かっておられるでしょう?」
「………。はあ、本当に行くのかい?」
「はい、お父様。今まで育てて下さってありがとうございました」
「そんな最後みたいなこと言わないでくれよ…」
お父様は渋いお顔だけれど、これからはほとんど会えないのだから間違ってはいないと思うの。泣かれても嫌だし言わないけれど。
「離れていても、私はお父様の娘ですよ?」
本心からにっこりと笑うと、お父様は一瞬で陥落した。チョロい。暫くずっと、お父様は「誰だこんな可愛い娘に育てたの…」「むしろ俺もアナと一緒に行ってしまいたい…」などとぶつぶつ言っていた。
「はあ…………………。仕方がない、お前はカーラの娘だからな。体調には気を付けなさい。お前が元気でいてくれたらそれだけいいが、くれぐれも無茶はするなよ。何かあれば周囲を頼れ」
深々と長い溜め息を吐いたお父様は、昨日のレベッカと同じようなことを言う。私ってそんなに信用ないのかしらね。
「エルザ、マリベル、アナが教会の奴らに何か言われてたら直ぐに知らせてくれ。俺の持てる力の全てでもって報復してやろう。エリックたちにも伝えておけ」
「ご心配には及びません。旦那様のお手を煩わせることなく、わたくしどもで対処致します」
「はいっ! お嬢様を虐める奴らはけちょんけちょんです!」
「マリベルさん?」
「ひっ……」
いつの間にか私の背後に立っていたエルザが怖い。全く気配を感じなかった。私、多少は護身術も嗜んでいるのだけれど。
それからお父様、公爵家の権力をそんな無駄な事に使わないで下さい。持てる力の全てって、何をするつもりですか。
ガラガラガラ……。
馬車が近付いて来る音が聞こえる。それも1台ではない。こんな朝から一体何事なのだろうか。
「「アナ!」」
我が家の門の前に止まった2台の馬車には、クローデル侯爵家とガーベラ商会の紋章。
馬車が止まると同時に、それぞれの馬車からレベッカとリヴィが勢いよく飛び出してきた。
え、ちょっと待ってどうして2人がここにいるの。そして何故フレデリック様も一緒なの。予想外の事態に一瞬頭が混乱した。これは一体何事?
「レベッカ、リヴィ…」
あまりに予想外のことに、おもわずじとっとした目で2人を見てしまう。そんな私の反応を見てレベッカは唇を尖らせ、リヴィは苦笑した。
「何よ、もう。わざわざ見送りに来たのだし、もう少し嬉しそうにしてくれない?」
「教えてくれないなんて水臭い。レベッカに聞くまで、アナの出立が今日なんて知らなかったぞ。見送りも出来ないなんて寂しいじゃないか」
2人に悪びれた様子はない。いや、そりゃあ教えなかったのは悪かったと思わなくもないけれど。
視界の隅で笑いを噛み殺しているお兄様、知っていたでしょう。 お兄様ってどうして変に悪戯好きなのかしら。それともリヴィに会いたかっただけ?
「だから言っただろう? レベッカ、オリヴィア嬢」
「だって」
「私たちだって見送りたかったんだ……」
「当日の朝にいきなり訪ねたら、流石のアナスタシア嬢も驚いてしまうよ」
穏やかな笑顔でレベッカを窘めるフレデリック様。いいわもっと言っておやりなさい……と、思っていられたのは本当に少しの間だけだった。
しゅんとしてしまったレベッカを見てフレデリック様が慌てて慰め出したのだ。レベッカ……それ、絶対に演技でしょう。フレデリック様がレベッカに甘いのを忘れていたわ……。
「オリヴィア」
「は、ひゃいっ」
「久しぶりだね、元気にしていたかい?」
「お気遣い頂きありがとうございましゅ……っ。ク、クーヴレール公爵令息様もお元気でしたか!?」
フレデリック様とレベッカが桃色空間を形成しているすぐ側で、お兄様とリヴィも負けてはいない。
普段は凛々しいリヴィが噛んでいるのを見て、お兄様が頬を緩める。真っ赤な顔でわたわたしているリヴィを見る機嫌の良さそうなお兄様の目に、何とも言えない気持ちになった。
あっちもこっちも桃色空間で胸焼けするわ。
向こうのやりとりがひと段落すると、フレデリック様は私の方に向き直った。その顔に紳士の笑顔は浮かんでいても先程レベッカに向けていた様な甘さは欠片もなく、熱がない。この方も相変わらずね。
「あー、レベッカがすまないね、アナスタシア嬢。これからは会うのも難しくなるから、最後に会って見送りたかったんだろう」
フレデリック様は穏やかな笑みを崩さないままに謝罪してきた。けれど、その瞳は明らかに『そんなレベッカが可愛い』と言っている。というかそれしか言っていない。
はいはい、相変わらずお熱いようで何よりだけれどここではないところでやってくれないかしら。お兄様もよ。いつまでもリヴィに迫ってないで。
「アナ」
名前を呼ばれて、レベッカへと視線を向ける。泣き虫レベッカは既に目を潤ませていた。早いわよ。
「元気で、なんて言ってやらないわ。そんなの、散々公爵様や公爵令息様が言っていそうだもの。
だから私からは……騎士の誓いを捧げるわ」
私の前に跪いたレベッカは、差し出した手を取り、そっと額を付ける。
この春から騎士になるからだろうか、レベッカのそんな仕草は酷く様になっていた。仕事の休憩時間に副団長とその婚約者の桃色空間を見ることになる騎士たち、ご愁傷さまです。
「我が名はレベッカ・クローデル。我が貴婦人の行く先に困難立ちはだかるとき、その困難を進んで打ち払うことを、我が名にかけてエスティヴァルパイアに誓う。どうかその歩む道に、幸多からんことを」
言葉の内容に、思わず目を見張った。
誓約の内容はいい。あれは、困っている時には駆けつけて力になるというレベッカの決意だ。けれど、それを自分の名前にかけて秩序と裁きを司る天使に誓うのはわけが違う。
違えたら死ぬかも知れないのよ? 分かってるの、レベッカ?
「いつでも駆けつけるから、1人で無理なんてしないでよね」
そんな私の考えなんて分かっているはずなのに、レベッカは晴れやかに笑った。自分の命を賭けて私を脅すというのね? 全く、やっぱりレベッカには適わない。
けれど、命に賭けての誓約なんて重すぎる。やられっぱなしは癪だから、私からも仕返ししてやるわ。
「ありがとう。貴方のその誓い、その心意気に心からの感謝を贈ります。どうか貴方にエシャリテュフォンとセレニテスィヨンの御加護がありますように」
言葉と同時に、いくつもの光がふわりと舞う。その幻想的な光景と仕返しの内容にレベッカが目を見張った。
綺麗でしょう? 大人しくやられてばかりの私じゃないんだから。これで、多少誓約を違えたくらいで命を失うようなことにはならないはずだ。全く無茶をするんだから。
「自分で言ったんだから、撤回なんてしないわよね? こき使ってやるわ」
ふふっと笑って宣言すると、レベッカは心配そうに顔を曇らせた。
「アナ……こんなことしちゃっていいの?」
「言わなきゃ分からないわよ。受け取った以上、レベッカも共犯ね」
「な……っ、それは卑怯だわ!」
「あら、今更?」
心配そうな顔から一転して、レベッカの顔が怒ったようなものになる。最もそれは見せかけだけで、すぐに笑いだしていたけれど。
そうして笑い合っている私たちに、リヴィが近付いて来るのが見えた。お兄様から解放されたばかりなのか、その頬の赤みは引いていない。
「お疲れ、リヴィ。相変わらず大変そうね」
「ああ、全くだ。何故あそこまで構ってくるのだろうな……」
「そうは言うけど、リヴィも満更でも無さそうじゃない?」
「いい加減お兄様に捕まったら?」
「な……っ」
どうせ逃げられはしないのだし。
私とレベッカの言葉に、リヴィが真っ赤な顔で絶句する。暫くぱくぱくと口を開閉させた後、あからさまに話を逸らした。
「そ、そう言えばアナ、さっきの光は何だ?」
「あら、見てたのね。リヴィにもその内分かるわ」
答えは告げずにふふっと笑うと、リヴィはあっさり分かったと頷いた。
「隠しておいて聞くことではないけれど、気にならないの?」
「気にはなるが、アナが無意味な隠し事をしないことくらいは私にも分かる。精々のんびり待つさ」
信頼を含んだリヴィの眼差しがこそばゆくて、つんとそっぽを向く。そんな私を見た2人はおかしそうに笑った。
「……何よ」
「いいえ? 何でもないわ」
「ああ、何でもない。それより、これを渡そうと思っていたんだ」
そう言ってリヴィが渡してきた小箱には、青薔薇の下に小粒の真珠と涙型の紫水晶が連なっている耳飾りが入っていた。思わず顔を上げれば、2人の耳にも同じものがある。
レベッカが黄薔薇にサファイア、リヴィが赤薔薇にアクアマリンという違いはあるけれど。
「これ……」
「まあ、耳飾り型の通信具だな。アナの送ってきた指輪の通信具には遠く及ばないが、私たちからだ」
これ……相当質がいいものだわ。流石はガーベラ商会ね。
私の好みがよく反映されたデザインに、思わず口角が上がった。
「アナも通信具を送ってくるとは思わなくて被ってしまったが、装身具としてでも使ってくれ」
「ありがとう、大切にするわ。……エルザ」
名前を呼ぶだけで、いつの間にか背後に控えていた優秀な侍女は容易く私の意を汲み取った。今日付けていた耳飾りを外して、丁寧な手つきで新しい耳飾りを付ける。
「どうかしら」
「似合ってるぞ。もう少し大振りなものでもアナには似合うかもしれないがな」
「さっすが青薔薇様。青薔薇が良く似合うわねぇ」
レベッカがからかい混じりに私の社交界での呼び名を口にする。誰よ、宵闇の薔薇姫とか青薔薇様なんていう恥ずかしい呼び名を広めたの。
「それと、これは私個人からアナに。向こうで使ってくれると嬉しい」
「開けてみても構わない?」
「ああ、自慢の品だぞ」
渡された2つの箱の内片方の箱の蓋を開けると、ガラス製のティーポットとティーカップ、ガーベラの形をしたソーサーとガーベラが描かれたティースプーンが入っていた。ティーポットやティーカップの持ち手の部分にもやはりガーベラの飾りが着いている。
もう1つの箱を開ければ、こちらは近頃貴族令嬢の間で流行している工芸茶 ーー所謂、ポットの中で花が咲く紅茶の詰め合わせのようだ。だからガラス製のティーポットだったのね。
「アナは紅茶を飲むのが好きだろう? 新たな場所へ旅立つアナに、ガーベラの祝福があることを願って」
リヴィの商会の名前にも入っているガーベラの花言葉は、前進。旅立ちには相応しい花ね。リヴィの気遣いが嬉しくて、知らず知らずの内に口角が上がる。
「ありがとう、今から飲むのが楽しみだわ。荷物の詰め込みも終わったみたいだし、そろそろ行くわね。……エリック、この箱も馬車に積み込んでおいてくれるかしら。くれぐれも扱いは慎重にお願いね」
支度が終わったことを伝えに来たらしいエリックに声をかけて、受け取ったばかりの箱を預ける。エリックは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「もうよろしいんですか?」
「ええ、いいの。これ以上話せば名残惜しくなってしまいそうだもの」
「分かりました」
丁寧に箱を抱えたエリックに続いて馬車まで歩く。当然のようにレベッカとリヴィも着いて来た。
「レベッカ、リヴィ、元気でね。落ち着いたらこれで連絡するわね」
耳元で揺れる飾りに手を触れさせ、笑う。2人も通信具を用意しているとは思わなかったけれど、悪くないわ。
「フレデリック様も、わざわざ見送りに来てくださってありがとうございました。くれぐれもご自愛ください。貴方が傷付けばレベッカが悲しみますから」
「それはアナスタシア嬢にも言える事だろう?」
フレデリック様のことはそこまで好きなわけでは無いけれど、彼に何かあればレベッカが悲しむもの。私の大事な友達を泣かせたら許さないんだから。
馬車に乗り込んで窓から外を見ると、レベッカとリヴィが笑顔で手を振っている。レベッカの目が真っ赤になっているのは見ないフリだ。
お兄様とフレデリック様は穏やかな笑みを浮かべていた。こうして見ると2人とも穏やかな好人物にしか見えない。外見詐欺だわ。
窓から見えるお父様は号泣している。目、大丈夫かしら。腫れてしまわないといいのだけれど。
言葉を交わした後は荷物の積み込みを手伝ってくれていた使用人たちは、今はぴしっと並んで見送りの体制になっていた。
良く晴れたある日の早朝、親しい人たちに見送られて私は生家を後にした。
……あ、お父様に文句を言うのを忘れてたわ。




