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婚約破棄ですか、そうですか。

 とうとうこの日が来たのね……


 口から漏れそうになるものを必死に堪え、そっと目を伏せる。

 私の目の前には、1組の男女が寄り添うようにして立っている。豪奢な巻き毛の金髪碧眼の男と、栗色の髪にぱっちりとした翠の瞳を持つ女性だ。


「アナスタシア・クーヴレール、お前との婚約は解消だ!」

「アナスタシア様、わたし達は真実の愛で結ばれているのです。どうか、どうかお許し下さい……」


 仲睦まじそうに寄り添う彼ら。私を嘲笑う婚約者の瞳には、侮蔑の色がありありと浮かんでいる。栗毛の髪の彼女の瞳にはうっすらと涙の膜が張り、肩を震わせてひしと男にすがりついていた。


 ……今は王立学園の卒業パーティーの最中。広い室内には様々な色が入り乱れ、今日の主役である彼ら彼女らは談笑したり、食事を摂ったり、踊ったりして思い思いにこのパーティーを楽しんでいた。……だがそれも、つい先程までのこと。

 今は、この場にいる多くの人々がこの晴れの日に相応しくない催しに不快げに眉を(ひそ)めてこの国の王子と男爵令嬢に呆れた目を向けていた。


 真実の愛、と言ったけれど、そもそもこの婚約の意味を理解しているのかしら。私が婚約者に選ばれた事には意味がある。それを、貴方はご存知無いのでしょうね。


 今までの色々な出来事が頭を過ぎる。それに整理を付けてから、伏せていた顔を上げて令嬢らしく楚々と微笑んだ。

淑女たるもの常に美しく。決して、人にわかるように感情を揺らしてはいけない。そう、何度繰り返したかもしれない言葉を胸の内で反芻(はんすう)して。


「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 ゆったりと、突然婚約破棄を突き付けられた身としては当然の疑問を口にする。そんな私を見て、そんなことも分からないのか、とでも言うように彼は鼻を鳴らして嗤った。


「そんなこと、お前が1番分かっているだろう? 心当たりがないとは言わせないぞ、リーゼロッテが全て話してくれたからな」


 そこからつらつらと、ルーカスは私がリーゼロッテにやったという悪行の数々を上げ始める。見事に身に覚えが無いものばかりだ。

 そもそも、教科書を破いたり何なりという庶民的な嫌がらせを私が思いつくはずも無い。裕福な貴族なら迷わず新しいものを買うもの。

少し考えれば分かりそうなことすら分かっていない彼に言葉に出来ない思いが込み上げてきて、ぐっとこらえた。ダメよ、この場での無様は許さないわ。ずっと、頑張ってきたんでしょう。


「王太子殿下は、わたくしがそのようなことをしたと信じて居られるのですか……?」

「信じるも何も、事実だろう。リーゼロッテに嫉妬して嫌がらせをするなんて、相変わらずお前は性悪だな」


 そっと目を伏せ、震える声で尋ねれば心底軽蔑したようなルーカスの言葉が返ってくる。その途端、会場の至る所から殺気を感じた気がした。


「王太子殿下の御心は、テアトルサンク男爵令嬢の元にあるのですね……」


 寂しげな表情で悲しげに声を震わせ、少しの間俯く。貴族令嬢としては俯くなどありえないけれど、堪えきれない。そんな風に。

 それから暫くの沈黙の末に、私は背筋を伸ばして顔を上げ、にこりと2人に向かって気丈に微笑んだ。


「分かりましたわ、婚約は解消致しましょう。王太子殿下、どうぞテアトルサンク男爵令嬢とお幸せに」


 本音を笑顔の仮面に押し隠し、ゆっくりと優雅なカーテシーを披露する。男爵令嬢には真似出来るはずもない美しいそれに、周囲の人間からほぅ ……と感嘆の溜め息が零れた。

 私を陥れることはできても、こんな礼は出来ないでしょう? そんな意味を込めてくすりと嗤えば、リーゼロッテは悔しそうに顔を真っ赤にしてぶるぶると震える。あら単純。


 そして、私とリーゼロッテの無言のやり取りに気付きもしないルーカスはと言えば、素直に頷いた私を疑問に思ったのか、片眉を上げて驚いた様な表情を浮かべていた。


「いいのか? お前は俺の事が好きだろう?」

「……」


 彼から繰り出された思いもよらぬ言葉に、私は思わず言葉を失った。寄りによって、この場でそれを言うのね。無様な私を、衆目に晒して笑うおつもり? 本当に酷い方。


 きっとどう答えても彼は自分の良い様にしか受け取らないのが分かるから、控えめな笑みを浮かべたままに沈黙する。それをどう解釈したのか、彼はハッと鼻を鳴らして得意気に笑った。


「おかしいとは思っていたんだ、この俺の婚約者が何の取り柄もない冴えない女なんだからな。大方、公爵家の権力で無理矢理婚約者に収まったんだろう? だが、残念だったな。

 次代の国母に相応しいのは優しくて可愛いリーゼロッテだ。リーゼロッテに嫉妬して子供じみた嫌がらせをするお前ではない」


 彼の言うことが本当に正しいのかと、この茶番を傍から眺めている彼らはきっと疑っている。その通りだ。

 リーゼロッテ。この国の男爵令嬢にして、様々な罪をでっちあげて私に擦り付けた女。彼女が王太子妃としてこの国に君臨する未来なんて、ぞっとするわ。

 リーゼロッテの言葉を疑いもしない彼には、もう呆れることも出来ない。私の兄を初めとして、彼の周囲には将来国を支えていくことになるだろう優秀な人材がたくさん居たはずなのだ。一体どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 クーヴレールは古くからの歴史を持つ由緒正しい公爵家で、その権力は王家にすら匹敵するほどと言われている。

 しっかりした根拠があるならまだしも、彼の言う根拠とは即ちリーゼロッテの証言。クーヴレール公爵家を敵に回すくらいならばと、彼はきっと廃嫡されるだろう。ああ、本当に、なんて馬鹿な人。


「ごめんなさい、アナスタシア様。貴方の慕わしい方を奪ってしまった事は、申し訳なく思ってるんです… …」


 しゅんと肩を落としてリーゼロッテが謝り、その姿にルーカスが目を細めて愛しげな表情を浮かべる。そんな顔、私には1度たりとも向けられたことは無かった。


「リーゼロッテ、こんな奴も気遣ってやるなんてお前はなんて優しいんだ……」


 ルーカスの言葉に照れたように頬を染めるリーゼロッテ。そして一瞬で広がる桃色空間。どうして私はここにいるのだろう。

 私はまた漏れてきそうになるものを必死に噛み殺す。もう1秒だってこの空間にはいたくない。かつて親友が言っていたことを思い出す。当たって欲しくはない言葉ほど当たるものね、レベッカ。


「……では、わたくしはこれにて失礼させて頂きますわ。お2人のご多幸を微力ながらお祈りしております」


 嘘だ。祈れるはずが無い。婚約者を奪い、自分を貶めた相手の幸福を祈れるなら、それはきっと相手にも周囲にも興味関心が無い人だけだ。


「はっ、心にもない事を」


 先程リーゼロッテへ向けていた甘い表情はどこへやら、彼は鋭い視線で私を睨みつけてくる。それ以上見ていられなくて、私は踵を返して歩き出した。


 ……けれど、パーティーを台無しにされた彼らには謝罪しないといけないわよね。

 そう思い直し、くるりと振り返って居並ぶ人々を見詰める。左足を引き、腰を落として軽く頭を下げた。


「皆様、この晴れの日にこの場をお騒がせしてしまったこと、本当に申し訳なく思いますわ。わたくし達のことはお気になさらず、どうぞこの後もパーティーを楽しんで下さいませ」


 そう言い残して、今度こそ振り返らずに歩き出す。やっと開放されると思うと、とても清々しい気分だった。




 凛と背筋を伸ばし、気高さを少しも損なわずにパーティー会場から出ていこうとするアナスタシアの背には、彼女の姿が見えなくなるまでいくつもの視線が突き刺さっていた。

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