5 学園入学~13歳~
お父様は困惑の表情でおっしゃる。
「しかし困った。陛下はいつまでにバルド殿下の婚約者を正式に決定するのか、期限を明言されないのだ。このまま何年も殿下の婚約者候補として縛られた挙句、結局マーガレット嬢が選ばれれば、お前の縁談が難しくなる可能性がある」
お父様の心配はもっともである。
我が国では、貴族の令息令嬢は10歳前後から成人を迎える15歳になるまでに婚約を結ぶ場合がほとんどだ。このまま数年バルド様の婚約者候補のままだと、他の令息との縁談が進められない。いざ他の方と縁を結ぼうとした時には、もう有望な令息は誰も残っていないという恐ろしい事態になりかねないのだ。
私はまだ10歳なのに、今から行き遅れの心配をしなくてはいけないとは、これ如何に?
「お父様、バルド様が私を望んでくださるのは光栄ですが、どう考えても王太子妃に相応しいのはマーガレット様だと思うのです。我が家は辞退できないでしょうか?」
お父様は難しいお顔をされる。
「私もそれは考えたのだ。だがどう考えても侯爵家から王家に辞退を申し入れることは不敬にあたる。あちらから断られるのを待つしかないのだ」
うぅ、やはりそうですわよねー。
「フローラ、いっそ本気で王太子妃を狙ってみるか?『攻撃は最大の防御なり』って言うだろ?」
お父様、こういう場合にその言葉はそぐわないと思いますわよ。意味がわかりませんわ。
「私がマーガレット様に太刀打ちできるわけがありませんでしょう!」
「しかしバルド殿下はお前にご執心なのだ。陛下と王妃様はご自分たちが仲睦まじいご夫婦だから、バルド殿下のお気持ちを無下にはされぬと思うぞ」
「バルド様のお気持ちと言っても、彼はまだ10歳の男の子ですのよ。あっという間に心変わりするかもしれません。しばらく経ったら『俺、なんであんな平凡なフローラを気に入ってたのかな? 不思議!』なんて平気で言い出しかねませんわ」
お父様は絶句する。
「フローラ、お前……可愛くないな」
それはどうも。女はたとえ10歳でも現実的ですのよ。
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3年後。
バルド様と私は共に13歳になった。
我が国の王族や貴族は、13歳から6年制の王立貴族学園に通う。王都に住んでいる者は自宅から通学し、地方貴族は寄宿舎に入ることになる。
同い年のバルド様と私は、今年の春、一緒に貴族学園に入学した。ピカピカの1年生である。ちなみにバルド様と私は同じクラスだ。マーガレット様は2学年上の3年生に在籍されている。
実は現在もまだ、私もマーガレット様もバルド様の”婚約者候補”という立場のままだ。王家も大概酷いと思う。私も13歳になっているが、マーガレット様にいたってはもう15歳なのだ。
15歳といえば、成人を迎え社交界デビューをする年齢である。貴族の令嬢それも公爵家令嬢が、社交界デビューの年に正式婚約が調っていないなど、本来有り得ないことだ。
私は怒っていた。私の憧れのマーガレット様にこの仕打ちは許せない。王家は一体何を考えているの?
婚約者候補としてバルド様とお付き合いを続けている私は、3年前から月に一度のペースで王宮に招かれバルド様にお会いしている。学園に入学してからは同じクラスなので毎日顔を合わせているのだが、それでも変わらず毎月王宮に招かれていた。
その日、王宮でバルド様にお会いした私は、ついに爆発した。
「バルド様! あまりに酷いのではないですか? マーガレット様は今年、社交界デビューされるのに婚約者がいらっしゃらない状態なのですよ! 今すぐにでもマーガレット様と婚約を結んでくださいませ!」
私の言葉にバルド様もいきり立って言い返してくる。
「フローラ! バカなことを言うな! 俺はマーガレットと婚約などしない! 俺は3年前からずっと『フローラと婚約したい!』と言い続けてる! 父上も母上も俺の気持ちを尊重すると言って下さっているのに、あのクソ宰相が自分の娘をゴリ押ししてきて、どうしても候補から外すことに『納得できない』と食い下がってくるんだ。他の重臣達も全員味方に付けて何が何でも娘を王太子妃にしようと、王家を相手に一歩も引かずに主張し続けてるんだ。クソ宰相め! 頭に来る!」
えーっ?! ダンドリュー公爵ってそんなに強引な方なの? とても穏やかそうな風貌をしていらっしゃるのに意外ですわ。それほどまでにマーガレット様を王太子妃になさりたいのね……
「バルド様がマーガレット様を選べば解決しますわ」
私がポツリと呟くと、バルド様は泣きそうな表情になった。
「俺はお前が好きだ! そんなこと言うな!」
初めて会った10歳の時からこの3年間ずっと、バルド様は一貫して私を想ってくださっている。相変わらずお会いする度に「お前、可愛いな」を大安売りし、私に対する好意を隠そうともしないバルド様。
すぐに潰えると予想していた私の初恋は、まだ終わっていない。けれど、このままいつまでも”婚約者候補”ではいられないのだ。もうそろそろ本気で身を引く覚悟をするべきだわ。
「私よりもマーガレット様の方が、全てにおいて王太子妃に相応しいと思います。バルド様、我が侯爵家からは候補を辞退することが出来ないのです。ですからどうか、バルド様がマーガレット様を選んでくださいませ」
「イヤだ! 俺はフローラが好きだって言ってるだろ!」
そう叫んで、私を抱きしめてくるバルド様。13歳になった今も、私とバルド様の身長差はまだほとんどない。でも、その力強さはやはり男の子だ。
私をぎゅうぎゅう抱きしめながら、
「フローラが好きだ! フローラがいい! 俺を見捨てるな……フローラ……フローラ」
と言うバルド様の声が、次第に涙声になってくる。
「バルド様、泣かないでくださいませ」
「フローラが俺を泣かせた」
私もバルド様が好きだ。相変わらず鋭い目付きの強面だけど、私にはとても優しくて、いつも「フローラ、可愛い」「好きだ」と言ってくださるバルド様。本当はずっと一緒にいたい。泣きたいのは私も同じですわ。
従者が、私にしがみついているバルド様を引き剝がす。
「殿下! いい加減になさってください!」
「うるさい! 俺はフローラが好きなんだ! どうしてフローラを正式に婚約者に出来ないんだ! 結婚するのは俺だろ!?」
従者が必死に宥めようとする。
「殿下、お気持ちはわかりますが……陛下も手を尽くしておられます。今しばらくのご辛抱です。フローラ様もあまり殿下を刺激なさらないでください。殿下は本当にフローラ様一筋なのでございますから」
えっ? 何? 私が悪いの?
さっさと結論を出さない王家が悪いんじゃないですかー!? だ!!