第3話 セントレイシア
セントレイシア
俺の乗った馬車は、数時間後に大きな都へとたどり着いた。
セントレイシア。
この世界の中心と言っても良く、最も多くの人が住み、最も栄えている場所だ。
巫女になった人間は、そのセントレイシアの中心にある組織へ……。
この世界の治安、行政をつかさどるという役割を担う組織……守の聖樹に、必ず顔を出さなければならない。
「「はあーっ」」
人々の喧騒や生活音が耳に飛び込んできた瞬間、俺達はどちらからでもなく、大きな息を吐いた。
一足早く復活したモカが、少しうんざりした気配を纏わせながら俺に話しかけて来る。
「やっと着いたね……。馬車の旅は楽しかったけど、何日もいるのは退屈だったよ」
「それは同意だけど、俺のは窮屈から解放される安堵じゃないよ」
馬車の外から賑やかな……人の声、足音、物音などをききながら、目的地周辺に辿り着いたのだという事実を噛みしめる。
たった数日とはいえ、同じ場所にい続けなければならないのは結構なストレスだった。特に俺はじっとしてるより動きまわる方が好きなタイプだから尚更だ。
それはとても良かった。だが……。
……はあ。
「どうしたの? 嫌な事考えてそうな顔してるよ」
……どんな顔だろうな。
外から聞こえてくる音に耳を澄ませていたモカは、再度ため息をついた俺を不思議そうに見つめてくる。
きょとんとした様子で小首を傾げるそんな顔でさえも、モカには可愛らしくてよく似合っていた。
今俺が考えている事は、きっと彼女には無用の心配だろう。
「俺達って、これからあの組織…守の聖樹に行くんだよな。聖樹に行ったら、巫女の旅に必要な知識を頭に入れる為に、短期間とはいえ缶詰にされて勉強しなきゃいけないみたいじゃないか。俺、じっとしてる事とか頭使う事が本当に苦手なんだよ」
そうなのだ。
巫女を保護し、旅についても護衛をつけてくれたり、資金面も色々と助力してくれる組織ではあるが、ややお堅いというか伝統に縛られているというか、彼等は「巫女たるもの巫女らしく」をモットーに掲げている為、連れていかれたが最後、施設を出るまでにあれもこれもとお行儀よく勉強しなければならないハメになる。
それに、と俺は自分の容姿を脳裏に浮かべる。
巫女らしくない俺が現れたら聖樹にいる人間達は、どんな目で見るんだろうか……。
「モカもお勉強は好きじゃないよ。仕方ないとは思ってるけど退屈だよね。遊んだりお喋りしたりする方がずっと好きかな」
目の前にいるのは、いかにもこれがお嬢様である……とでもいったような、お嬢様然とした少女。
同意は得られないだろうと思って発言した俺の言葉だったが、意外な反応が返ってきて驚いた。
「本当か?」
「うん、眠くなっちゃうし。集中できないと、文字が模様みたいに見えてきちゃう」
「だよなっ。早く終わんないか、何度も時間を確認しちまうんだよ」
「そうそう、五分前とかになるとソワソワしちゃうよね」
意外な共通点発見だった。
じっとしてお行儀よくしてるのが苦にならないタイプの人間のように見えたのに、実はそうではないらしい。
……モカって結構話が分かる奴なのかもしれないな。
「でも、しなきゃいけない事ならモカは頑張ってするかな」
「まあ、それはそうだけどな」
そこら辺の事情はこんな俺でも分かってた。世の中、嫌な事でもしなきゃいけない事もあるというのも。
いくら聖樹が巫女大好き、お堅い人間大集合と言った場所でも、必要ない事をわざわざ教えたりはしないだろう。旅に関わる事を詰め込まれるのなら、嫌でも何でも拒否はできない。
それは、俺が星衛士の訓練生をやっていた時代にも、身を持って学んだ事だった。
自分のいる場所を知る為に地図や磁石の使い方、危険な生物の知識や対処法などを教えてもらったり……、それらの知識は生き延びる為にかかせないものだった。
だが、それだけ分かっていたとしても感情だけはどうにもできないので、せめて今だけは存分に嫌そうな顔をしておこうと思っている。
「嫌な事我慢するのも苦手なんだ。だから、行きたくねーんだけどなぁ」
「そっかあ」
モカはそんな俺の態度を見て、否定するような事は言わなかった。
「いい子になりたかったらお勉強しなさい」とか「役に立つことなんだから、我慢すべきだ」みたいな事なんて。
……変わった奴だよな。
そんな事を話しながら近づいてきた目的地馬車が到着するのを待っていると、いつの間には馬車の外が騒がしくなってきている事に気が付いた。
大勢の人の声が聞こえてくる。
「何か、うるさくねぇか?」
「人の声がするね。馬車の中が気になるみたい」
聞こえてくるのは、「中を見せてくれ」とか「一目だけでも」みたいな言葉ばかり。
あまりにも多くの人が集まっているので、注意深く耳を済ませないと、一人一人の言っている内容が聞き取れなかった。
「ああ、何かそんな事言ってるみたいだな」
一体どうしたというのだろう。疑問に思ってると馬の嘶きが聞こえて来て、前へ進んでいた馬車が動きを止めた。
がたがた、と音を立てて木の板が動く音がする。俺が背にしている壁の方だ。御者台と話す為の馬車窓があるのだ。そこが開き、御者の男性が顔を覗かせた。
「す、すいません巫女様。安全の為しばらくの間止めさせてもらいます」
「何かあったのか?」
振り返って尋ねると、男性は申し訳なさそうな表情になる。
ちなみにこの人、この馬車の御者をやっているが、守りの聖樹の星衛士の一人だ。周囲で走っている馬車の中身も全員そんな感じ。彼ら全員が巫女様の護衛だ。ちょっと大袈裟じゃね、とは思うが。
男性は集まった人々の様子を気にかける様に、チラチラと視線を向こう……馬車の外へと投げかけながら困惑したように続けた。
「いえ、ちょっと巫女様を見たいとか言って、人が集まりすぎてしまって…」
つまり、馬車が人に囲まれて進めなくなったという事らしい。
「はぁ、助かったような先延ばしになっただけの様な……」
他の馬車から出てきたらしき守の聖樹の星衛士達が、人々に進路を開けるようにと呼びかけているのが馬車内にも聞こえてくる。
その他には、取り囲んでいる人達の、巫女様の顔を見せてくれとか、一目だけでもご尊顔を、とかそんな感じの言葉だ。
「しょうがねーか。別に誰が悪いってわけじゃねーしな。噂の巫女様が乗ってるって聞けば、誰だって見たくなるはずだし…」
「だよねっ。モカも今度はどんな人が巫女様になるのかなーって思ってたもん」
「それが、こんな男女みたいな奴だと知ったらがっかりだよなあ」
だんだんと人の声が遠ざかりつつある馬車の外の事を考えながら、心底そう思った。
今すぐ顔を出さなきゃならないような事になったら俺は隠れて、出すのはモカだけにしてほしかった。
彼らが抱いている幻想を壊したくない。
「でも、どうして、巫女様が乗ってるって分かったんだろうね」
「え?」
「この馬車に」
「あ……」
モカに指摘されて俺は、その言葉のおかしさにようやく気が付いた。
そうだ、何でなのか。
馬車の中身は見て分かる程豪勢なのだが、外装は普通の馬車と大差がないはずだ。
……一体何で巫女がいるって分かったんだ?
そんな事を考えていた時だ。不意に、何の前触れもなく馬車の出入りする方の扉が開いた。
「ん……?」
おかしかった。恐れ多くも(自分は、自分の事をそんな上等な存在ではないと思っているが)あの巫女様に、何の声も掛けずに扉が開けられるなんて事はないはずだ。
実際、この乗り物に乗ってからそんなことは一度もなかった。必ずノックと、許可を求める声がかかるはずだというのに。
「何をしている! 貴様…ッ。裏切者……がはっ!」
ドアの近くで、くぐもった声がした直後、これまで星衛士として巫女の道中に付き従って来たはずの男の一人が、下卑た表情を開いたドアから覗かせ馬車の中へと向けた。
「へっ、聖樹も大した事ねぇな。おい巫女様、痛い思いしたくなきゃ、言う事聞いとけよ」
「そういう事かよ……」
その瞬間に俺は、何故この騒ぎが起きたのか、その理由を悟った。