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135. 縁(上)

 久しぶりに集落の外から商隊がやってくる日。

 エンセッタには特産品らしい特産品もないし、本来ならあまり大規模な商隊はやってこないような立地だ。ちょっとしたものでも高額を払わなければ買えないはずだし、そもそも買い物をするための貨幣すら枯渇していてもおかしくないはずだった。

 しかし、実際にはそんなことはない。

 なぜなら、この地が神殿を守る特別な場所だから。

 各地からそれなりの規模の援助が定期的に送られてくるし、巡礼に際して物資を寄贈、あるいは安価で卸してくれる商会もある。

 この土地で手に入る作物や食料もあるにはあるが、豊かと言える生活ができるのは彼らの助けのお陰だということは間違いない。

 ここで生きる人々の間にもその自覚はあって、子どもたちはまず最初に「太陽の加護と助けに感謝するように」という教えを受けることになる。

 これはつまり、エンセッタの今の生活は神殿あってのものだと念を押しているのだ。


 定期的にやってくる商隊は、その恩恵をわかりやすくもたらす存在だ。

 長い距離を魔物と戦いながらやってきてくれる。

 子どもにとっては憧れの仕事といって間違いない。


 雨季の間は彼らが訪れることはない。

 そのため久々の来訪だったこともあって、持ち込まれた物資の量はここに来て見た中では最大の規模だった。

 受け入れる私たちも、運び入れる商隊にも活気がある。ちょっとしたお祭り騒ぎ。

 何か目的のために活かせることはないかと入念に様子を見ていた私は、ある一人の子どもに目を惹かれた。

 商隊のそりに背中を預けるようにして座っている、恐らく私より少し年下の子。

 周囲の勢いに取り残されるように項垂れている。

 神殿では見たことのない子だけど、商隊の誰かの子どもだろうか?

 肌の色は私と同じような明るい色で、少し日に焼けている。

 髪はターバンに隠れてしまっているけれど、おくれ毛の感じだと、明るい色合いをしているように思う。


 エンセッタの集落には大別して二つの人種が住んでいる。

 一つ目は肌が浅黒く、茶褐色や暗い金髪の人々。

 この大陸でもっとも人数の多いカーラ人。

 そしてもっと明るい青や紫に近い色合いを帯びた髪で、肌が白いスートと呼ばれる人種。私や母はこちらになる。不思議なことにスートはエンセッタの外にはあまり多くない人種らしい。

 私たちは普段、この人種の違いというものを意識することはほとんどない。

 髪が長いか短いかの差のようなもので、そういう人もいる、くらいの認識だ。

 両者の間での婚姻も普通に行われており、親子で人種が異なることもままあるので当然のことかもしれない。私の知る限り、中間の人、というのはいなかった。

 しかし、この子どもはそのどちらでもないように思えた。

 とても遠くからやってきたのだろうか。もしかしたら、北の大陸出身かもしれない。


 声をかけようかなと思っていたところで、彼女の目の前に商人の男が現れ、話しかけ始めたので断念することになった。

 この一方的な関心が、彼女と私の初対面ということになる。


 翌日、いつもの様に祭者の講義を受けるために集まった私たちの前に、彼女は再び姿を現した。

 話によれば、今後は共にここで学ぶことになるという。

 それ以上に詳しい説明はなかった。

 講義が終わっても誰も彼女に話しかけるものはいない。

 私はそれが彼女の容姿のせいだとあたりをつけた。

 スートとは異なる明るい色の髪の毛はここでは目立つ。

 しかし、私にとってはそこまで気になるようなものでもない。

 北の大陸では良く見た色合いだ。ただ、幼さを考えても彼女の風貌は整っていた。

 それがこの場では近寄り難さを助長している。そしてもう一つ、もしかしたら最も特徴的なのは眼の色かもしれない。紅玉のような暗い赤色。

 それは全てを吸い込んでしまいそうな深みを帯びていた。

 彼女の前では嘘はつけない、そんな気にさせる神秘的な瞳だ。


 話しかけて良いものだろうか。そう迷いはした。でもそれも一瞬だった。

 こんなところで気持ちを棚上げしたところで助かることなんて一つもないのだ。


「こんにちは。私はフルーゼ、よろしくね」


 まず挨拶。礼節はすべての基本。そう思って声をかける。


「……」


 しかし、返答すらもらえない。


「昨日、商隊と一緒に来たの? 良かったら話を聞かせて?」


 めげずに続ける。


「……話しかけるな」


 やっと聞くことのできた彼女の声は、ぶっきらぼうな拒絶の言葉。

 正直かなり堪えた。

 しかし、この程度のことで根負けするようでは私は目的を達成などできない。

 一度撤退して作戦を練り直そう。


「都合が悪かったかしら。今日のところはお暇するわ。また明日ね」


 返事はなかった。

 まあ心の準備は出来ていたから大丈夫、……大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせてから見た彼女の表情、その暗赤色の瞳にはほんの僅かに驚きが含まれている、そんな気がした。


 人間関係の不調。

 そういった要素の改善は集団で認められるための第一歩だ。そんな打算は確かにあった。

 しかし、それ以上に私を動かしたのは彼女がかつての私と重なったから。

 ちょうどあの年ごろの私。家族以外との付き合いを拒絶していた私。これからやろうとしていることがお節介以外のなにものでもないことは分かっているけれど、アイン達の真似をしてみるのも一興だと思うのだ。





 いくらか話を聞いてみると、彼女の境遇というものが少しわかってきた。

 驚いたことに、彼女はかつてこの地に住んでいたという。

 年長の子どもには彼女のことを覚えているものもいた。

 訳知り顔で話しかけてしまったが新参者は私の方だったのだなと思えば、彼女の反応も許せる……と思う。

 彼女はかつて流れ者として父親とともに商隊の護衛をしながらここにやってきた。

 その人物はかなり腕の立つ上に相当の人格者だったそうだ。

 どういうわけか、この地に定住することを決めたのだが、わりと穏便に土地に受け入れられることになった。

 出身はやはり北の大陸らしいが、正確な話を聞いたものはいない。

 もとより、エンセッタという地は世捨て人や懺悔のために訪れる人がそれなりの数いる所だ。

 振る舞いに問題があれば追い出されるようなこともあるが、そうでなければ細かい詮索はされない。

 その点、その男はむしろ人に頼られるような人物だったという。


 とにかく、彼は幼い女の子を連れてここで暮らし始めた。

 真面目によく働いたのだという。

 選り好みせずに仕事はしたが、特に剣の腕を活かして魔物の退治で周囲に頼られていた。

 そんなに強いのならば、ここに定住せずにもっとお給金をもらう方法もあったと思うのだが、それを続けられない理由があったのだという。

 彼はここに来る前に大きな怪我をしていた。

 それ自体は一応癒えていたものの、旅を長く続けられるほどに体力は戻らなかったようだ。あるいは、幼い女の子を育てるため、というのもあったのかもしれない。

 しかし、そんな彼も例の流行り病に巻き込まれることになる。

 集落全体を襲った嵐のような死病。

 有力者が次々と倒れる混乱の中でひっそりと息を引き取った。

 残された女の子はふさぎ込んでしまった。

 結局、男が生前懇意にしていた商隊の男が引きとって行き、現在に至る。


 どうして戻って来たのか。これからどうするのか。

 そういったことは一部の大人以外は誰も知らない。今もなお、彼女はほとんど口を閉ざしたままだから。


 もうこのときには私は彼女のことを放っておけなくなっていた。

 父と離れ離れに住むことになり、たまにしか会えない。それだけで辛い。

 彼女はそんな存在を永遠に失ってしまったのだ。

 この苦しみを理解することすら到底できない。わかるのは、助けになりたいという自分の気持ちだけ。これは同情なのだろうか。


 彼女の状況を知るにつけ、どうあれば話をすることができるのかという点ではきっかけを得ることができた。

 人を寄せ付けない理由の一つは、恐らく言語だ。

 私より年下で親を失った境遇。その中で言葉を学ぶことができた期間は本当に短い。

 そして教えることができた父親は外国人。

 つらいという気持ちがあってもそれを伝える手段すら持ち合わせていないのではないだろうか。

 もちろん、ただただふさぎ込んでいる可能性もある。でも、試して見る価値だってある。


「こんにちは。ご機嫌いかが?」


「…………」


 ここまでは想像通り。覚悟をしていたので辛くない。……そう辛くない。

 本番はこれからだ。


『こちらの言葉の方が話しやすいかしら』


 反応は劇的だった。

 俯いていた顔をあげると目を見開いて見つめてくる。

 赤い瞳の色が少し明るくなったような……。そこで一つの事実に気が付いた。

 この子、もしかしてオドが循環している? アインに教えてもらった技術を自然に行っている。彼女には魔術の才能があるのかもしれない。


『どうして……』


 予想外のことに反応できずにいると、向こうの方から話しかけてきた。北大陸の言葉。

 この土地の出身ではないというのは本当のようだ。


『ここに来る前はウィルモア王国に住んでいたの。あなたの見た目が北大陸の人に似ていたから』


 厳密に言えば赤い瞳の人、というのは会ったことがないけれど、今は些細なことだ。


『北……。そこのひとたちはわたしとおなじみためをしているの?』


 おっと……。カーラの言葉で話した時とは随分違う反応だ。

 粗野で男性的だった口調は一転して幼子のような印象になってしまった。

 彼女の齢から考えてもまだ拙い印象がある。


『そうね。向こうにいた時は私みたいな見た目の人はお母さん以外一人もいなかったわ。みんなあなたみたいな髪と肌だった』


『……わたしは北のくにのひとなの?』


 知らなかったのか。

 何か理由があったのか父親からさえそのことを伝えられていなかったらしい。


『多分、ね。この言葉がその証拠。知らずに使っていたの?』


『お父さんはこっちのほうがとくいだったから。ここのことばはきらい。はなすとみんなこわいかおをするから』


 怖い顔……? 彼女の言葉で顔をしかめるということだろうか。

 というと、もしかして……。


『こっちの言葉は誰に教えてもらったの?』


『お父さんにすこしだけ。あとはバンおじさんたち』


 商隊の人たちだろうか。彼らはちょっと荒い言葉遣いではある。

 ここの子たちもそれを真似するからってちょっと問題になっていたくらいだ。

 どうやら解決すべきことの根っこが見えてきた気がする。


『それは多分、ちょっとだけ話し方を間違っちゃったのよ。良かったら一緒に言葉の勉強をしない? 私もまだ慣れていないことが多いし、北の言葉でお話だってしたいわ。みんなに隠れて内緒話しましょ』


 よし、言ったぞ。ちょっと勇気が必要だったけど、これは大切なことだ。

 今の彼女は北の言葉も南の言葉も別の意味で拙い。

 どちらか一つだけでも腰を据えて勉強する必要があるはずだ。


『べんきょうしたら、みんなこわいかお、しなくなる?』


『ええ、もちろん。みんな私のことを邪険にしたりしていないでしょう』


『……それはみためがおなじだから』


 萎縮してしまった。でも大丈夫。私はそうではないことを知っている。


『そんなこと、問題じゃないわ。北にいたときの私にだって友達はいたのよ。ここでは私があなたの友達、その一人目になるわ』


 紅玉のような彼女の瞳。そこに光が宿ったように感じた。

 暗かった色が明るく輝いているように見える。


『ほんとう?』


 不思議だ。

 でも今、大切なのはそんなことじゃない。


『ええ、もちろん。もう私たちは友達だわ。だから約束。あなたが困っていたら私が助けるから。ちゃんと頼ってね』


 彼女のためにできることをしよう。

 あのとき、ロムスの友人たちが私にしてくれたように。

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