表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/170

129. 引き絞られる弓(中)

 周辺の地形、問題があった時の退路、フォーメーション、作戦の段階。諸々のことはみんなの頭に入っている。

 ここからは最低限の情報伝達以外に言葉は要らない。


 おびただしい数のサンドワームが近くにいるのがわかる。

 地形が岩地よりになっているため、全方向の地中から攻撃を仕掛けてこないのがせめてもの助けだった。

 一度に多数の相手をすることにならないように、慎重に移動を開始する。

 非常に危険な綱渡りのような状況。なのに、どこかそれを他人事のように感じる。

 その理由は、遥か遠くにいるはずなのに、はっきりとマナ感知でわかる一つの反応にあった。


「でかい……」


 ある岩壁を迂回したその先で、初めて目の当たりにすることになった怪物。

 必要ないと、そう思っていたはずなのに言葉が漏れた。それほどの巨大な姿。

 俺たちが乗り越えなければならない壁は、その圧倒的な威容でまず心を折りにかかって来た。

 話には聞いていた。マナの反応から覚悟はしていた。それでもこれだけ恐ろしい。

 距離はまだ随分ある。それを覆すほどに、視覚から得られるインパクトは大きかった。


 落ち着け俺。確かにデカさは強さだ。でもそれには限度というものがある。

 ここに来る前にやった予備調査を思い出す。

 例えあれだけ巨大でも、姿形は俺が解剖を行ったものから大きく外れてはいない。つまり、同じように骨格があり、それを筋肉で支えている。

 調べた組織は俺の知る生き物とよく似ていた。酸素を運ぶ血液もあった。なら、あの体はTCAサイクルで動いている。

 体長一メートルそこそこだったなら、それで良かった。

 だが、奴は目算二十メートルはありそうだ。神経の伝達は距離が伸びれば遅くなる。

 体高が高くなれば、血液の循環に必要な力はそれ以上に増加していく。あの巨体なら心臓への負担は尋常ではないはずだ。

 ただ、体積が大きいというだけでこの砂漠では体温維持にも支障を来す。

 詳しいことは分かっていないが、恐竜なんかは、その巨体を維持するための特殊な機構を長い時間の進化の中で獲得していたのだと思われる。

 奴にはそんな時間はなかった。

 見た目に大した違いがない以上、こういった弱点というよりも存在が不可能な要素の数々を無理やり動かしている『なにか』があるはず。

 そして想像する限り、不可能を可能にできそうな方法は一つだけ。

 もったいぶる必要もない。俺たちが使っているのと同じ。魔術だ。


 この地に充分な地脈とマナがない以上、からくりはオド循環ではないかと思う。

 あの巨大なマナの反応もそれを裏付けている。

 やつは、ただ存在するだけで、体を維持するためにオドをフルに循環し続けているのだ。


 これまでの間、俺は循環というもので何ができて何が出来ないか、それなりに研究を積んできた。そしてそれで分かったことを考えてみると、あの巨体の維持も可能なのではないかと思えてくる。それほど、メリットの大きい技だった。

 一方で大きな弱点もあった。循環を維持することの難しさだ。


 生まれた時から訓練を積んでいた俺やカイルにとって、この魔術は日常だったと言っていい。ルイズにも、恐らく才能があった。

 しかし、フヨウやメイリア、子どもの頃から訓練を始めたはずの彼女たちは、俺たち三人と比較すると精度に差がある。開始する前に精神統一が必要だったり、ちょっとした指先の怪我や病気で極端に効率が下がったり。そんな違いが顕著に現れる。

 俺たちだって睡眠をとりながら循環を維持するのは不可能だろう。

 そしてこれはやつに付け入る隙になりうると、俺はそう考えている。





 考え事をしていた所を後ろからフヨウにつつかれて、やっと正気に戻る。

 いかんいかん、集中しないと。

 事前に想定していた射撃地点。一か所目に到着したとき、フヨウが首を横に振った。

 何か気に入らないポイントがあったのだろう。

 速やかに移動を再開する。彼女が出来ないというのなら、この作戦に成功はない。


 二か所目。フヨウが地面を指さし、拳を握った。ここで良いということらしい。

 一か所目ほどではないが、嘆きの峡谷に対して高低差があり、サンドワームの密集しているエリアが見下ろせる。

 もし、やつらがこちらに一斉にやってきても、ある程度は迎撃が可能そうだ。

 一方で巨大スキュラについては一部が峡谷の影に隠れてしまうのだが……。


「ここでいい」


 俺たちの疑問が伝わったのか、念を押すように彼女が言った。他の要素が揃っていることの方が重要、ということだろうか。


 これ以上、反論、とは言っても声に出してはいないが、をしても意味はない。

 場所が決まったら次の準備だ。

 今日、二度目の出番のピレスロイド系虫よけ。これを陣地を囲むように念入りに振り撒いていく。

 一通りそれが終わったところで、最後の弓の調整をしていたフヨウの隣へ向かって準備完了だ。

 ギース氏ら、他のメンバーは距離をとって待機。これは作戦の被害を彼らが被らないようにするための処置だった。

 代わりに、メイリアのマナ感知による指示のもと、俺たちをサンドワームから守るのが彼らの仕事だ。


 準備はできた。フヨウと短く目線を交わす。開始の合図は必要ない。

 ただ、用意していた矢を手渡すだけだ。これを射ち放ったときが始まりだ。


 第一の矢。渡すのに気負いはない。矢じりに鉛を使った大振りのもの。

 フヨウはそれを弓につがえて大きく引き絞り、放った。

 狙いを付けた、という様子はなかったと思う。しかし、俺にはそれを確認している暇はない。

 フヨウが射の構えに入る前に、腰に下げていた望遠鏡をのぞき込み、矢の行先を信じて見つめていたからだ。


 敵までの距離は五百メートルをゆうに超えているはず。

 それでもやつの巨体を考えればすぐ近くに相手がいるように思える。だから錯覚しがちなのだが、この距離の先にある矢は簡単に目視はできない。

 そこで望遠鏡を使うわけだが、こちらはこちらで遠くは見えても見える範囲が極端に狭いという問題がある。狙う場所は最初から決まっているのでそこだけをピンポイントで確認しているわけだ。


 たっぷり数秒、着弾の瞬間を待ってみたが結局俺の視界に矢が入ることはなかった。

 望遠鏡から目を離すとフヨウは次の矢を待って手を差し出している。

 どうやら本人にも外れたということはわかっているらしい。

 予定通りなので何も言わずに鉛の矢を渡す。そして同様にもう一度狙った場所に入らないことを確認した。


 三発目の矢を渡そうとしたとき、フヨウはそれを受け取ろうとはしなかった。

 変わりに後ろに準備してある『本番用の矢』を指さす。どうやら準備ができたらしい。

 本来なら最低三発を使う前提だったのだが、それすら彼女には必要なかったらしい。

 ここまでの二発は言ってみれば試射だ。気候条件や位置、日射等を考慮して矢がどこへ飛ぶか確認するために行っていた。

 今日も相変わらずの強風だが、一番ひどい嵐の時と比較すればかなりマシ、というのが良い方向へ作用したのだと思う。

 峡谷という立地で風の方向がそれなりに安定しているという点も良かった。

 それでも、普通に考えればまともに矢で狙える距離ではない。

 それを、こともなげにやって見せると言っている。



 時間をかけて矢の準備を行う。

 ここからは手間がかかるし何が起こるかわからない。より一層の注意が必要になる。

 後方で俺たちを守ってくれているみんなに『本番に入る』という合図を送った。風向きにも充分に注意して欲しい。

 今まで、特に詳しく説明していなかったことだが、今日の俺とフヨウはいつもと大きく異なるいでたちをしていた。端的に言ってしまうとかなり怪しい格好だ。

 肌を出さない服装は移動中と変わらないが、そこを徹底している。手袋マスクゴーグルターバン、耳まで隠すフードも着けている。

 これは、今から用意する各物質で自分自身を侵さないようにするためだ。


 使うのは毒。

 俺は、あの化け物を毒殺するつもりでいる。

 ヒントになったのは一般的なスキュラの対処法に毒餌が使用されることだった。

 ある植物の種を粉末にし、肉に混ぜて食べさせるのだそうだ。

 それだけで絶命したりはしないが、ひどく弱体化することがわかっている。

 しかし、この毒、巨大スキュラには通用しない。

 以前の挑戦で命がけの作戦を実行したが有効打を与えられなかった。

 そもそも、毒餌をスキュラがちゃんと食べたかどうかもわかってはいないのだが、仮にしっかり食べていたとしても効いていないのではないかというのが俺の見立てだ。


 生物に効果のあるほとんどの毒というものは、その体重に比例して必要量が増加していくというのは前述の通り。これは薬にも同様の傾向がある。

 つまり、目算百キログラムほどの通常のスキュラ相手に数グラム必要な場合は、キログラムあたり数十ミリグラム必要ということだ。これをあの巨大スキュラに当てはめるなら、概算恐らく数十キログラム規模で毒を食べさせなければならない。餌を混ぜる肉の量を考えれば莫大な規模になってしまう。恐らく、それだけの準備ができなかったのだろう。


 今回はこの作戦を改良したものだ。必要だったのは、あいつに有効な毒の選定、そして投与する間の安全性の担保。

 有効な毒についてはかなり困った。

 もともと使用されていた種に含まれる毒。これ自身がかなり効果の高いものだからだ。

 おそらく有効成分は一キログラムの体重に対して数ミリグラム程度で作用する。かなり強い毒と言っていい。この成分は俺にとっては未知のもので構造式の同定には至っていない。ロムスの研究所でなら成分の分離が可能かもしれないが、ここでは贅沢を言うこともできまい。

 それに、仮にわかっても、それはかなり高度な分子構造である可能性が高く、魔術による再現や大量生産は難しいだろうという目算だった。

 別の物質を使用する必要がある。あるのだが……、結局、完全に有効な毒は準備することができなかった。

 ごく微量で作用する物質というのは俺の知識にもないではない。しかしそれは大概生物が生成する高度なたんぱく質構造を持つもので魔術では合成できない。

 加えて、当然人間にとっても極端に危険なものなので取り扱いが難しい。

 他にも日光や温度ですぐに変性してしまったり、条件に合うものを探すのは大変だった。

 そんな中でなんとか活用できそうなものを数種類選定してある。

 今回は、条件が変わらないかぎりこれらの毒を全部試すつもりでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ