8.道三と戦国武将3 「松永弾正」
松永弾正こと松永久秀という武将は、そのアクの強さでは戦国武将でもトップクラスです。
主君である三好の一族や将軍である足利義輝を暗殺した黒幕であるとか、東大寺の大仏殿を焼き払ったとか、いろいろ噂されたあげく、織田信長に謀反を起こした果てに天下の名器『平蜘蛛茶釜』に火薬を詰め込んで自爆したとも言われる人物。濡れ衣の案件もかなりあるようですが、もともと幕府の要職にあり、茶人としても高名な人物でした。
そのため、道三との交友もかなりあったようですが、その中でも脚光を浴びてしまったのが、道三が久秀に『黄素妙論』という書を書いて贈った件です。
この『黄素妙論』とは、言ってしまえば「性生活の指南書」です。
そもそも道三の考え方では、病を治し、罹らず、健康的に生きるためには、毎日の飲食の管理も大切で暴飲暴食を慎しまないといけないし、馬に乗ったり朝起きたりしたときといった日常の細々とした動作も疎かにしてはいけない。それらと同じく、男女の交合だって男が独りよがりにならず、やりすぎず、すべては総合的に養生を考えようという考えのものです。
道三にとって「日本人は米を食べて、味噌を食べて、美味しい海の魚を食べていれば、毎日薬湯を飲んでいるのと同じだ」「どうしても食事をせずに仕事に行かねばならないときは茶碗一杯の湯を飲んでいけ」とか「馬や籠に乗るときも大雑把にならず慎重に」とか語るのと、「やりすぎは身体に良くない」「やみくもに突かず、女性の様子を見ながらせよ」みたいな話は等価なのです。
そこでこうした性生活の手引きを、房中術に通じた仙女と中国の皇帝との会話の形式を借りて語らせました。いつだって、ハウトゥー本は分かりやすさが第一なのです。
それは素女(仙女)と黄帝(皇帝)の問答なので『黄素妙論』。原本は明の時代に中国で刊行された『素女妙論』で、それを単に漢文から和文に翻訳するだけでなく、そこから抽象的だったり呪術的だったり合理的でない項目や重複する項目を省き、生薬に関する記事等を追加したものになります。
永禄10年(1567)9月、大和国多聞城において松永久秀の要請によって養生書と「素女論」を書いて講義し、京で流布する久秀を誹謗する噂についても伝えたとする記述が残っていますから、この『黄素妙論』が道三の著作であることはほぼ確定のようです。
これは久秀に限らず、多くの武将の間に広まったとも言いますが、こういうものも書いてしまうものですからネタがまた1つ増えてしまうのです。
永禄10年(1567) 多聞城にて松永久秀の妾を治療。久秀の求めに応じて「養生」1冊、
「黄女妙論」1巻を著して講授。