18.その後の曲直瀬家 および参考文献
二代目道三以降も、曲直瀬の後継者たちは京都と江戸に別れ、医業に従事し続けました。もちろん、その中には才気に優れた者もいましたし、地位に甘んじて研鑚を怠った者もいました。それらはちゃんと周囲が見ており、前者の場合は没後に「彼は蔵書家で勉強熱心で、彼と語り合うことが何よりの楽しみだった」と慰霊碑が刻まれ、後者の場合は「彼は能力もないのに仕官にばかり熱心で」という文書が後世に伝えられたりしています。あるいは幕末において勤王派として資金面から王政復興を支援するため、資金を集めて海運業を立ち上げようとしていて、新撰組隊士に斬られて死亡した者もいます。
しかし、いずれにせよ海外の最新医学を積極的に学んでいこうという姿勢は失われていったようですし、その環境でもなかったのでしょう。
幕末から明治維新にかけての西洋医学の流れにも乗りきれず、西洋医学こそが国家の認めた医学であるとされてからも依然として医師を輩出してはいましたが、かつてのような一大流派を形成するには到りませんでした。
けれども、そんな中にも蘭学者の江馬春齢に師事し、小笠原諸島の資源調査を行ったり、日本における最初の昆虫採集入門書を執筆した曲直瀬愛などが現れたのは、本草学と博物学の関係を考える上で興味深いことです。
参考文献
研究代表者・小木曽洋「江戸時代医学・本草学資料の整理と研究II」北里研究所東洋医学総合研究所
京都府医師会・編「京都の医学史」思文閣出版
近世近代日本漢文班・編「ワークショップ 曲直瀬道三-古医書の漢文を読む」二松学舎大学21世紀COEプログラム
富士川游,小川鼎三「日本医学史綱要1」東洋文庫
橘輝政「日本医学先人伝―古代から幕末まで」医事薬業新報社
愛知県医師会・編「愛知県医事風土記」愛知県医師会
小曽戸洋,町泉寿郎「曲直瀬養安院家の人々1/漢方の臨床52巻11号」東亜医学協会
小曽戸洋,町泉寿郎「曲直瀬養安院家の人々2/漢方の臨床52巻12号」東亜医学協会
小曽戸洋,町泉寿郎「曲直瀬養安院家の人々3/漢方の臨床53巻3号」東亜医学協会
真柳誠・矢数道明「『曲直瀬』姓の由来/日本東洋医学雑誌42巻1号」日本東洋医学会
安井広迪「『天王寺屋会記』に登場する医師について/日本医史学雑誌31巻1号」日本医史学会
ルイス・フロイス「完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3)」中公文庫
曲直瀬道三「衆方規矩」燎原書店
曲直瀬道三「雖知苦庵養生物語」須原屋茂兵衛 他
曲直瀬道三「宜禁本草 2巻」
佐藤虎雄「紫野大徳寺-茶道文庫 (6)」河原書店
大野正「日本刀職人職談」光芸出版
立石定夫「戦国宇喜多一族」新人物往来社
新人物往来社・編「新選組大事典」新人物往来社
小池猪一「医(意)外史」日本小児医事出版社
八切止夫「武将意外史」作品社