11.本草学と医食同源
本草学とは、薬物となる植物や鉱物・動物などを研究する学問のことであり、ここから博物学も発達しました。その起源は西暦紀元前に遡り、紀元後7~10世紀の唐では,既にその体系ができていたそうです。
本草学はきわめて実用的な学問でしたが、中国から渡来した文献は貴族僧侶の教養書に留まり、広く普及することはありませんでした。
しかし、衣食住すべてが養生の道であると考える道三は、食物もまた薬となるという本草古来の概念を広めようと、食物の良否を論じた食療本草を著すことで世に広く知らしめようと考えました。彼は宋代に編纂された代表的な本草学の書物である『證類本草』を研究し、『宜禁本草』を著しました。
『宜禁本草』は、食用として植物、動物、鉱物を解説し、病気に対する食物の良否を述べて、その起源や使用法が著されている食療本草書です。そこでは米や黒豆、ゴマといった五穀から、紫蘇やゴボウのような五菜(野菜)、リンゴやブドウといった五菓(果物)、菖蒲や菊などの薬草類、柳や杉の木類、そして五石金土水類(鉱物)などが挙げられています。タンポポが野菜扱いだったり、水銀や磁石も処方されたりと、今の感覚では若干の違和感がないでもありませんが、発展途上の学問ゆえ目をつぶります。
ここでピックアップされた食材の1つがコンニャク。昔は上流社会の食べ物で鎌倉時代の高野山文書に仏様の供物にしたという記録があり、室町時代には「糟鶏」と言って高級な食品として間食に食べられたとされています。また寺院から武家や公家へのお歳暮用にも使われていたそうです。
ところが道三は『宜禁本草』の中でコンニャクを「辛く寒にして毒あり。つき砕き、灰汁で煮て餅をつくり、五味で調味して食べれば、消渇に主効あり生は人の喉をさし血を出す。悪性のできもの、中風に主効あり、腫上を摩しつづければ腸風治る」と、その薬効は素晴らしいものと紹介。それもあってか、江戸時代にはいるとコンニャクは庶民の食品となり、民間療法としても定着していきました。