コトコト。
< Intro A>
彼が家に来る。
と言っても親にアイサツだとかそういうおカタいもんではなくて。
そもそも独り暮らしだから親はいないわけで。
『独り暮らしの女の部屋』という話題がキッカケ。
「じゃあウチくる?」
「行く」
即答で決。
初めて、彼が家に来る。
掃除は完璧、準備は万全。
さあ、どっからでもかかって来い。
< Intro B>
彼女の家に行く。
と言っても、同居の許可とか結婚の許可とか仰々しいもんじゃなくて。
いつかは行ってみたいもんだけど。
「お父さん! 娘さんをぼくにください!」
「何を! 一度言ってみたかった! 許さん!」
みたいなね、みたいなね。
それはそれとして。
初めて、彼女の家に行く。
なんだかソワソワしてしまう気持ちをどうにか押し込んで。
いや、押し込め切れないんだけど。
ケータイからリダイアル。
「――もしもし? うん、駅着いたよ?」
< 彼のコト。>
メガネ。
寝癖。
背丈は平均的。
き、き、き……気楽な性格がナイス。
す――好きな人。
『駅着いたよ?』
「ちょっと待ってて、今行くから」
ケータイを切って、上着を羽織って。
ストールで首を巻いたら完全防寒。
彼を迎えに、家を飛び出した。
< 彼女のコト。>
笑顔。
可笑しい時に笑う仕草。
さわるとやわらかい髪。
見た目より中身重視。
し、し、し……
し――しっかり、愛したいと思えた人。
『ちょっと待ってて、今行くから』
「はーい、待ってますー」
切れたケータイをポケットに仕舞い込む。
どんくらいでここに来るんだろう?
タバコ1本くらい吸えるかな――とタバコケースを取り出したところで、眉をしかめる彼女の顔がちらついた。
……やめとこ。
タバコもポケットに仕舞って。
日曜日の昼下がりに、ぼくは待つ。
大好きな笑顔が駆け寄ってくる時を。
< 柚子茶のコト。>
柑橘系の香りを彼は好む。
何の話をして出たのか忘れてしまったけど、冬の寒い朝、彼は柚子茶を飲んで体を温める。
冬季限定の彼の好物。
冷える体を温めてくれる、湯気に混じった柚子の香り。
「いらっしゃいませ〜」
ドアを開いて、お先にどうぞと促す。
「お邪魔しまーす」
遠慮がちというか、恐る恐るというか。
「なんか、怪しい人みたいだよ?」
キョロキョロしながら入る彼の背中は、まさに挙動不審者。
「いや意外とキレイなんだなと思ってさ」
「独り暮らしの女の部屋は腐海だってのは、ただの先入観だって」
「認識改めます」
「そうしてください」
「そっか〜、キレイなもんなのか〜」
「いいからとっとと入れ」
玄関に留まり続ける彼の尻に蹴りを1発。
「あ、早速DV?」
「いいから〜」
彼を押し込んでドアを閉めた。
「適当に座ってて。今お茶淹れるから」
「お構いなくー」
「いらない?」
「超ほしい、超喉渇いた、超お茶飲みてー」
「じゃあ大人しく座ってて。面白いもんないけど」
「ほーい」
手近にあったクッションに腰を落ち着けた彼。
もそもそと上着を脱ぎ始めたのを見て、
「ハンガーあるから適当に掛けといてね」
「ほーい」
返事を聞きながら、あたしの手は湯を沸かす。
ガス台に置いといた小ぶりのビンを手に取って振り返っ――
「どわっ!」
「うわっ!」
すぐ目の前に彼がいた。
思わずビンを放ってしまうくらい。
『びっくりしたぁ』
声が重なった。
同時に吹き出した。
「気配消すなよ」
「いきなり振り向くなよ――あれ?」
床に転がったビンが彼の視線を引く。
「ブランドとかよく知らないから、適当に選んだんだけど」
拾い上げたビン。
柚子色のビン。
冬季限定、彼の好物。
「それ、いつも買ってるヤツ」
彼の笑顔が、あたしの好物。
< アールグレイティのコト。>
柑橘系の香りを彼女は好む。
喫茶店に行けば必ずアールグレイティ。
夏はアイス。
冬はホット。
彼女の喉を潤すのは、いつだって薄く香る柑橘系。
「何か手伝うことある?」
「んー、まずはお湯が沸かないことには」
柚子茶のフタに手を掛ける彼女。
「じゃあ、ちょっと時間あるね」
「うん。だから、待っててっ」
声ごと力む彼女。
「なんか、どっかり座ってるってのもな」
「お客さんが何言ってるの」
彼女の手からビンを取って、代わりに後ろ手に隠していたものを手渡した。
薄くて、丸くて、小さいレコードが入れられるような、アルミの缶。
「え、これ」
「おみやげ」
彼女に対して頑固だったビンのフタをひねる。
かぽっ。
うん、素直でよろしい。
「わざわざ買って来てくれたの?」
「好きだって言ってたでしょ?」
「なんていい人なんだ」
「いいカレシって言って」
アルミの缶に目を輝かせる彼女を見て、内心ほっとした。
彼女の好きな、アールグレイティの缶。
たまにしか買わないと言っていた、ティーショップのアルミ缶。
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ柚子茶を用意していただきまして」
頭を下げ合って、笑い合う。
いつだってぼくを潤す、彼女の笑顔。
ヤカンが湯気に鳴った。
< カレのコト。>
テーブルに並ぶ2つのティーカップ。
あたしのアールグレイティ。
彼の柚子茶。
小ぶりのテーブル1つ分の距離で交わす談笑。
「もっと、こう、ごちゃごちゃしてると思ってた」
まだ言うかこの男は。
「人によるよ。そういう人もいるだろうし」
「やたらめったらカラフルなカーテンとか」
「うちは2色水玉」
「ぬいぐるみいっぱいとか」
「クッションなら5、6個あるけど」
「アイドルのポスターが、ば〜んと」
「好きなアイドルがいない」
「下着転がってるとか」
「片したからね」
にやり、彼の唇が歪む。
「転がってたんだ」
「ちゃんと片付けてますぅ!」
などなど。
ちょっと部屋が暗いなと感じて蛍光灯を付ける。
時計を見上げたら、とっくに夕刻。
「今日はご飯食べてくんでしょ?」
「うん」
喜色満面、子供っぽく笑う彼の笑顔が愛おしい。
ずっとそばにいたいんです。
「晩御飯の支度、するね」
上げたあたしの腰にまるで紐が付いていたみたいに、
「手伝うよ」
彼の腰まで一緒に上がった。
「お客さんでしょっ」
「どっかり座ってるだけ、ってのも何だか手持ちぶたさなんだって」
「手持ち『無沙汰』ね」
「……手持ち『ぶたさ』」
「変なとこで負けん気強いよね」
「おじゃまたくし」
「おたまじゃくし」
「とうもころし」
「とうもろこし」
「えーっと」
「もういいからっ」
彼といると、落ち着く。
性が合ってるんだと思う。
何でもない時間をしょうもない話で潰してるだけでも楽しいし、自然に振舞える。
あたしはあなたが好きです、と、自然に振舞える。
好きです。
あなたは、どうですか?
< カノジョのコト。>
彼女と一緒にキッチンに立つ。
さ、何から始めてやろうか。
「今日の晩御飯は何にするんですか?」
「シチューでーす」
しっかり答えてはくれたものの、マイク代わりにしていたおたまはあっさり没収された。
「ほう、シチューですか」
「はい、シチューですよ」
「ぼくは何を手伝いましょうか」
「じゃあ、応援してください」
フレー。
フレー。
カ・ノ・ジョ!
「……そういうことじゃないんだよね、ぼくがしたいのは」
「わかってるわかってる。野菜渡すから片っ端から切って」
「片っ端から切って、って」
「ん?」
あまりに極端な物言いに唖然としていると、彼女は早速じゃがいもをぼくに手渡した。
「……何でもないです」
「嫌いなものってあるんだっけ?」
ガス台に鍋を置きながら、斜めにぼくを見上げる、この彼女の角度が好き。
いや、もちろんそれだけが好きってわけじゃないよ。
「嫌いなものはね……えっと……あっと……」
「ないのね」
「そう。ないの」
これまたあっさり話題を切り落とされた。
「ほら、早く野菜切るっ」
「ほいほーい」
まずはじゃがいもの皮を剥きながら。
――じゃあ、好きなものはなに?
頭のどっかで、誰かが尋ねた。
もしもこれが彼女だったなら、ぼくは即座に答えられる。
ぼくはあなたが好きですと、即座に答えられる。
あなたといられて、幸せです。
幸せなんです。
あなたは、どうですか?
「……あ」
「うん? 指でも切った?」
右手に皮むき機。左手にじゃがいも。
斜めに見上げる彼女を抱きしめる代わりに。
「好きです」
言葉が、出た。
< コトコト。>
今までのコト。
これからのコト。
笑うコト。
楽しいコト。
平和なコト。
泣くコト。
泣かせるコト。
怒らせるコト。
怒るコト。
ケータイに出なくなるコト。
ケータイを掛けなくなるコト。
少しだけ、気持ちが離れてしまうコト。
それでもやっぱり、2人でいられるコト。
いろんなコトを鍋に放り込んで。
じっくりコトコト煮込み続けて。
時々味見して微調整。
とろとろになったら食べ頃です。
愛を、育もう。
何でもない日々を、2人で過ごして。
2人の愛を、育んでいこう。
不束者ですが、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。