閑話:二人目の観察者
2017.3.13 改行位置修正
「以上で、私の報告を終わらせていただきます」
「あいわかった。ビート公爵、交渉と報告、大義であった。別命あるまで、しばしゆっくりと休むが良かろう」
「では、失礼致します」
臣下の礼を取り、公爵が謁見の間から退出していく。
「ああ、ちょっと待て。そこの兵士、申し渡しがある故、お前だけは残れ」
「は、はい! 了解致しました!」
王に直接声をかけられ、緊張も露わに、呼ばれた兵士が直立不動の姿勢を取る。そして、他の者が全員退出すると、王はその兵士を連れて、謁見の間に隣接する、小さな個室へと入っていき……
「で、直接見た感想はどうであったか? エドマ老」
声をかける。すると、兵士の男の姿が見る間に変わり、そこにいたのは、旅装用の簡素な杖とローブを身につけた、かなりの高齢の男。
エドマ・エグリジス。王国筆頭の宮廷魔道師。人の身にして魔法を極めたとすら言われる、一般に知られる中では最高峰の魔法使いである。
「ふーむ。どうかと言われたら、ありゃどうしようもないの」
王を前に、しかし老人は気楽な口調を崩さない。他者の目が無い個室であることは当然だが、それ以前に、王が生まれた時から知っている老人だからこそ許される態度でもあった。
「どうしようもない、とは?」
「なに、ちょっと触れる機会があったんで握手してみたんじゃがな。ありゃあ駄目じゃ。魔素は普通にしか感じられんかったのに、魔力の方があり得ないほど莫大な量じゃった。魔素ならともかく、魔力じゃぞ? そうなる理屈が全く思いつかん」
「それほどのものだったのか?」
「怖いと恐れるどころか、笑ってしまうくらいじゃよ。儂が100人おっても、結論は変わらんじゃろ」
「それほど、か……」
目の前にいるのがどれだけ偉大な存在なのかを知っているが故に、王は言葉に詰まる。だが、王とは対照的に、老人の顔に悲壮感はまるでない。
「そう心配することもあるまい。よっぽどのことが無いかぎり、あれが敵に回ることはない。というか、敵に回る頃には、こちらの陣営の半分以上を持っていかれとるじゃろうな」
「魅了の魔法でも使うのか?」
「そーいうのとは、ちょっと違うのぅ。本人に自覚は無さそうじゃったが、奴の周囲には、高濃度の魔力が溢れておった。魔力は陽の力であり、それが放出されていることで、奴の周囲には、警戒心や敵愾心を和らげ、会話を円滑にする効果の魔法が、常時発動されているような状態ではあったが……だが、そんなものは些細なもんじゃ。あの程度で洗脳だと言うなら、美味い酒を奢ったり、綺麗所を紹介する方がよっぽど洗脳に近い。
にも関わらず、奴はあの気難しいバーナー坊主の心を掴みおった。歴史によって根強く刻まれたフォクシールに対する恐怖をあっという間に取り去り、坊主が仕掛けた様々な罠や言質をことごとく回避し、最後には友とすら呼ばせた。
しかも……坊主の報告にあった魔法のことを覚えておるか?」
「こんな短時間で忘れるわけなかろう。美味魔法だったか? 聞いた限りでは、非常に有用な魔法のようだが」
「そう。その魔法じゃが、そんなもの世界中の何処にも存在しなかった。そもそも食べ物を美味しく感じるようになる魔法などというもの、作ろうという発想すら普通は浮かばん。そして何より……仕組みがわかって尚、この魔法は間違いなく、儂には作れなかったじゃろうな」
そう言って、老人は思い出す。あの夜、テントの隙間からじっと観察し続けていたスケルトンが使った、あり得ない大魔法を。
「それほどのものか? 教えられたものは、特に問題なく使えると言っていたが」
「完成されたものを使うのは、誰でもできるわぃ。そうではなく、この魔法を魔法として成立させるために絶対必要なものが、儂には……正確には、世界中に存在するありとあらゆる生命のほぼ全てには、備わっておらんのじゃ」
「…………先生、それは?」
思わず、王はかつてのようにそう呼んでしまう。きっとそのくらい、その先の言葉には意味と価値があると感じるが故に。
「世界に、干渉する力じゃ」
「世界に、干渉……ですか?」
自分の口調が変わって、あるいは当時に戻っていることすら気づかず、王はオウム返しに問い返す。
「そう。あの魔法は、対象のもつ概念に対して影響を与えるものじゃった。それはつまり、世界に干渉する力。無理を通して道理を引っ込め、不条理を条理とする、英雄の力じゃよ。
英雄と呼ばれるような者は、皆例外なく世界に愛されておる。本来なら起こりえないような確立で様々な事象に遭遇し、本来はあり得ないほどの幸運や偶然を積み重ね、そして勝利と成功を続けていく。それ故奴らは英雄であり、たった一人で世界を動かす、世界に干渉する力を持っているのじゃ。
もっとも、それは無限に続く力というわけではない。どんな英雄もその力には限りがあり、だからこそほぼ全ての英雄は、天寿を全うすることなくこの世を去る。その多くは、暗殺や反乱など、己が助けた人々の手によって、な。
そんな限りある、神にさえ届きうる奇跡の力を、あの骨は何と料理を美味しくすることに使いおった! 何と愚かで! 何と間抜けで! そして……何と偉大であることか!」
両手を挙げて、天を仰ぎ見る老人。その顔は、王をして見たことが無いほどの喜
色に溢れている。
「溢れる英知! 完璧な理性! あり得ないほど膨大な魔力の器! バーナーの坊主すら魅了する求心力! 何もかもを備え、世界に愛された英雄が振るう奇跡が、連れ添ったフォクシールのメスに美味い食事をさせるための、美味魔法!? 自分は食うことができず、何の利益も得られないのに!? おかしい、可笑しすぎる。あまりのことに笑いが止まらん!
あの男こそ英雄! 導かれ……そしてその導きを蹴っ飛ばした、おそらく世界で最初で、最低で、最高の英雄である!」
「……英雄……」
その言葉に、心が躍る。少年の頃の自分であったら、きっと今すぐ飛び出して、彼に会いに行っただろう。
だが、国王である自分は違う。英雄が動けば、世界が動く。それはきっと、大きな変化をもたらし、そして大量の血が流れる。
そう、これは英雄譚ではない。流される血は、自分の国の民のものかも知れないのだ。
「どうするのが良いと思う?」
国王としての顔に戻り、王が問う。先ほどまでの恍惚とした表情でこそ無くなったが、それでも機嫌の良さそうな老人は、変わらぬ軽い口調で答える。
「どうもせんのが一番じゃろう。何もしなければ、あの男は動かない。動かない英雄なら、いないのも同じじゃ。
それに、儂は思っておったのじゃ。英雄などという訳のわからぬ個人に引っかき回されなければ、世界は駄目になってしまうのか? 違うじゃろ。儂ら自身の手でこそ、世界を動かさねばならぬ。良くするのも悪くするのも、世界に生きる一人一人の民こそがやるべきなのじゃ。
ああ、そう言う意味でも、あの男が英雄であったのは、僥倖じゃな。世界は未だ儂らの手にある。儂ら全ての、ただの人の手にな」
そこまで言い切ると、話は終わりとばかり、老人は笑いながらその部屋を後にした。残された王は、深く椅子に腰掛け直し、考えをまとめる。
「そうか……なら、余のやるべきことはかわらんな。今まで通り、民を導けば良い」
言葉にすることで、その思いが自分の中にすとんと落ちる。だが、変わっていないはずのそれが、以前よりずっと重く、貴重で、大切なものに感じられる。
「世界は、我らの手の内にあり、か……」
まるで悪の帝王の様な言葉を呟く王。だが、その顔は晴れやかな笑みに満たされていた。




