路傍の石
2017.3.13 改行位置修正
「設営、完了しました」
「うむ。ご苦労」
兵士の報告に、偉そうに……まあ、実際偉いのであろうが……公爵が答える。彼の背後には、テントが二つ。洞窟前草原広場は大した広さではないので、ぶっちゃけかなりギチギチである。
作りから考えると、片方が公爵用で、もう片方が兵士用だろう。不寝番は当然残すであろうから、一度に寝るのは二人か三人であろうが……三人眠るとしたら、相当な密着具合を予想される。首筋にムキムキアニキの吐息を感じながら眠るとか、絶対嫌である。
「それでは、食事の用意に……あの、火は使っても?」
「おい貴様、ここで火など……」
「構わんよ。大がかりにかがり火を設置されたりすれば困るが、煮炊きする程度の火なら、問題ない。どのみち、夜にも火は必要であろうからな」
「……わかりました。ご配慮ありがとうございます」
これもまた、交渉。草花は水分を含んでいるが、火をつけて燃えないわけではない。つまり、自殺覚悟……あるいはうまく立ち回るなら、私たち全員を蒸し焼きにすることができる。
元から決められていたであろう兵士とのやりとりにどう返すかで、こちらの判断力を試されたのだ。
全く何も考えずに許可を出したら、周囲を囲む形で、複数のかがり火を立てられただろう。夜の闇を払い、こちらの動きを制限し、いざとなれば倒すだけで炎の牢獄を作り出せる便利アイテムである。
逆に強く拒絶したなら、彼らは携帯食のみを食べ、さっさとテントの中に引きこもってしまったであろう。そして、そこが終着点となってしまう。
つまり、これは最初から用意されていた「落としどころ」だ。だから火を使う許可を出した時は、「宜しいのですか?」と聞き返して来なかったのだ。
ここまでは、相手の掌の上。故に、ここで1つ札を切る。
「食事ということであれば、私の妻と娘も一緒で良いであろうか? 彼女らは私と違って、普通に飲食するのでな。腹を空かせては可哀相だ」
「おお、勿論ですとも。是非ともご一緒させてください。おい、お前達……」
「おっと、その前に」
公爵が指示を出す前に、私はしっかり口を挟む。そして、彼らに背を向ける。
「二人とも、こっちに来なさい」
言葉にして、小さく頷く。公爵の方に向き直ると、その両隣に二人を立たせ、
「改めて、紹介しよう。私の妻モコモコと、娘のケモ子だ」
そう、名を告げた。モコモコの方から伝わる驚きを、そっと手を触れることでなだめる。
「……失礼、名前は無いということでしたが?」
「ああ、そうだ。彼女らに名は無かった。故にこれは、私が勝手にそう呼んでいるというだけのことだ。
だが、それも今変わった。自分と家族。その外側の存在が、それを知り、そして呼ぶことになった。今初めて、それは彼女らの「名」になったのだ。
故に言ったのだ。『改めて』紹介しようとな」
「……確かに、自分と相手、それ以外の他人がいて初めて、名というのは成り立つものです。その初めての他人に私を選んでいただいたのは……とても光栄なことですな」
こちらの真意を測りかねて、初めて公爵の言葉から、きれが無くなる。だが、それは当然だ。これは私たちの立場を補強するものでも、彼らを追い詰めるためのものでもないのだから。
「それほど大仰なものではないがな。思ったのだよ。路傍の石では駄目だ、とな」
「路傍の石、ですか? それは?」
「道に転がる石ころは、存在すれども名を持たず、誰も注目することはない。この場において、名を名乗らぬということは、存在すれどもいない者、路傍の石ということになる。
だが、我が妻も娘も、間違いなくここにいる。認識されぬ方が安全であろう。無視される方が自然であろう。だが、私はそれが嫌だったのだ。愛する家族を、『名を奪われた民』のままでいさせることが。
故にここにいるのは、そんな呼称で一括りにされる者では無い。我が妻にしてフォクシールの民、モコモコと、我が娘にしてフォクシールの民、ケモ子である。
ご理解いただけるかな? ヒュマニアにしてエジスマ王国の、バーナー・ビート公爵殿」
「……勿論です。それでは、私も改めて、お二方に名乗らせていただきます。私はヒュマニアの国、エジスマから参りました、バーナー・ビートと申します」
「私は、モコモコです。ボーン様の妻で……フォクシールの民です」
モコモコは、震えていた。怖いからではないだろう。変わったからだ。今この時をもって、彼女は「フォクシール」という種族の獣から、「フォクシールの民」という一個の人間になったのだから。それがどれほどのことであるかは、私には想像することしか出来ない。
だが、それが。それこそが、二人の危険度を上げてでも、私が通したかった我が儘の正体。まあ、私の妻や娘は有象無象の存在ではなく、素敵で可愛い、お前達と同じ人間であると自慢したかった、それだけのことである。
「ホネー?」
「うむ。骨であるぞ。ほら、ケモ子も公爵殿にご挨拶をするである」
「ン? ンー……アー!」
おそらく良くわかってはいないのであろうが、それでも元気に挨拶するケモ子の姿に、ほんの僅かに本気の笑みを浮かべて、公爵が答える。
「はい。お会いできて光栄です。ケモ子お嬢様」
「アー!」
ケモ子の声に、背後にいた兵士達すら頬を緩ませる。我が娘の魅力は、まさに天下無双である。鉄壁の精神防御に関しても、貫通効果+∞である。いや、むしろ防御無効で相手は丸裸であろうか? 中年親父と兵士の丸裸……うう、想像すると何とも暑苦しいのである。おそらくこれが、今回の交渉で受けた初めてのダメージであろう。まさかのセルフディストラクションである。
「それでは、後ろにいる兵士の方々にも、名を聞いて宜しいか? せっかく食事をするのだ。皆で食べた方が美味いであろう。もっとも、残念ながら私は食べられないのだがな」
「ボーン殿が宜しいのであれば、喜んで。おい、皆並べ! 順に自己紹介をするのだ!」
公爵の声に、兵士達がきっちり並び……何かまた一人だけ妙にピシッとしてない感じであるが……それぞれが名を名乗り、「兵士」という集団から「人間×5」へと変わる。
その後は特に何事も無く、食事の準備は進んでいく。
「あの、一応兎があるんですけど、モコモコさんは、やっぱり生の方が?」
「あ、いえ。生でも大丈夫ですけど、焼いた物も当然食べられますし、そっちも好きですよ。あなた方も食べるんですから、一緒に焼いてくださいな。
あ、それとも煮込むなら、何かハーブとかをお使いになりますか?」
「あ、ハーブは嬉しいですね。兎のシチューとか、大好きですし」
「ふふ。美味しいですもんね。じゃ、シチューにしましょうか」
違うのは、兵士たちとモコモコが会話をするようになったこと。最初こそ両者ともにおっかなびっくりだったが、モコモコには私がいるし、兵士達も公爵の手前、私の妻たる者を無下に扱うことなどできるはずがなく、やむを得ず会話をしているうちに、何となく慣れた、という感じであろうか。
実際、モコモコは見た目こそキツネそのものだが、普通に知能は高いし、処世術とかもそれなりに心得ていると思われる。であれば、最初の心理的ハードルを無理矢理乗り越えさせて会話できれば、年若いと思われる兵士達の相手くらいは、どうとでもなるのであろう。実際話をしながら一緒に料理をしている兵士が、ちょっと嬉しそうである。
……別に嫉妬とかはしないのである。骨は寛大にして公正明大なのである。
「モコモコ殿は人気者のようですな。正直、フォクシールの民がこれほど簡単に兵士たちに受け入れられるとは思っておりませんでした」
「我が妻の魅力は、何処の誰であろうと伝わるのであろう。娘の方も……」
「ああっ!? ケモコちゃん、それ、僕の干し肉……」
「ンー?」
「いや、それ、ちょっと良い、とっておきの……うぅ、た、食べるかい?」
「ター?」
「ああ、ひょっとして気を遣ってくれてるのかな? う、うん。食べてもいいよ。きっと美味しいと思うし……僕はまだ食べてないけど……」
「アー! むぐむぐ……ンー!」
「ああ、美味しそうに食べるなぁ……いや、まあでも、こんな幸せそうな顔をしてくれるなら、良かったのかなぁ……」
「……ふむ。ケモコお嬢様の方も、大人気のようですな」
「ああ……まあ、そうであるな。良いことである」
あの兵士には、後でこっそり白蜜花の蜜瓶をプレゼントしておこう……
「閣下。準備が整いました」
「うむ。では、皆で食事にするか」
こうして、全員で小さなたき火を囲み、波乱を含んだ食事会が始まった。




