骨の誓い
2017.3.13 改行位置修正
誰もいない。それを認識するのとほぼ同時に、私は獲物を放って駆けだした。掛け値無しの全力疾走。音速ハリネズミも真っ青なスピードである。
たどり着いて、ベッドを見る。血は付いているが、襲われたとか暴れたような、不自然な量の流血は見られない。手を触れる。まだ温かい。これならまだ近く……
「フッー!」
横から聞こえる、小さなうなり声。顔を向ける。子ギツネがいた。ベッドの横、僅か数メートル。壁を背にし、体は可能な限り小さく丸められた体は、壁際に出来た影にいい具合に収まっていて、流石野生動物と納得できる、見事な隠れっぷりである。それでいてうなり声で自分の位置を知らせてしまう辺りが、子供の子供たる所以なのだろう。
とりあえず、襲われたり逃げ出したりしたのではないとわかって、ほっと肋骨をなで下ろす。いや、正確には逃げようとはしていたのだろうが、この洞窟内にいてくれたのだから、それはいい。
生存が確認できたことで冷静になった頭で、さてどうしようと考える。
目の前には、傷ついた子ギツネ。辛うじて意識が戻ったというだけで、まだまだ瀕死であることには違いない。そして、そんな子ギツネの目の前にいるのは、骨。
そう、骨である。生きて動く、骨。不審人物以外の何者でも無い。そりゃこんなのが目の前に現れたら、唸るしかないだろう。むしろ何の警戒も無く骨を受け入れたりされたら、その後の野生生活に心配しか生まれない。
だが、その骨こと私は、子ギツネを……ケモ子を心配している。助けたいと思っている。ならばどうするか?
慣れさせて少しずつ警戒を解かせるというなら、このまま距離を置いて静かに見守るのもありだろう。あるいは、思わず放り出してしまったが、さっき狩ってきた獲物の肉を使って、餌付けを試みるのも有効だと思われる。
でも、それは選べない。相手が慣れるまで様子を見るということか、衰弱した状態のケモ子に、長時間の緊張を強いるということだ。それは許容できない。そんな穏当なジブリ的ファーストコンタクトなど、骨のこの身が望むことではない。
ゆっくりと、歩を進める。手を伸ばし、近づいていく。
「ヤーッ! ヤーッ!」
さっきのうなり声と違い、明確な拒絶の声をあげられる。丸めていた体が、さらに小さく、固く引き締まる。怖いのだろう、痛いのだろう。その思いは、如何ばかりか。
だが、そんなこと私は気にしない。全部無視して、そのまま近づく。近づいて、近づいて……そして、私の骨の手が、ケモ子の頭に触れた。
最早声も出せないほどに怯え、震えるケモ子の頭を、ゆっくりゆっくり、数度撫でる。
「私はお前を害しない。誓おう。この魂に賭けて」
もしも私が骨でなかったら、優しい視線で見つめることも、微笑みかけることも出来ただろう。だが私は骨である。この状況で顎をカコカコ鳴らしても、笑いがとれるとは思えない。
どうやっても、私には安心を与えることはできない。だから言うのだ。絶対に傷つけないと。それが、骨が示せる最大限の誠意である。
ケモ子の体から、力が抜ける。どうやら意識を失ったらしい。それが私の言葉が届いたからだったら嬉しい限りだが、実際には緊張しすぎて意識が保てなくなったというところだろう。
そっとケモ子を抱え上げ、再び草のベッドに寝かせる。知識が足りねば、言葉は届かない。だが、知性があるなら心は届く。苔の一念が岩をも通すなら、骨の一念が子ギツネに届くくらいは造作も無いだろう。細かい意味とかはいいのだ。大事なのは語感であり、フィーリングなのだ。
ケモ子が規則正しい寝息を立て始めたのを確認して、私は放り出してしまった獲物を回収すべく、草原へと戻っていった。




