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SSごった煮

『 』

作者: 2Bえんぴつ

人が突かれると弱いところというのを見つけるのは得意な方だ。それがどんなシチュエーションであれ、そこそこ親しい仲になった人間を分析するのは好きだった。

だからなのだろうか。よく人から相談事を頼まれることがある。そして、大概の悩みを解決させてやることはできる。

それこそが自分の長所であり、『ウリ』でもある。だが、そういう人に限って自分の事となるとてんでダメに成るのだ。



はぁ....


意味もなくため息が漏れ出る怠惰な休日の昼下がり。ソファに寝転がって私は携帯を眺めていた。画面のSNSには、友達からの愚痴が垂れ流されている。ぼうっと流し読みをしながら、私は適当に『そうだね』とだけ返した。こういうのには変に言葉を添えない方がいい。

それにしても、だ。


よくもまあ、こんなにも愚痴を溜め込めるよね


私に換算すると一年とは言わずとも半年ぶんはありそうな愚痴が画面の中に展開されていた。


昼寝....しようかな


携帯を脇に放って目を閉じる。いくつか深呼吸をすれば、不思議と眠気は簡単にやってきて私を夢へと誘ってくれた。



....うわぁ


目が覚めると....いや、正確には覚めていないのだろうけれど、気がついたら私の眼前には樹海が広がっていた。

一体何が起こった。と私は呆然と立ち尽くす。


迷子になるのだけは....勘弁して欲しいんだけど


脳裏にトラウマがちらつく。幼い私は自分より遥かに高い木々に囲まれて右も左も分からずに呆然と立ち尽くし泣きじゃくることしかできなかった。


っ、とりあえず....夢、だよね。これ


頭を振って記憶の想起を止めて私は樹海を睨む。夢ならいつかは覚めるはず。下手に動かなくたって....


ちょっ....勘弁してよ....


それでも、夢というのは意思には従ってくれないらしくて、愚かな私は樹海に向かって歩き出していた。

妙に現実味を帯びた感覚に冷や汗を垂らしながらも、足は止まってくれない。


やだってば....


樹海の中に足を踏み入れ、周りを木々に囲まれても尚私の足は止まってくれない。視界がぐらつき動悸で息苦しくなっても、私の足はまるで別の生き物であるかのように動き続ける。


やだ....行きたくないっ....!


トラウマは完全に想起されてしまい、最早私にはここがあの日のあの場所に見えてしまって仕方がない。


ママ....パパ....!助けて....!


自然と流れてきた涙が頬を伝う。私の足はとうとう走り始めた。まるで何かを探すかのように、まるで何かから逃れようとしているかのように。

宛もなく出口もなさそうな樹海をさ迷う私は傍から見ればとても滑稽に映っているのだろうが、当の私はそんなことに気を割く余裕がない。だって早くここから抜け出さないといけないから。早く家へ帰りたい。こんな夢、早く醒めてほしい。

いつの間にか私の体は小さくなっていて、元から高かった木が更に高く見える。それがまた恐怖心を煽った。


どこなの....!


泣きじゃくる私の視界は涙で滲んでいて、よく見えない。どうしようもなく不安で、どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく怖かった。

滲んだ視界では何があるのかもわからなくて、ただただ走っていたら何かに躓いて、身体が宙に浮いてーーー




悪夢を見ていた気がして飛び起きると、寝汗をびっしょりとかいていた。時計を見ると、三十分ほど経っている。早鐘を打つ胸に手を当て深呼吸することで興奮した身体をなんとか宥める。


大丈夫、大丈夫。ただの夢だから....


何度か繰り返せば鼓動も幾ばくか平静を取り戻し、少し冷静になれた。汗をかいた身体に服やら下着やらが張り付いて気持ち悪い。シャワーを浴びようと、私はまだふらつく身体を起こした。


でも、なんの夢だったんだろう。


思い出せない、というのはつまりそういうことであって、きっと心の中で思い出したくない私がフィルターをかけてしまっているのだろう。

服を脱いで下着も脱ぎ去って蛇口を捻る。少し熱めに水温を調節して、頭から被った。


ふぅ....


水と共に汗や不快感が流れ落ちていく。特に触ることもなく上を向いてただただ身体に熱い水を流した。こうして水を被っていると心が穏やかになる、と気づいたのはいつだったか。湯船に湯を張ってその中に入ればもっと落ち着くのだろうが、そこまでする必要もない。

充分汗が流れたところで、水を止めて身体を拭いた。


さっきよりは、だいぶと心が落ち着いている。



心が落ち着いたところで、喉が乾いていることに気がついた。

冷蔵庫を開けて中から麦茶を取り出して、コップに注ぐとボトルの中の麦茶が空になった。


お茶、沸かさないと....


少し大きなヤカンに水を入れて麦茶の袋を放り込んでコンロに置いて、コックを捻った。


....あれ?


火が上手くついてくれなくて、私はコックを何度か捻りなおす。カチッと音を立てるのだが、肝心の炎がついてくれない。

少しの苛立ちを感じながらもう一度、とコックを捻るとボウッ!と音を立てて、一瞬火柱が立った。

オレンジ色をした炎が私の瞳に映り込む。そのオレンジはあの日のーーー



脳裏にトラウマがちらつく。耳元に、慣れ親しんだ懐かしい、されども二度と聴くことのできない声が聞こえてくる。あの日、焼け落ちた屋根が私の目の前に落ちてくる。

鳴るはずのない音が私の耳を穿つ。どうしようもない恐怖に足が竦んで動けなくなってしまった。

目の前にあるのはただのヤカンでしかないのに、私の目の前に広がっている光景はあの日のもので、聞こえてくる音はあの日の悲鳴で、鼻腔を抜ける匂いはあの日のいろんなものが焼ける匂いで。


『お姉ちゃん!助けて!熱いよぉ....!』


あの子の声が聞こえる。あの日のように立ち竦んだ私に、燃えるその体をのたうち回らせながら叫びかけるあの子の声が。


ごめんね....ごめんね....!


あの日と違うのは、私が懺悔している点。心の何処かではこれが幻覚であると分かっているから逆にツラい。どうにもこの幻たちはあの日一緒に死ななかった私を恨んでいるようにしか見えないのだ。


お姉ちゃんを赦して....


ヤカンがぴゅぅぴゅぅと音をあげた。止めなければいけないと、頭では分かっていても目の前に広がる幻が私を動かしてくれない。

オレンジ一色に染まる視界は涙で滲んでいるというのに、焼けたあの子の姿だけははっきりと見えていて、それがまた恐怖心を揺さぶる。

いっそここで私も死んでしまえば楽になるのか、と私は手を伸ばした。


お姉ちゃんもそっちに行くから....


あとすこしであの子に手が届く。そう思っていたら


「裕子?」



「もう大丈夫か?」


私を優しく抱きしめてくれるその人は、髪を撫でながら私の瞳を見つめてきた。できればもう少しこうして包まれていたいのだけれど、私が彼と会話するためには離れなければならなくて、それが辛かった。


「首振るだけでいいから」


まだ何も言っていないというのに、察しのいい彼は笑う。私は小さく頷いた。


「一人で火を扱うのは、やっぱり止めておいた方がいいかもしれないな」


また、頷く。


「とりあえず、怪我はないみたいだな」


三度頷く。


「晩御飯、何食べる?」


流石にこれを頷きで返すのは可笑しいので、もうだいぶと落ち着いたという意を込めて彼から離れる。


あっさりしたのがいいな。お肉はやだ。

「ん、了解。座って待ってて」


まだ若干ふらつく身体を支えてもらって、私はソファに座った。

大きく息を吐いて身体を倒して台所に立つ彼を眺める。

私より年下で、でも背の高い彼のエプロン姿にももう慣れてしまった。今や料理のできない私にとって、なくてはならない存在だろう。


そんなの関係なくても、好きなんだけど。


でも、その言葉が彼に届くことはない。こちらを向いていない彼に私の言葉は届かないのだから。それに、面と向かって急に『好き』だとかを伝えるのは、恥ずかしい。心臓が止まってしまう。もし本気でどうしても彼がこちらを向いていないときに何かを言いたいのならば、何か物音を立てるしかない。


「はい、できた。裕子、悪いけど運ぶの手伝ってくれる?」

いーよー。


悪夢を見たり幻覚を見たりと緊張しっぱなしだった身体に美味しそうないい匂いが染み込んできて、くぅと小さくお腹が鳴った。



美味しかった。ごちそうさま。


我が家の彼と二人きりの食卓には言葉がない。それは至極当然で、私は何か道具を持っているときは会話ができない。彼もそれを知っているから、何も言わないでくれる。

優しい沈黙が私を包んでくれて、美味しいご飯があって、あぁ、愛されているなあ。と実感する。


「美味しくできたのならよかった。今日はだいぶと疲れてたみたいだし、あとはゆっくり休もうか」

うん、ありがと。

「あ、でも....ちょっと、数学教えてくれない....?来週からテストなんだよ....」

また?もう....ちゃんと勉強してるの?

「してるしてる。それでも分からないんだよ」

しょうがないなぁ。


私と違ってまだ学生である彼の最大の敵は試験なのだろう。私の学生時代もそんなことあったなぁ、と大して年数も経っていないのにしみじみと思う。

彼は鞄から教科書とノート、メモ帳を引っ張り出して机の上に広げた。その間に私は愛用しているボールペンを手に持つ。


それで、どのあたり?

「ここだよ、ここ。意味わからん」

あぁ、それはね


ペリリ、と今会話を書いていたメモ帳を捲って、新しい紙に要点を書き込んでいく。私と彼の勉強法。


「ふむふむ....なるほど、そういうことか」


キリリとした真剣な顔でノートに向かう彼の横顔をそっと眺めてドキドキしながら、私は少し遠慮しつつ彼に凭れた。

そうしてしばらく、私は彼の家庭教師をしていた。



「よし、終わり。ありがとな裕子。相変わらず分かりやすい」

ちゃんと伝えられてよかった。

「このメモ、捨てないでくれよ?」

はいはい。わかってるよ。でも別に普通の会話は保存しなくていいんじゃない?

「いや、そこにも要点が詰まってるかもしれないじゃん?」

もおー....調子いいんだから。


時計を見ると、眠るにはいい時間になっていた。ただ、まだ入浴を済ませていないのでそれを先にしてしまわねばならない。

私はその旨を彼に伝えて、二人で一緒に入った。

ちょっと狭いけれど抱きしめられていると落ち着くから、と恐らく赤くなった顔で彼にお願いをして。


「髪、乾かした?」

乾かしたよ。子どもじゃないんだから。

「いや、まあ....うん」

変なの。....ところでさ。

「うん?」

今日ね、悪い夢も見たの。

「ごめん裕子。それ、なんて言ったの?」


聴きとれなかったようなので、私は紙に今言ったことを書いて彼に見せた。


「....あぁ、なるほど。裕子、もっかい言って?」

いいよ。ゆっくりするね。


私に合わせて、彼が腕を動かす。


「....よし、覚えた。ありがと。やっぱり手話って難しいな」

ごめんね。こんなんで。

「いや、裕子は気にしなくていいよ。難しいけど、俺もたくさん裕子と話したいし。頑張ってこれからも覚えるよ」

「....ぁぃぁぉ、なっぃく」

「ほら、無理しなくていいから。....言ってくれるのは嬉しいから、そんな顔しなくていいってば」

....ごめんね。


私は、彼の名を呼べない。私の口から出るのは吐息と、醜い小さな掠れた音だけ。

それはあの日からずっとで、お医者さんに診てもらっているのだけれど改善の兆しはない。


「あーもー、ほら、こっちきて」


彼に促されて、私はしょぼくれた顔のまま彼のいるベッドに寝転がった。


「いつか、絶対治るから。それまでは我慢。だろ?」

そうだけどさぁ。私だって君の名前、呼びたいもん。君が頑張って手話を覚えてくれてるんだし....

「焦らなくていいから。できるようになったときに、いっぱい聴かせて。な?」


しぶしぶ頷くと、彼は私の頭を撫でながら腕の中に閉じ込めた。


「ほら、今日はもう寝よう」

うん。おやすみ。

「おやすみ」


電気が消された。もう私には意思疎通の手段はない。

抱きしめてくれている彼に一層しがみついて、私は目を閉じた。

彼の鼓動を聴いていると、だんだんと眠たくなって。

すぐに、意識が落ちた。


今度は、悪夢を見なかった。


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