拾われ弟子
サロメの父はいつだって唐突である。友人を連れてくるのも突然、仕事場に引っ張り回されるのも急だ。
魔法使いになってしばらく経って、工房をやるよ、と案内されたのは、階段の途中に掘られたほどよく乾いたような一室だった。端々に、蔦の絡まるような精緻な彫り物がある。
端に置かれた大鍋は、おとなひとりでも入れそうなほど大きい。…国の祭りで使われるものを、友人に新しく作ってもらったそうだ。きっと鍛冶屋のマカヴォロは文字通り目を回したことだろう。一つ作るだけで3か月は休息が必要な大仕事だと、以前夕食に招いた際にひとしきりサロメに愚痴っていた。
しかし風呂に入りたいって言ってただろ、と簡易の排水口まで作られて、サロメが歓喜しないはずがなかった。思わず父に抱き付いて騒いだのをたしなめられても、母に抱き付いて頬にキスする程度に嬉しかった。一時の高揚に身を任せた結果、後でのたうち回る位恥ずかしかったけど。両親は気にしていないようだったのでよしとしよう。
こうして思いがけず風呂代わりの大鍋を手に入れた。まだ、浴びるほど水を得るには至っていないが、鍋一杯には溜められるようになった。あとはこれからの課題としてうまく付き合っていけるはずだ。既に両親と使用人のほとんどは風呂の深みに沈めてあるから、主に石鹸とか香油とかの物品の入手と、掃除のバックアップは万全である。
解決の目途の立った問題はいい。問題はと言えば弟子を取った!と嬉し気な父が連れて来たのは、古びても上等なシャツを着た少年だったからだ。
それが奇妙に見えたのは、指先まで隠れる袖の長さのせいだろう。痩せた体はサロメよりも背が低い。薄汚れたような麦のような髪色、おどおどと視線の迷う明るい水色の目。そして鼻の頭に浮いたそばかすが大変こう、気弱な雰囲気を醸し出している。
根本的にいじめっ子な父がいじり倒して喜びそうなタイプだなぁ、と思いながら名乗る彼女は、困ったように口唇の動く少年に首を捻る。
『ああ、もう舌はないよ。まだ舌なしの話し方は教えてないんだけどね』
『お父様…はりきりすぎじゃありませんか?』
『だってもう弟子にもらったからね。今日から家に住むから』
家建てる代わりにね!と胸を張る父の横で、絶望的な表情となる少年に気付いてほしい。大変心無い対応に見える父は、単に魔法使いとしてのびやかに生きて気遣いを知らないだけである。結構な頻度で母によりお仕置きを受けているのに懲りないことだ。
家の代金として親に売られたんだよ、なんて適当に暴露されたって傷つくだろうにと思い浮かばないのだから厄介だ。気遣われたのは母が初めて、それで恋に落ちたらしいから中々どうして純粋らしいけれど。
『僕はこれからそこの家を建てに行くからね。夜には戻るつもりだから、その間この子を頼むよ。サロメ』
『…わかりました!で、この子のお名前は?』
『え、知らないよ。会った時からもじもじして話さないんだ』
『はぁ?』
『まあ話せるようになるころには、名乗りたい名前も決まってるだろう。なぁ少年!どうせ売った親につけられたのなんざ、ハンスとかありがちな名前だろうしな。これを機に好きな名前にしたっていいぞ!うちの姓のブランヴィルをやるかは今後によるぜ』
『そんな、無茶苦茶な…』
せめて聞いてから舌を抜けよ、と思わなくもないが。基本魔法使いなんて人種は、ストレスフリーで生きている。悩みと気遣いに無縁とは、父と、父の友人たちで知っていた。恐らくは詳しく突っ込めば慰めなければならないと面倒くさくなったな、と推測する。
父はと言えば、胡乱げな目つきで見つめてくる愛娘に気付いたらしい。少しばかり慌ててから、わざとらしく手を打った。
『そうだ!風呂に入れてやるといい!この少年、身体を拭いたのも一ヶ月前だそうだ』
その言葉に身の置き所もなく震えていた少年が、更に怯えたのはまあどうでもいい。サロメは思わず値踏みするように、頭からつま先まで少年を眺めた。
くすんだ髪色、垢の擦れたシャツの襟元、母気に入りの絨毯を踏む少年の靴が見事に茶色く汚れている。魔法を刻印されていないそれは、大抵糞尿を踏む羽目になる。
丸洗いするより他救われる道がない。
『…腕が鳴りますわね』
『そうだろうそうだろう。君の趣味に合いそうなのを連れて来たんだ、僕は』
別に彼女は、小汚いのを洗うのが好きな訳ではないのだが。生活を共にすることになる以上、清潔を保ってほしいだけだ。母が知れば割と折檻されそうな事態であるが、父はまるで頓着していない。
これまでの人生、概ね外道を生きる父が、暴れる少年を縄によってたいへん丁寧に梱包してくれた。屋敷の衛生環境の危機に、呼び立てた執事が少年を麻袋に詰めて、恭しく風呂場まで連行してくれるのを先導する。喉音で大変耳障りな悲鳴が響くが、好きに叫ばせておいた。
直にしゃべるのも億劫にしてやる。
『身を清めぬ人に我が家の絨毯は踏ませませんよ』
頭らしき部分を片手で掴んで精一杯優しく言ってやったせいか、麻袋は凍ったように動かなくなった。