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茸の国にて

サロメ!と寝ているところをすくい上げたのは、したたかに酔った父であった。今日の名前はトライスと名乗ることにした、とたいへん快活に朝からどこかへ行っていたが、夜が更けてようやく戻って来たらしい。


常にこうした人なので、彼女は未だ、確かな父の名前を知らない。すごい勢いで髭にこすられるのを押し返して、口に手を突っ込んで開けさせる。視界が高くなるのが楽しいし、この人に抱えられるのは嫌いじゃないが、今日は確かめたいことがあった。


『どうしたんだい、サロメ』


ぽっかりと開けられた口の中に、やはり舌はない。サロメの手に口を開かされているのに、流暢に踊るような発音として言葉は耳に響いた。舌なしの話し方は、直接心で話しかけるものですと、今日の朝に母から聞いていた。ついでに、特に名前のない話し方一つに大層な呼び名をつけている魔法使いは、信用しないようにしなさいとも。


「したがない、です」


『ああ、リディンから聞いたのか!そうとも、君の父親だって舌なしだからね!』


酒の入った父の【舌】は相当に軽い。口を挟めないままにまくし立てられる。窓際に連れていかれて、居並ぶ茸を指しては、あれはいつかに自分が作ったものだと誇らしげに語った後で。舌なし相手に対価をケチったので、雨が降る度本物の茸が天井にびっしり生えるようにしてやった、と笑うのだ。


父に抱えられて見る、窓の外の風景。

年月を経て成熟し、ようやく鮮明に像を結ぶようになったサロメの目が、元の世界の物ではない、と断言できた理由を教えてくれた。何か大量に…酷く芸術的な作りの茸が、そこかしこにあるのだ。しかも無意味に大きいのが。


ラカサイト・ランバー・スロート。土で出来た茸型の住宅の立ち並ぶ、誰も王の顔を知らない王政の国。女神の首飾りよりこぼれた石の一粒、というおとぎ話のような神話は興味が無くて覚えてない。ただ、歪な丸を描いたような国土で、国を囲う広大な農地の先には何もないらしい。地続きではない他国に赴くには、魔法使いが特別な手順を踏まねばならないらしい、というところだけが不可解だったが。まだ家の外にすら出たことがない彼女には、そうなんだと流すほかない。


とにかく、茸を模した家々はどれも資産のある人間が…父に依頼して建てたものらしい。茸の笠から雨露を垂らしたような、色とりどりのランタンの明かりが美しかった。

…これが、あれはラクトライス一家の依頼で、金貨の一袋と引き換えで立ててやったとか。個人情報の漏えいに勤しむ父の手で作られたと、信じがたいくらいには。


サロメの短い背丈では横に広い部屋を移動するだけで精いっぱいで、外に出たことはなかったが。高さに見合って、酷く長い階段が、茸の軸の部分に当たるそうだ。小人さん気取りかな?一瞬思ったが、口には出さない良い子は装っている。


壁は壁紙もなく白い土の手触りだけがある。室内は整えられた調度品と柔らかに漂う香油の匂いで、大変過ごしやすくはあったので、外に出ないことを気にしたことはなかったけど。夜になれば、人々の持つ青白い光が火の玉のごとく行きかう街並みは、昼よりは鮮明に浮かんで見えた。


火だろうか、と思えば、燃やす燃料がないとのことで、ここでは大体の動力に『石』なる物を使っているらしい。まだ、見たことはなかった。


『綺麗だろう!茸がずっと続いているんだから連中も飽きないのか不思議だけれどね。ちょっと見かけをいじっただけでありがたがるんだから、飽きても自分じゃ作れないから、どうしようもないんだろう』


身も蓋もない。からからと笑って、サロメを丁寧にベッドに戻すと恭しく掛布を戻して笑う。


『あと、君が気にしてるのは舌を抜かなくたって生きていけるのに、そんな真似して死なないかってことくらいか』


人が小奇麗に隠したがるのを、気軽に土足で暴き立てる男は話が早くていい。それだよ、と口を突き掛けるのをこらえて跳ねるように起き上がったら、すぐさま額をつつかれて枕に戻された。


『舌を抜いて死んだのは、献身的で尊敬できる人格の持ち主だけだよ。我がブランヴィル家は代々怠け者の家でね。舌を抜いたほうが生きやすいんだ』


明日その理由を教えてあげようと、とんとんと腹の辺りをリズム良く叩かれれば、徐々に眠気が舞い戻ってくる。


『なぁ、サロメ。君は魔法が使えたら何をしたい?』


「…ほんでみたんです。わたし、おふろにはいりたい」


代々伝わる蔵書は挿絵の入ったようなものから、不可思議な素材で出来たものまで豊富だった。所々に入った落書きが、そこまで真面目に引き継がれていないことを伝えている。ブランヴィル家の初代が、ちょびひげなのかヤギ髭なのかも判断がつかないくらいには改変が加えられていたけど。


多分サロメの為に用意された真新しい絵本の一冊に、鹿に似たダロウスという生き物が風呂に入る話があったのだ。畜生ですら風呂に入っているのに、と歯噛みしたのは内緒である。


『いいね、それ。夢でしかない。魔法でしかこの国じゃ叶わない。素晴らしい願いだ』


「え、まじで」


余り推奨されない言葉遣いは、大抵使用人たちが隠せてると思った悪態からである。どうしたってこういう言語は単純すぎて使い勝手がいいのが厄介だ。


『…やはり、中身は私に似たかぁ。いいぞ、それくらいじゃなきゃ魔法使いにはなれないからね』


はしたないと怒られるか、と思ったが。親にそのくらいの茶目っ気が出せるのはいいことだと、まぶたを覆われる。


『明日、その理由を見せてあげよう』


悪い魔法使いのようにおどろおどろしく呟いた後。一しきり構い終えて満足したのか、父は部屋を出て行った。舌をぬかなきゃならない理由、理由か。


いやいやいやだって、風呂じゃん。風呂だよ?それが、魔法じゃないと無理って、何。


そうつぶやいた彼女は、丁寧に掛布に包まってから寝息を立てることにした。たぶん、泣いて頼めば抜かなくてもよさそうなことに安堵して。大抵、呑気が過ぎるので後で泣く羽目になるのは、死ぬ前から変わってない。

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