彼
「真琴、接触は成功した。でも、あいつは、椿は……俺を覚えていないようだ。」
「そうか…じゃあ蒼夜さんの見解は間違ってなかったんだな。」
「そうなるな。とりあえず、帰る。」
ヘッドホンをソリッドのままに、夜の空で家路を急ぐ。早く帰りたかった。この不安から、たった今確信に変わったこの現実から、早く逃れたかった。
俺らの家は、俺を含め5人で住んでいる。皆、小さい頃からの仲だ。大家の湊 蒼夜さん、その奥さんの胡桃さん。それから、真琴と、椎名 鈴。5人ともいわゆる能力者で、お互いを支える為に一緒に暮らしている。
俺は大抵の時間を地下で過ごす。その入り口はキッチンにある。床下の扉を開けると梅干しなどの漬物瓶が大量に入っている。
「エアモード。」
とつぶやくと、漬物瓶が視界から消えて、階段が見える。階段を5段降りたところで
「ソリッドモード。」
と言わないと、大量の漬物瓶達が頭に落ちてくる上に、警報機が反応して家中にサイレンが響き渡る仕組みになっている。まだ被害にあった人はいないけれど。こんなくだらなくてとんでもない仕組みを発案したのは胡桃さんだ。
地下は研究室の多さと倉庫の多さと、トレーニングルームの広さのせいで、家の面積よりよっぽど広い。地下の有効活用と言ったら響きがいいが、正直、維持費も馬鹿にならないから、どれだけの資金が必要か、わからない。どこからそんな金が湧くのか、といつも不思議でならない。
今から俺が行くのは1番大きな研究室。蒼夜さんは今の時間、そこにいるはずだからだ。そして大体、それ以外の部屋は消灯され、人気が無い。
夜10時くらいまではそれぞれの研究室は"ヒト"で溢れている。俺にしたら得体の知れない奴らの研究は半信半疑なのだが、蒼夜さんはやけに買っているので、何も言えない。
「入るよ、蒼夜さん。」
いつも通り、ノックもせずにドアを開けた。
「おう、おかえり。どうだった?久しぶりに会った姫は。」
にやつきながら言う蒼夜さん。この人はいつも調子がいい。
「蒼夜さんが正しかったよ。」
「やっぱりか……。それ以外は、相変わらずだったか?」
「あぁ。」
そう、本当に椿だった。雰囲気、仕草、声、話し方、全て昔とそう変わらない。ただ、他人行儀、という域を超えた冷たさだった。
「それと、言われたことがあるんだけど。」
「何て?」
「もう、俺と会うことはないって、そう言われた。」
「そうか……」
蒼夜さんは、そう呟いて考え込んでいる。合うことは無い、ということはこの街を出ていくということなのだろうか。確かに、これまであの真琴でさえ、掴めずにいた情報なのだ。この街に来たのは最近であるのだと思う。
「でも、そんなに頻繁に移動するのはなぜだ?」
蒼夜さんも、同じことを考えていたようだ。
「何かを辿っている、とか?」
「何か、ねぇ。この街で最近起こった、珍しい出来事を探ってみるか。椿とまた会うために出来ることをしよう。今のところ、仕事依頼は無いからな。」
「わかった。真琴たちにも頼んでみる。」
「待て、悠。」
真琴たちのところに向かおうと、背を向けた俺を蒼夜さんが呼び止めた。
「真琴には頼むな。自分で探れ。」
「……。」
「これは、お前の問題だ。一人で向き合うのは怖いだろうさ。でも、今、やっと見つけた今、調べないとダメなんだよ。それもお前自身で。」
「そう…か、そうだよな。」
「大丈夫だ、お前だって調べるのは得意だろう?」
またにやつきながら蒼夜さんは言う。
「やってみるよ。自分で。」
そう言い、俺は研究室を出た。