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結-08



 普通、昼間に肝試しをする人はいない。

 だって、それでは雰囲気が出ないから。怖くないから。

 だから、一昨日あれだけ恐ろしく見えた山も、春の柔らかな日差しを浴び、若い緑に包まれていると、どこにでもあるような普通の山だった。


 そして陽の光の下、そうやって改めて見ると、気づくことがいっぱいある。

 あのトンネルへ続く道が、実は私道であること(入口に小さな看板が立っていた)。

 そのせいか管理が行き届いておらず、ガードレールが設置されていたりいなかったり、あってもかなりボロボロで今にも壊れそうなこと。

 また、ガードレールの向こうにある崖は、木々がうっそうと生い茂り、かなり見通しが悪いものの明らかに深く険しく、非常に危険であること。

 そして――


「あー、確かに何か見えるな」


 崖を覗き込んで、統堂さんはそう言った。

 正直、かなりギリギリなところに立っているから、見ていてハラハラする。下手に声を掛けることさえ躊躇われる。

 だから私とB子さんは、車から降りはしたものの、そのそばで二人並んで静かに統堂さんの背中を見つめていた。


「…………」


 ここは、今回の目的地――B子さんと初めて会ったあの場所だ。

 ただし、本当にここで合っているのかは、私には分からない。あのとき辺りは真っ暗で、特にこれといった目印になるようなものもなく、その上完全にパニクっていた。

 だけど本人が言うんだから、そうなんだろう。

 全てを思い出した本人が、言うんだから。


「私ね、外資系の企業で働くのが夢だったんだ」


 こう見えても結構英語喋れるんだよ、とB子さんは微笑む。

 だけど、その顔を直視するのはなんだか違う気がして、私はただ黙って前を見続けた。


「だけど完全に就活に失敗しちゃってね、周りのみんながどんどん内定もらってくから焦っちゃって、焦っちゃって。結局、大して興味もない業種の会社に就職したんだ」


 ――でも、それこそが本当の失敗だった。


「入ったところが、まあいわゆるブラック企業ってヤツでさ。残業も休日出勤も、お昼休みだって仕事するのが当たり前。ブラックじゃないですよってアピールなのか、たまに無理矢理休まされるんだけど、でもそれは仕事をする場所が自分の部屋に変わるだけ。プライベートらしいものなんて何もないし、そもそも私がやりたかった仕事はこんなことじゃないって、もうぜーんぶ嫌になっちゃってね。気づいたときには真夜中、こんなところまで車を走らせてた――どこかで自殺しようと思って」

「だけど、自殺じゃねぇんだろ?」


 こっちに背を向けたまま、統堂さんが言った。少し離れていたけれど、ちゃんと話を聞いていたようだ。


「こんなところに車ごと……なんて自殺にしちゃ荒っぽすぎるし、確実に死ねるとも限らない。それに何より、アンタらしくない」


 らしくない。

 そう断定的に言った統堂さんの言葉に、B子さんは少し驚いたように目をしばたかせ、そしてクスリと笑った。


「そうですか……そうですよね。私も死ぬときは、もっと穏やかに死にたいと思ってました」

「じゃあ、どうして――?」


 思わずB子さんに詰め寄るように、私はそう問い掛けてしまう。きっと私は今、責めるようなひどい顔をしているんだろう。

 しかしそれでも、B子さんは優しく諭すように語り掛けてくれた。


「私の実家、こんな感じの山の中でさ。近所に遊ぶ場所どころかコンビニすら無くて、それが子供の頃から嫌で嫌でしょうがなくってね、大学入るときに大ゲンカして出てきたの。もう二度とこの家には戻ってこない、って。だけど、こんなとこ走ってたら実家のこと思い出して、帰りたくなっちゃってね。今ならちゃんとお父さんに謝れるかも、とか、それなら別に仕事なんて辞めたっていいや、とか」


 ――だけど、考え事しながらの運転は危ないね。

 そう言って、やっぱりB子さんは笑みを浮かべる。まるで私が泣いてしまうのを防ぐかのように。


「気づいたときにはブレーキは間に合わなくて、次に目を開けたときにはもう、ここにぼうっと立ってた。自分がどうなったのかも分からずに」

「それじゃあ、事故死、ってことでいいんだな?」


 クルリと振り返り、ゆっくりとこちらに歩きながら、そう確認する統堂さん。その手には、いつの間にかスマホが握られていて、何か操作をしている。


「一応、俺たちが事実上の第一発見者ってことになるからな、経緯と死因くらいは説明しといてやるよ。警察にそれ用のツテもあるし。それとも、自殺扱いのほうがいいか?」

「い、いえ! 事故死でお願いします! 多分、両親もそのほうが納得できると思います……もうずいぶんと長い間、心配掛けてしまってるだろうけど」


 B子さんが零したその言葉に、私は今さらながらハッとした。

 そうだ。そうだった。B子さんにも当然、家族がいて、その人たちに別れを告げられないまま――


「ダメだ」


 統堂さんの短く鋭い言葉に、私の考えは止められた。言葉を出すことすら、許されなかった。


「アンタの考えてることは分かる。だが、叶えてやる願いは一つだけだ」

「べ、別にそこまで厳しくしなくても……」

「ダメだ。例外は認めない。そんなことしてたら際限がなくなる」

「で、ですけど……」

「そもそも、こんな風に魂が留まってること自体、あっちゃならねぇことなんだ。本来あるはずのないロスタイム。普通、人間は死んだらそこで終わりなんだよ」

「それは分かってます……けど――」

「もういいですよ、麻北さん」


 私のためにありがとうございます、とまで言われてしまったら、それ以上はもう何も言えなかった。言えなくなった。

 私だって、この専門家に抗議する無意味さくらい分かってる。この人の言うことは、いつだって正しい。

 多分、ここで最期を――最期の最期を迎えさせてあげるのが、最善なんだろう。

 そして、それは当人が一番分かっているみたいで、実に晴れやかな表情でB子さんは統堂さんに向き直った。


「統堂さん。ここまで連れてきてくれて――私の願いを叶えてくれて、ありがとうございました。お世話になりました」


 そう言って深々と頭を下げるB子さんに、統堂さんは何も答えない。ただ真っ直ぐに、B子さんのことを見据えるだけ。

 そして――


「麻北さん。色々と迷惑掛けてしまったけど、本当にありがとうね。私、取り憑いた相手が麻北さんで、本当に良かった」


 その言葉を残して、B子さんはいなくなった。

 霧のように薄れていくのでも、煙のように天に昇るのでもなく。

 まばたきした次の瞬間には、そこから消えていた。余韻を残すこともなく、まるで最初から誰もいなかったかのように。

 別れを告げる時間すらなかった。


「……行っちゃったんですか?」

「ああ、逝ったよ。無事に」


 言って統堂さんは、車のドアに手を掛けた。

 専門家としての仕事は、どうやらこれで終わりらしい。


「さあ、帰るぞ、麻北」



 誤字・脱字などありましたら、こっそりと。

 感想・レビューなどありましたら、ぜひ堂々とお願いします。

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