俺の旅路、竜の国
竜馬の馬車の中に揺られ、俺はまどろみに包まれていた。泥の海に沈む様な眠気に襲われて抵抗が出来ない。
やはりあの戦闘で魔力を使い過ぎた。大技の付与を纏った多連崩拳を短期間で三度も。魔力切れまでには達しなかったが、急激な消耗の反動が遅れて現れたらしい。
完全に無防備な状態ではあるが、そこはこうなることを想定した上でレイシア達に見張っておく様に釘を刺して置いた。
流石にすぐには行動を起こすとは思えないが、シャーデンフロイデが何をしでかすかまだ読めた物ではないからな。
どれだけ眠っただろうか。何かが頬をつく感覚が、意識を浮上させる。小鳥が嘴でそっとつついてくる様な触感。
意識が覚醒し始める、徐々に煩わしく感じたので、悪戯の犯人を逆に驚かせてやろうと俺はガバッと起き上がった。
「うぉおう!?」
目と鼻の先にいたのは、赤い髪と赤い衣の竜人の美女である。角と翼があり、俺の頬をつんつんしていたのは、尻尾の先端だと理解するのに時間は掛からなかった。そのまま両手を上げて引き下がる。
「何やってんの?」
「い、いや、小休憩じゃ。もう数時間で着くんで起こしてやろうかと思ってのう。じゃがまだ疲れて寝ておる様じゃし、到着するまではそっとしてやるべきか悩んでいたんじゃ。で、眠りが浅そうなら良いかと試してみれば」
「驚かせて悪かったな、おばあ--」
びっしぃ! と顔に重い衝撃が襲う。彼女の太い尻尾が、顔面に打ち付けられたと分かる。
「おぬしまで揶揄うなら、儂にも考えがあるぞい? 丸焼きか? 燻製でも良いぞ?」
竜姫の口元から覗く牙が光る。その喉奥には火炎が吐き出せるのも俺は知っていた。此処は素直に、
「……ふみはへんへひは」
拗ねた様子で鼻を鳴らして荷台から先に降りたアディは、外に出るなり角や羽など竜人の特徴のある部位を引っ込める。確実にご機嫌を損ねるみたいだから、遠慮しておくか。
ここ数日、殆ど寝ていてばかりだった気がする。酒を飲んだつもりも無いのに、覚えが無い。日頃の苦労を含めて相当疲れてたんだろう。
荷台は既に揺れが無く、馬車を停めていた事に今更ながら気付いた。それに日が高い。
外は荒涼な岩砂漠の風景と打って変わり、緑の多い平地のど真ん中だった。
馬竜を休ませ、皆も見張りと休憩を行っている。
「パパ、おねぼうさん」
「おうトリシャ。頭に被せたそれ、良いな」
ラベンダー髪の少女の前髪を描き分けた先には呪いの歪な痣が広がっている。その為か、見られない様に誰かにピンクのフリル付きのヘアバンドを着けてもらったみたいだ。
「パルパルがくれたの」
「パルダが?」
「あ、グレン様。おはよう御座いまする。そろそろ起こしに参ろうとしていたところでしたが」
噂をしていると、ピンクがかった白髪の少女が俺とトリシャの元にやって来た。
「それには及ばないぜ。アディに良い『目覚まし』を貰ったんでな」
「姫様が?」
「それより、トリシャにヘアバンドくれたみたいじゃん。ありがとな」
あぁ、と侍女は心当たりがある様で相槌を打つ。
「お粗末ながらお気に召して頂ければ、と。差し出がましい真似で御座いますが」
「良いよ良いよ。いつも気を回してくれて助かる。しかしよくそんなの持ってたな。子供の頭にピッタリなサイズまで用意してるとは流石だ」
「それは、竜人の変化の応用で御座いまする。オブシド様がヘレン様に自らの鱗を剣に変えてお渡しした様に、私の鱗を一枚変化させた物です。高度な道具やオブシド様の様に武具には出来ませぬが、ちょっとした装飾ならば私にも」
今更ながら、服装を自由に変えたり竜人の魔法は凄い万能だと改めて感じる。人間が使えるのは、せいぜい自然の力を大きくさせるくらいだものなぁ。
「パルパルはやさしいの。トリシャに色んなことおしえてくれた。町とか、りゅうじんのこととか」
「そうか、そりゃ良かったな。その調子で色々勉強する姿勢は凄いぞ。パルダ、色々やってもらって悪かった」
「いえいえっ、滅相も御座いませぬ!」
きっと質問責めだったんだろうな、と俺の寝ている間の背景を想像し詫びる。畏れ多い様子でパルダは俺の至らなさを否定する。
俺も迂闊だ。結果的にトリシャをほったらかしにしてしまったし、世話を他の奴等にさせてしまった様だ。父親代わりなんだから、もっと看てやらないと。
「それにバーバはへんなことをしようとするし」
「へんなこと?」
アディの話になると、トリシャはブーと頬を膨らませた。
「トリシャにちえを与えるとか、よくわかんないこと言って近よってくるからにげてるの。やめろババアって言ったら大人しくなったよ」
「……手心を加えてやってくれ」
俺の時と同じで、竜人の魔法で社会的な知識でも直接入れ込もうとでもしたのだろう。あの村じゃあロクな教養なんて物はなさそうだからなぁ。
「ところでパパ、メガネの人が言ってたんだけど、ろりこんって何?」
「それはもう少し大きくなってからだな!」
ロギアナの奴まで、吹き込みやがったか。
離れた所では、石の上で食糧の干し肉をガジガジと齧っている子竜を見掛けた。数日前まで死闘を繰り広げたシャーデンフロイデのなれの果て。
「ご機嫌如何かな? グレン・グレムリン。君の旅の満喫の仕方は馬車に揺られて惰眠を貪る事の様だな」
「生憎あんなことさえなければ俺も楽しいピクニックに参加出来たんだがねぇ。おたくはかなり堪能してるんじゃないの」
「吾輩は膨大な年月を『食す』という存在理由に縛られていたんだ。久方ぶりに食材の質の悪さを覚えたり、制限された粗食を噛みしめるのも感動を覚える域に入るという物だ」
「あっそ」
特に何か問題を起こしているわけでもなさそうだな。強いて言うなら穀潰しが増えたという点か。
「おたくにはまだ聞きたいことがまだまだあるんだ。当然、情報提供を出し渋ってくれるなよ?」
「吾輩が話す必要があると思った情報は先日出し尽くしたつもりなんだが」
「こっちが有益だと思える物が無いとは限らないだろ。一応アンタも転生者として大先輩なんだから」
転生者について俺達が知らない情報があれば聞き出しておきたい。
「アレイクがアンタの記憶を読み取った事、アレはアンタのやった事じゃないだろうな? 転生者っていうのは、何か特別な能力でもあるのか?」
「特典まがいの物なら、ある。吾輩達、反逆者が与えられる様なレベルではないがね」
「特典ねぇ。初耳だ」
「あの少年騎士は今まで自覚が無かったのだろうが。知能のある魔物の感情を察知する特性を所持している様だな。あの銀の魔導士の少女、あの娘も貴重な鑑定眼を有し、膨大な魔力を備えているよ。恵まれた才能だからそれは転生者として賜ったのか、たまたま生まれ持ったのやら」
「じゃあ、俺は?」
「吾輩も何でも知っている訳ではない。君自身で探してみたまえ。まぁ、転生したから必ずしも何か特殊な性質を持つとも限らない。吾輩も反逆者になる前はただの一般人と何ら変わらなかったからな」
レアな異能と言っても良いのだろうか。そんな都合よくアホ女神が与えるとは到底思えないしな。何も言われてないし。
「さて、他に今聞きたい事はあるのかい?」
「トリシャが俺より呪いに抵抗があるのはその、エルの血統ってやつだからか? 巫女は20代まで生きられるらしいし」
「そう考えた方が良いだろうね。聞いたよ、君は十字架で呪いの侵攻を遅らせているとか。ユニークな発想だ。ああ、勿論褒めているのだよ。転生を経験した者は神と出会うという神秘体験を経ているという事に繋がるからな、高位の信仰者の道具を利用するのは実に理に適っている」
クルクルと喉を鳴らしながら、シャーデンフロイデはこんな質問をしてきた。
「ときに、その十字架を渡したのは誰かね?」
「あ? ハウゼン聖騎士長っていう眼鏡野郎だが? お前以上に胡散臭いかもな」
食事の手を止める。ニヤリと、ドラゴンの長い口の端を器用に歪めた。
「……ほう。それは是非、お目にかかりたい」
妙な関心を示す事に、その時は特に気にも留めなかった。
遠くで狼煙の様な黒い噴煙が立ち上る。黒い山々が横断する俺達の眼下を見下ろす。頂きには、赤々とした溶岩が蠢いているに違いない。
竜人の王国は、連なる岩山に囲まれて外界を遮断する様な土地に存在する。そしてその周辺にはルメイド大陸とは比べ物にならない凶悪な魔物がひしめいており、オブシド達と一緒で無ければ俺達でも辿り着くのは困難だっただろう。
それが、人との交流が希薄な大きな理由であった。向こうは空を飛ぶ事も出来る為か、アディの様に人間界と馴染んでいたりする者もいるのだろう。
「あの火山は自然の御霊が降りると信じられた山でのう、竜人達にとっても神聖視されておる。今の様に定期的に稀に小さな噴火が起きていると、火の精霊が舞い降りていると信じているんじゃよ。あそこには畏敬の念を持って祭祀の神殿を設置してあってな」
「確かに、説得力のある光景だ」
「凄いじゃろ? あのまま寝過さなくてよかったのう」
遠くからでもあの狼煙は見えていたが、アルマンディーダはこれを見せる為に俺を起こそうとしてたのか。
「稀な景色だったから声を掛けてくれたんだな。ありがとうな」
「ふーん、何じゃい今更」
そっけない態度をとる彼女だが、声に刺々しさは無い。機嫌は損ねてはいない様だ。何故かパルダがくすっと密かに笑っている。
連山を掻い潜る様に進むと、灰色の大地がやがて緑豊かな土地に移り変わった。
至る所では地下水源が地上にまで出ている様で、水面には湯気が揺らめいていた。
「うわぁ、温泉じゃないですかぁ」
「儂らの国でも利用しとる。城では勿論、城下町でも足湯があるぞい」
「ほんとですか!? 入ります入ります! 絶対入らないと! そうでしょグレンさん!?」
「あ、うん」
アレイクがはしゃぐのも分かる気がする。こっちじゃ普通は川や泉に浸かるか水浴びが関の山で、湯船に肩まで入るなんて贅沢にも程がある範疇だ。
ん? と俺はふと疑問を投げ返す。
「お前どっちに入んの?」
「え? そりゃ……ど、ど、どどうしましょう!? 世間からすれば男なんですが、でも僕はあれだし……。こ、混浴じゃないですかね」
「知らないよ」
コイツ自分の性別の事完全に忘れてたな。
やがて、奥で街や赤屋根の天守閣が遠目でもハッキリ見える所まで近づいてきた。先陣を進む、オブシドが振り返って言った。
「あちらこそが我等竜人の国、トゥバンにございます。火竜の赤の一族ペイローン王が収める火の国であり、竜人勢力最大の王国となっております」
その王女に当たるのがここにいるアディで、彼女は帰還して来た。そして、俺達は護衛の同伴と。
「……戻ってきてしまったの」
「大丈夫です、姫様。私もオブシド様もいらっしゃいますから」
「それは心強いのう、おぬしには期待しておるぞ」
「そんな、私ごときでは足を引っ張りかねませぬ……!」
「どっちなんじゃい」
彼女の呟きに、パルダは励ましていた。何だろうか、やはり今まで旅していたのには何か事情があるのだろうか。




