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俺の葬炎、飢喰の原初

 シャーデンフロイデの胃袋に火を放ち、スフィンクスに乗ることで崖の向こうの胃壁まで辿り着いた俺は、紅蓮ぐれん多連崩拳たれんほうけんで突き破って外界に出た。

 目論見通りだった。外敵からの攻撃には自動反撃オートカウンターが発生するが、内部からの攻撃には対応できないらしい。

 そしてその後の祭りとして、奴の全身に災禍が訪れていた。


「ボォォオオオアアアアアアアアアアァァアア! アァ……アアヅイイイィイィィイイイイイイイィィイ! アァアアアアアアアアァァァァァ!」

 身を焼かれる苦しみに晒された蛇が、必死に纏わりつく炎を消そうとしていた。正直俺自身も想定外に火の回りが早い。脂がいい具合に引火してるのだろうか。



「凄いなゴブリン! あんな怪物を倒してしまうとは!」

「……いや、倒せたとは思ってないんだけど」

「は?」

 それはヘレンの早とちりだ、と言ってやりたかったがあの様子だと案外そうでもない……のか?


 奴は不死身と言っていた。溢れる生命力によって無理やり生かされ、悠久の時間を過ごさざるを得なかったのだろう。

 きっと焼身自殺も試みた筈だ。俺も同じ状態になったとすれば、それくらい考える。


「火に包まれただけじゃ奴は殺せない。多分。しばらくすれば鎮火して回復するぞ皆。だから今の内に逃げ……」

「の割に、効いてるようじゃが?」

 アディが示唆すると、力尽きた様子で巨躯が大地に伏した。塔が倒れる様な光景と共に、大きな地響きが轟く。


 そのスケールからして、山火事の現場を目の当たりにしている気分になる。コイツは生き物だが。

「……やったか!?」

「おい、だからそれ言ったらダメになるパターンッ。余計な事言うなバカ!」

 くっころ騎士の漏らした言葉に余裕が無い俺は噛み付いた。また食われるなんて勘弁してほしい。


 言った矢先、燃え盛るシャーデンフロイデに変化が起こり始めていた。ほれみろ! どうすんだよ!

 だが、火の勢いが収まらないままゆっくりと、奴のシルエットが縮まっていく。巨蛇の身体がボロボロと崩れ始めたのだ。


 更に、崩れた残骸から淡い光の泡沫が沸き立つ。一つ一つが空に浮かび上がって消えていった。

 浄化ではないか、と俺はそんな風に解釈した。そして俺も自ら火をつけた手を見る。

 俺の魔力で作った炎が奴に通用したって事で良いのか? こんな簡単に?


「……あ。皆さん……聞こえませんか?」

「どうしたアレイク。周りは静かになったし、アイツも沈黙してるが……」

「でも、あの人の声が……ほら、今でも」


 少年騎士がそんな事を言うので、耳を澄ましてみるが。もうつぶやきも悲鳴すらも聞こえない。幻聴じゃないかと、言おうとしたが、

「聞こえるんです……とっても悲しい声で。終わった、これで終われるって。ああ……それと、何かが視えます。視えるんです。何ですかこれ! 頭に何か……」

「おい落ち着けよ。大丈夫かよ」

 頭を抱えるアレイク。だが、すぐに手で制して来た。


「あの時の、ワームと闘った時と同じ、です。言葉以上に感情が伝わる感じ。しかも今度はあの人のイメージが、僕の中に入って来る……!」

「イメージ、だと」


 異形の怪物から光が昇天していく幻想的な光景を前に、転生者アレイクは頷いた。




 数千年前。遥か昔を生きていた男には前世の記憶があった。それも過去の話であり、とうに霞んで忘れる様な物であった。

 転生を経て、新たな世界に産まれた彼は妻と一人の息子設け、ドラヘル大陸にある田舎の村で暮らしていた。


 作物を育て、家畜を放牧し、争いとは無縁ののどかな生き方に不満は無かった。

 当時、その大陸には冒険者という概念は存在しなかった。荒事としてもせいぜい、野の獣を狩る者や権力者が武力を用意するぐらいの物で、魔力や魔物、亜人という常識すらも無かった時代。

 そもそも魔物と呼ばれる階級の脅威がまだ確認される事も少なく、そういう意味では特に平和な文明であっただろう。恐れられていたのは、災害くらいだ。


 そしてある日、男の集落では異変が起きていた。別の住民の家畜が不審な死を遂げる怪事件によって騒ぎになっていた。

 骸となった鶏や羊達は、何かによって貪られ、無残に食い散らかされたのだ。人々は、熊か狐の仕業かと勘ぐっていた。周辺には森がある以上、その可能性を第一に考えられる。


 村に侵入された事を鑑みるに、熊であればいずれ村の人間にも危害が加えられることを危惧し、狩人を寄越して事件の解決に動き出していた。

 男もまた、村の為に毎夜警護の交代に名乗り出ていた。争いには無縁であったが、家族や友の為に勇気を興しての行動だった。


 まだ10にも満たない齢の息子は、事件の話題で怖がっていた。何より、夜番に外出する父の身を案じてか引き留めようとするのでいつも手を焼いた。

 男はそういう時はいつもこう話すのだ。


 その話とはここ最近、架空の生き物であった竜が実在するという話がまことしやかに広まっており、更にはその中でも人に似た姿形をして交流性のある個体もいるという事たった。にわかには信じがたいと男は思っていながら、それを方便に使う事にしていた。

 竜が自分達を見守っている。もし父がそれに会う時に、熊ぐらいで怯えているのを知られては笑われてしまうよ、と。男の子の好奇心をくすぐる様に仕向けてやったのだ。


 息子は竜という伝承に昔から羨望に近い感情を持っていて、そういう話をすると目を輝かせた。いつ会えるの? さあいつだろう。と恐怖を忘れる様に誘導させる。


 そして決まってこう言うのだ。もし竜に会えるならお友達になりたいな、と。遊んでみたいな、と。夢を語る。男はかなうといいねと息子の頭を撫でて今夜も出かけた。



 深夜に差し掛かる頃、ようやく男の見張りが終えようとしていた時だった。いつもと村の雰囲気が違う様な気がしていた。

 だが、周囲には特に物音も異変もなく、嫌な寒気も早く家に帰りたいと一人交代を待ち続ける。


 しかしそろそろ代わってくれる頃合いの筈だと思い始めた時から半刻程待ってみて、いつになっても誰もやって来る気配が無い事に男は困惑した。まさか次の番の奴は眠ってしまったのか? サボりだろうか?

 もう少しだけ我慢しても誰も訪れず、焦れに焦れた男は見張りを一度離れて住居のある--何より我が家の元へと顔を出す事にした。



 異変は、既に起きていた。

 生き物の血が、地面に点の道になって住居に続いており、建造物には爪痕がいくつも刻まれている。

 何かが侵入した。悟った男は脚を早めた。すぐにその無残な光景が目に止まる。


 食い散らかされた残骸が至る所に落ちていた。それは家畜ではなかった。あの血痕も、鶏や羊の物ではない。

 上半身から下が無い男や、誰かは分からない腕が村に散らばっていた。熊にしても酷い惨状だった。これは、もっと危険な存在が暴れているとしか思えない。


 そして男は戦慄する。何かが引き摺る形跡が、我が家の道を通っていた。たまらず、走り出す。

 妻と子の名を叫びながら、押し入った跡を残した家の中へと男は飛び入る。


 妻は自分には勿体ないくらいの働き者だった。朝早くから誰よりも早く起き、欠かさず昼食を用意して多忙な男の代わりに息子を健やかに育ててくれた。

 息子も、臆病な所もあるが心優しく、そして想像豊かな夢をたくさん話す明るい子であった。二人さえいれば、自分には何もいらない。そう思っていた。



 その二人は、もう声を上げず、何より原型すら留めていない程、たいらげられていた。

 ブチブチと皮膚や肉を千切る音。ゴリゴリと骨を噛み砕く音に、男は茫然と立ち尽くしていた。

 人ではない何かが、我が家で食事をしていた。品もなく血で家内を汚し、妻と息子だった物の一部が散乱している。


 何かは人に近い形態をしていた。しかし、人とかけ離れた牙や鱗があり、魚の様に大きな目玉がこっちを見る。

 その時の男には正体を知り得なかったが、村に侵入して男の家に押し入ったのは陸魚人サハギン。それも二体。


 喉が潰れる程、男は声をあげた。こちらに気付かれるとか、そんな事は視野の外で、何の打算も無くして後に魔物と呼ばれる物に迫った。

 陸魚人サハギンは槍を持っていた。それが男を薙ぎ払う。闘うという経験の無かった男は突然訪れた暴力に蹂躙されて地面に沈んだ。


 それから男を待っていたのは、食事であった。勿論自分ではない。食事される側である。

 抑え込まれた男の腕に、片方の陸魚人サハギンのあぎとが食らいつく。乱暴に、生きたまま、味わったことの無い地獄の痛みと共にもぎられた。

 次いでもう片方の腕と、淡々と男の抵抗をよそに魔物に食われていく。


 自分の五体が無くなる、そんな恐怖より、男の目には家族の喰いカスだけが映っていた。男は自分を呪った。生まれ変わって、やり直した筈なのに。真っ当に生きて来た筈なのに。どうしてこうなった。何が間違った。誰のせいだ?

 視野に、無機質な魔物の手が覆い被さった。男の顔を鷲掴みにした。肩に陸魚人サハギンの牙が食い込み、潰れていく感覚が襲いかかる。


 コイツ等のせいだ。コイツ等が妻を食った。コイツ等が息子を食った。コイツ等が来たせいだ。コイツのコイツコイツ等が村を襲った。コイツ等がココイツ等が来なければ。

 白熱が頭に宿る。それは痛みによる昂ぶりと、怒りが男の感情をマグマの様に沸騰させる。

 よくも。


 よくもよくもよくも。コイコイツ等等だけは、許さない。許さない。許さ許さない。自分の大切な物を全て食いやがった。コイツ等が食いやがった。コイツ等はコイツ等は自分も食おうとする。なら、コイツ等コイツ等だけは許さない。許せない。食ってやる。食って食ってやる食ってやる。食ってやる。食い殺してやる。食って--


 その怒りと熱に呼応する様に、頭に何かが呼びかけた。

 欲しいかい?


 息子とも違う、無垢な子供の声。それは空耳に感じた。此処には自分しか人間はいない。村の人は恐らく、コイツ等に全部殺された。

 しかし、呼びかけは続く。それどころか声は連鎖した。

 食われたなら、食い返したいかい?

 食いたい? 食えば? 欲しいかい? 食ってしまえば良い。


 男の中にもこのまま自分が食い殺されるという選択肢は無かった。一矢報いる。その為には(いざな)われた手段でさえも躊躇いはしない。

 男は陸魚人サハギンに食われながらも、堅い鱗に齧り返した。向こうから驚きの呻きが漏れた。

 今にもこちらの歯が砕けてしまいそうながら、向こうの噛み付きでこちらの身体が壊れるのにも構わず、あごに全霊を込める。


 男の歯が欠けた。血の味が広まった。向こうの咀嚼が始まった。男はあきらめなかった。死にもの狂いで、食らいついた。

 やがて、血が口腔にどんどん流れ込む。陸魚人サハギンが男の肩から口を離して絶叫した。その血は奴の物だった。腕を失いながら、残った両足で陸魚人サハギンをそのまま突き飛ばして、男はマウントをとった。


 もう一体が仲間を助けようとしてか、男の背中に槍を幾度も幾度も突いた。めった刺しにされた。男の身体中が穴だらけになった。

 しかし男は押し倒して暴れる陸魚人サハギンを噛み続けた。やがて、男よりも先に動かなくなった。男はそれでもやめない。骸になった陸魚人サハギンを食い続けた。

 あらかた平らげ終えた後、それからもう一体も同じ様に食らいつく。いつの間にやら再生した両腕で絡み付き、同じように食べていく。


 やがて静まり返った我が家で、男は立ち上がる。

 痛みはいつしか消えていた、その代わりに胸の中に穴が空いた様な感覚が残る。そして何より、

 腹が、減ったな。

 その衝動は、後に長い年月で苛める物であった。埋めようにも埋められない喪失感は、餓えへと変わっていった。


 男は己が人では無くなっている事に気付いた。化け物を食せるのは化け物のみ。

 それから男は家族だった物の欠片を集めた。奴等の食べ残しだった。

 ああ、すまない。助けられなかった。すまない。すまなかった。

 床から手でかき集め、嗚咽を漏らしながら男は間に合わなかった事を謝った。返事はない。飢えは収まらない。


 寂しくないように、と男はその亡骸を口にいれた。それが化け物なりの供養。

 肉やはらわた、骨までも貪り、泣きながら男は家族を食べ続けた。


 遅かったよなぁオイシイなぁ。もう孤独にはさせないからオイシイなぁ。父さんの中にずっといようオイシイなぁ。

 食べても食べても呑んでも、空腹は収まらない。それから男は土を食べた。岩を食べた。木々を食べた。森を食べた。山を食べた。動くものも食べて食べて食べ続けた。そして、肥えた怪物に形を変えた男は月夜に吠えた。それは、月をも呑もうとする貪欲な衝動からの苦しみの声だった。


 異形の産声に、誰にも知られることなく喜ぶ『子供達』がいた。それぞれが喝采をあげ、新たな仲間の誕生を祝っていた。

 やったね。やった。おめでとう。反逆者の誕生だ。やったね。仲間が増えた。僕等の仲間だ。おめでとう。口々に、子供達の合唱が続く。

 反逆の門出は、それから男に死を望む程の時間を与えた。それまでも、片時も男の飢えを満たすことはなかった。

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