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俺の脱出、紅蓮の獅子

 その言葉の意味を反芻し、よく頭の中で咀嚼そしゃくしながらトリシャは言う。

「それって、トリシャを引きとるってこと?」

「こう見えて実は貴族だったりするんだぜ、俺って。貴族が養子に迎える事って凡例あるし。まだ家どころか土地は持って無いがアルデバランの姫さんにでも頼めば何とかなるだろう。とりあえず、一人立ち出来るまで見ても良い。それまでに、自分がどうしたいか考えな」


 戸惑っていた。他人にそんな事を言われたのは初めてだったからだろうか。

「そうじゃなくて、いいの? トリシャは、このもんようがあってながく生きられないの。そんなトリシャをうけ入れても……きっと、ほかにもめいわくなことばかりだよ? 村の人に言われたの、おまえは、生きているだけでめいわくだ、って」

「そりゃ迷惑は避けられないだろうな」

 トリシャの顔がやっぱりそうなんだ、という表情で曇る。


「でもそれは当たり前だ。誰だって世の中にいれば迷惑を被るんだ。絶対に迷惑を掛けないのなら、独りになるしかないからな。でもそんな迷惑を許さない世の中なんて廃れちまう。だから助け合うんだよ。自分が困った時、フォローに入ってくれれば頼もしい限りだろ?」


 持ちつ持たれつ。どんなに残酷でどんなに理不尽な弱肉強食が幅を利かせる世界でも、人という物は変わらない。ゴブリンになった俺でも、それは分かる。


「一つ良いこと教えてやる。誰も助けてやれない独り善がりな奴は、何も悪いことしてなくたって天国にゃあいけないんだぜ?」

 ただ、それはマイナスにならないというだけで。救われる事はないと言われた。


「決めたんだ。助けたから後は一人で頑張れ、なんて残酷な事は言わない。責任を持って俺がお前を育ててやる。俺で良ければ、だがね」


 あの時見た、誰かが路傍に放置された子猫に撫でるだけで立ち去った光景の様に、一時の優しさだけ与えてそこから何の面倒をみないのは無責任だ。それが出来ないのなら、最初から関わるべきでは無かった。


「どうしてあなたは、こんなトリシャにやさしくしてくれるの?」

「んー、そうだな。似た者同士、だったからかな? あ、でも俺ゴブリンだし、一緒にされるのは失礼か。ははは。まぁ、お前もいつか他人を助ける人間になれ。自分が恩があると思うなら、その分を誰でも良いからしっかり返してやれるようにな」

 同じ様な境遇を学び、その痛みを知るからこそ、なのかもしれない。

 共感であり、悪く言えば同情だ。でも、いてもたってもいられなかったのだ。

 か弱い少女を守るという状況に酔っているのだとしても。これがたとえばオークの雄ガキだったならば、助けていなかったのだとしても。

 下心の無い優しさだけでは、してやれることに限界がある。資格を持つには、それ以上の領域に踏み込むという覚悟がいる。


「それに前も言ったが俺もお前と同じ呪い持ちでね、お前より早くこの世から去るかもしれねぇ。でも、このまま諦めるつもりはさらさら無い。呪いを解く方法を、探し出して見せる」

 もちろんお前の呪いも、と。


「質問は終わりか? じゃあ確認するぜ。俺と、来るか?」

 己の醜い手を差し出すと、躊躇いがちに小さな手がゆっくりと伸びた。


「さいごに一つだけ、きいても」

「何だ?」

「ゴブリンさんのなまえ、何?」

「グレン。グレン・グレムリン。もし俺の養子になるなら、トリシャ・グレムリン、だな」

「……うん」

 

 こっくりと頷く巫女。いや、巫女はもういない。此処にいるのはただの幼い少女トリシャだ。

 トリシャの目には未だ涙が浮かんでいる。だが、その瞳の中では生きる意志の光がたたえているように見えた。これが、アディが言っていた物だろうか。


「さて、此処から出る事にしますか。いつまでもこんな不気味な場所にいてもロクな事なさそうぜ」

「どうやって、出るの?」

「うーん、あの肉の壁を突き破って脱出と行きたいところだが、崖になってて届くかなぁ。内側でも反撃出来んのか?」


 そんなやり取りの最中で、背後から鈍い足音が迫った。急襲にしてはゆったりとしていて隠す気配もない歩幅。食われた生き物は、俺達だけじゃなかったか。魔物か?

 トリシャを庇いながら、振り返った俺が見たのは、


「え、お前」

「……汝ニ問ウ」

 猛獣が威嚇の為に喉を震わせながら人の言葉を投げ掛けた。大きな獅子の身体に、彫りの深い男性の顔。

 しかし、向こうの態度はすぐに意気消沈して、情けない声音になっていく。


「此処……ドコ? ドウヤッタラ出ラレルノ?」

「知らねーよ自分で考えろ。賢き獣だろ」

 再度俺の前に現れたスフィンクスは、俺の突き放すような返答に悲しそうな表情でそっぽをむいた。

 何でお前が食われてるんだよ。巻き込まれてたのかよ。


「イヤ、貴様モ我ノ問イヲ見事ニ答エタ賢キ者デアロウ? 考エガアル筈ダ」

「いや、よしんば考えがあったとしても何で教えなきゃならないの? 一つ間違えれば俺を食い殺そうとしてた相手にさぁ」

「ウッ」

「しかも謎掛けを解いたら解いたで終始めっちゃガンつけてくれたよなぁオイ」

「…………」

「こっち見ろよ。何目ぇ逸らしてんだコラ。こっち見ろやこっちを!」

 目に見えそうな冷や汗をダラダラと垂らしながら、スフィンクスはほっかむりを決め込んでいる。


「ク、クゥーン? ソンナニ意地悪シナイデ」

「おいどちらかと言えば猫科だろテメー。せめてにゃおーん、だろ」

「ジャア、ニャオーン!」

「キメェ!」

「…………」

 また落ち込む。いや、お前が悪い。濃ゆいおっさんの相好を崩してそんな台詞止めろや。

 とはいえ、敵では無い事を確認出来たのでよしとしよう。それにいない方が良かったとは言い切れない。コイツは使える。


「冗談はこれくらいにしておいて、お前も此処から出たいんだろ? 一応脱出案ならある。出たいなら俺に協力しろ」

「ホントカ!? ナラバ我モ協力シテヤロウ! …………協力、サセテクレマセン、カ?」

 頭が高いぞ、という視線で番人の鼻っ面を折った。コイツ結構お調子者だな。


「それで、ネコさんと出るの? ネコさん、うごくには大きいよ?」

「ああ、むしろその大きさが都合が良い」

「我ハ何ヲスレバ良イ? 残念ダガ我ニハ特別ナチカラハナイ。牙ト爪ガアルダケダ」

「なーに、簡単だ。それにバカでも分かる」

 行く手に見えるは、俺達を閉じ込める胃壁。これに囲まれている限り、外の空気を吸う事が出来ない。

 そして俺達の大地とシャーデンフロイテの内壁は数メートル以上も隔たれており、その下には胃酸の沼が絶え間なく湧いている。落ちれば、消化されるまでの時間を大いに短縮できるだろう。


「あそこにワンチャンダイブ、してもらうだけだから」

「ハ?」

「だから跳ぶんだよ。協力してくれるんだろ?」

「ソレ……死ッ……テ事ジャ……」

 崖からジャンプしろ。簡潔な説明に、人面獅子は硬直した。トリシャも首をかしげている。




「かれこれ、一時間になるぞ」

 獲物を捕食して食休みに入ったシャーデンフロイデと距離を置き、その巨大な全貌を見上げたヘレンが痺れを切らし始めている。気持ちは分かるがのう。

「ゴブリンの奴が脱出口を確保させるために、こちらから我等が仕掛けた方が良いのではないか?」

自動反撃オートカウンターを忘れたか兄者? 打算も無く下手に手を出せば、全滅しかねない」

「ぬぅ……! しかし、こうも指をくわえているとなると歯がゆくて限界なのだ」


 クライトが諫めておるが、いつまでもこの場に拘泥しているのにも限界がある。いつ、奴がまた活動を再開するかも分からぬ。そんな皆の緊張の糸が今にも切れそうな状況であった。

「竜姫様、御進言致します。此処も安全とは言えない今、残った彼等を率いて退くべきかと存じます」

「待てオブシド。儂はあやつに待つと言った。まだ一刻しか経っておらぬ」

「私は彼の意思を尊重して横槍を入れはしませんでしたが、しかしアレでは戻って来るのも不可能かと。帰らぬ者を、いつまでも待つ訳にはいきません」

 儂はにやりと笑ってやった。黒竜の男はその意図を理解できずに目を瞬いている。



「おぬしは儂よりグレンと会って日が浅いし仕方ないかものう。あやつがどんなゴブリンか仔細を知らぬから諦観も早い。グレンはの、無理と言える難関をことごとく突破して来ておった。儂も又聞きじゃがな。恐らく、今回も」

「如何な物でしょう。あんな怪物の中に入り込んでしまっては、竜人ならまだしもゴブリンでは流石に--」


 オブシデアドゥーガの言葉尻は、あやつを見下した上での物では無い。己の中の見聞から来る考えから冷静に客観的な判断としてそう言っておる。

 しかし、儂には分かる。いや、直勘が言っておる。だから選んだのじゃ。

「もうじきじゃろうて。あやつは無駄死になぞせんよ」


 はぁ、と納得のいかぬ様子でオブシドはシャーデンフロイデとやらの全貌を見やる。隣ではパルダも祈っておる。そして騎士レイシアも、標的をただ物静かに見据えていた。

 信頼しておるのじゃな--ああも止めようとしていた騎士が、信ずる事だけしかできないと分かるとなると、揺るぎなくその一点にのみ想いを傾けておった。


 やがて、巨蛇に動きがあった。とぐろを巻いた反逆者は痙攣を起こし始める。まるで腹痛に身体を丸めている様に見えた。

「どうした?」

「何やら中で始めた様じゃのう」


 苦痛を孕んだ呻きをあげ、至る所からも開いた口腔が阿鼻叫喚を唱える。そして黒煙を吐き出す。

「シャーデンフロイデからの攻撃、じゃなそうですが……」

 アレイクが恐る恐る逃げ腰に呟く。ロギアナも、黙って行く末を見ていた。あやつの連れた仲間は誰一人、事実上の解散にも関わらず欠けておらんかった。やはりあやつに人の見る目はある。


 巨躯で土煙が舞う程、のたうち回るシャーデンフロイデ。一部の腹の内が盛り上がり、何かが突き破って外に出た。

 火だるまであった。火炎に包まれた者のシルエットは大きく、獣の形を象っている。グレンではない。

 いや、いた。獅子に人影が二つ背中にまたがっておる。


 ほう、と儂は密かに感嘆を漏らした。あやつが連れ出した、あの幼き巫女の目が輝きを取り戻しておる。生きるという意思が煌いておる様じゃ。

 いや……その輝きは、あやつの瞳から移ったのだと思えて仕方ない。それに、儂も……惹かれたんじゃろうなぁ……



「ゴルルルルル! 外ダァァアアア!」

 炎の衣がはがれ、人面の獅子が快哉をあげる。先ほど儂らに質問をしておったスフィンクスの様じゃった。あやつも食われておったんか。


「グレンさん!」

「おうアレイク、戻ったぞ」

 蛇竜に呑まれるという壮絶な経験をしたと思えない程、ゴブリンの彼は普段通りの態度でスフィンクスから降りて来た。特に怪我した様子も無い。

 巫女も無事な様子で地面に降り立つ。しかしそれでは--


「遅いぞ馬鹿者」

「わりい、手間取ってた」

 聖騎士レイシアは安堵しながらも憤慨した様子でグレンの元に向かった。儂も駆け寄り、提案する。脅威はまだ、終わっていない。

「逃げた方が良いんじゃなかろうか? 巫女が無事に外に出たとなると、シャーデンフロイデが再び」

「ああ、それなら」


 つんざくのは、苦痛を伴った怪物の大きな悲鳴。

 天にそびえた巨蛇の全貌が広がる火炎に包まれる。それは、内部から放火したと思わしきグレン・グレムリンの炎。

「時間稼ぎはばっちしだ」



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