表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/207

俺の説得、巫女の本音

 足場の無い深淵に吸い込まれ、自分で進まずとも勝手に前へ前へと引きずり込まれていく。

 洞窟の様な閉塞感から解放されたかと思うと、重力落下が始まり、俺は奈落へと落ち始めた。


 下降していく俺の視界にもようやく地面が見える。森林と大地が確認できた。

 だが不味い。このままでは勢いよく激突する。パラシュートなんて用意してきていない。


硬御こうぎょ

 身体を丸めた姿勢で身を守り、やがて俺は隕石の様に落ちた。木々を薙ぎ倒し、岩盤にめり込んだ。

 ダメージは相殺出来た。岩にはまったせいで、落下地点から起きるのに苦労したが、


 俺が落ちたのは、森林の真っ只中だった。それはおかしい。俺はシャーデンフロイデの体内に入った筈なのに、外の景色になっているとは。

「いや……間違いないか」


 見上げると空には赤黒い天蓋てんがいが覆い被さっていた。肉の壁が、俺のいる森を包んでいる。

 恐らく、今立っているのは奴がんだ山や森だ。そんな物が収まりきる程の規模の胃袋だとは。しかも、外観よりも面積が広い気がする。


 当然自然の光源である太陽も星と月も無い。夜目が利く俺だから周囲の確認が出来る。動くものは見受けられない。

 巫女を探すなら、と俺はそこら辺の手ごろな枝に魔力で火を起こして灯りにした。


 怪物の体内とは思えない程、静かな場所だった。ヴァジャハにも食われた経験があるが、あの時とは違って俺は肉体があり五体満足で、人の声も無い。

 散策していると、時折動物と思わしき白骨した骨が散乱していた。此処から出られなかった時の俺の末路か。たとえ消化されなくとも、餓死が待っている。


 他にも、錆びた剣や鎧の破片。屋根や扉などの建造物の断片なども木々の間に落ちている。これも食った内容物の一部だとするなら、相当な悪食な様だ。


 三十分くらい歩き通した気がする。奴の腹の中である以上、油断は出来ない。体内で何か飼ってる可能性もあるしな。


 ハチェットを使い、やぶを斬り払っていく。一度、行き止まりの胃壁と思わしきところまでつきあたる。

 不気味な脈動をしていた。足元の石ころを蹴飛ばす。石が胃壁に当たると白煙が上がり、下に落ちるまでに跡形も無く蒸発した。消化液が分泌されている様だ。


 よく見ると、踏んでいる大地と胃の間が崖の様に隔ててあった。下を覗き込んでみると、胃酸の沼がぼこぼこと泡が絶え間なく発生している。そして、どうやらこっちの地面が長い時間を掛けて溶けている様だ。

「すぐには地面がなくならないとはいえ、あんまり長居しない方がいいかもな」


 踵を返して、俺は先に取り込まれた筈の巫女探しを急ぐ事にする。

 俺の様に高所から落ちたのなら、身の安全が心配だ。木がクッションになって助かっていることを祈るばかりである。

 だがそれも、杞憂だった様だが。遂に森の中で人影を見つけた。


「トリシャ」

 縮こまっていた背中がびくりと震えた。土の上で座り込んだ巫女が、振り返る。

 ラベンダー色の髪の少女は俺の姿を見上げ、息を潜める様に小さな声で俺を呼ぶ。

「……ゴブリン……さん」

「無事か? 大きな怪我はなさそうだが」

「どうして、ここに?」

「そりゃお前が食われたからに決まってんでしょうよ」


 信じられないといった様子で、幼い少女は口を開く。

「トリシャは、たすけてなんて言ってません」

「へぇ、そう言うか。まぁ助けるな、なんて言われてないけど」

「ゴブリンさんにはかんけいない。たのんでないのにここまでくるなんて、おかしいです」

「そうだな。んなことより此処から出よう。こんなしみったれた場所にいつまでもいる事ないぜ」


 俺は理屈を無視して手を指し伸ばす。だがトリシャは首を振った。

「ダメです。トリシャはここでおわらなければならない」

「終わるって、死ぬってことか」

「そう。死なないとならない、です。ゴブリンさんひとりでここを出てください」

 うつむいた彼女は俺を頑なに拒む。まぁ、予想は出来てたが。

 俺は肩をすくめ、おどけて言った。


「何で死なないとならないんだ? 生きたけりゃ好きに生きれば良いだろ?」

「……好きに、ってトリシャは近い内に死ぬうんめい……です」

「死ぬ運命? 誰だってそうだ。前触れなく突然亡くなる奴だっているし、明日俺も死ぬかもしれないんだ。結局生きるのって早いか遅いかの話だ。確かにお前も呪いで長くは生きられないかもしれない。でも、別に今死ななくたって良いだろ? 化け物に食われ、ゆっくりと溶かされて死ぬのを待つなんて惨いに決まってる。生き延びる可能性があるなら、そうするのが普通だぞ?」

「あ、う……」

「こんな風に死んで楽になるのが幸せか? 楽になる前に、とんでもなく苦しいぜ。人っていうのは、お前が生きてきた時間を10周出来るくらい生きるんだ。これっぽっちの人生で生きてて良いこと無い、なんてそんな悲しいこと言うなよ」

「……だ……だって、だって」


 初めて、そんな質問ばかりされてどう答えれば分からず、困り果てた様子をトリシャ見せる。

「これまでくるしいことばかりで、今だってくるしいのにそれがつづくくらいなら、ながく生きてたいなんて思わないもん。だれもトリシャがいることをのぞまない。トリシャにいばしょなんてない。トリシャのそんざいは、めいわくだって。みんながトリシャが死ぬことをねがっていた。だから」

「だから死ぬのか?」

「そう、です」

「お前自身はどうなんだ? 本当に死にたいのか?」

「……はい」


 巫女トリシャが目を逸らした。今度は俺が直視する。

「だったら、どうして食われる直前に、助けてって言いそうになったんだよ」

「--っ」

「お前、自分がこうしてる間も震えてるの分かってるか? 今だって怖くて怖くて仕方ないんじゃないのか? これから死ぬって事がさ」

 小さな肩に触れた。怯えが伝わって来る。俺に対してではない。己に降りかかる幾多の死の危機を想像し、死が差し迫る事に恐怖を抱いている。


「うそじゃ、ありません! トリシャはうけ入れているんですから! これさえおわれば楽になれるんです!」

「嘘を吐いたって無駄だ。お前、ほんとは死にたくないんだろ? 村の連中に言わされてただけなんだろ? 巫女の役割を全うしろ、って具合に」

「ほ、ほんとうで……す……」

「心の底からか? お前が本気で死を望んでるなら、止めはしねえさ。だが、それはお前の本音だった時だけだ」

「……ほん、ね……?」

 碧い瞳には動揺が映っていた。偽りの願望が引き裂かれ、繕う為に必死に堪えている。

 俺はその奥底にある心の琴線に触れる為に、言葉で斬り込む。


「確かに、お前が生きる事を望む奴が今までいなかったのかもな。誰にも認めてくれない辛さっていうのは分かる。俺も、ゴブリンで、無条件で忌み嫌われてきたからな。だから、俺はお前を否定したりしない。どんな境遇の奴だろうと、な」

「…………」

「此処には俺以外に誰もいない。お前の本音を許さない奴はどこにもいない。いくらでも話せ、話してくれ。お前の本当の気持ちを。聞いてやるから」

 震えが大きくなった。それは恐怖から来る物を勝り、喉元まで出掛かっている。もう少しだ。


「この前の質問の返事、今答えるよ。何で嫌われた俺が生きていようとするのか、だったな。それは簡単だ、死にたくねぇからさ。それに、こんな俺でも認めてくれる奴等がいる。俺が此処から出てくるのを待っていてくれる仲間がいる。だから、そいつ等の為にも簡単には死ねんのさ」

「…………」

「もう一度聞くぜ。お前は、本当に此処で死にたいのか? 俺達と同じで、まだ生きていたいんじゃあ無いか? 自分の命を早く終わらせるなら、そこの崖から身投げすればあっという間さ。胃酸の沼で苦しみもすぐ終わるからな。それを躊躇ためらう必要、無かった筈だ」

「……っ」

「自分を隠さなくて良い。お前はまだ、生きようとしている。そう思うのは悪いことじゃない。誰だって生きてて良いんだ」


 微かな嗚咽が、聞こえた。

「…………ぅ……」

「ああ、言って良い。我慢するな。全部だ。全部吐き出しちまえ」

「や……やだよぅ……。いやだよぉ。死にたくないよぉ……。死ぬなんていやだぁ……! ああぁぁ--」


 顔を上げた少女から、大粒の涙から溢れた。幼く無感動だった少女の顔が、悲壮に崩れる。

 巫女がこんなゴブリンにすがる。小さな身体でひしっと抱き着いてきた。押し留めていた想いを、遂に開放する。

 やっと、子供らしい感情を見せた。助けたいという気持ちは、間違ってなかった。



 少女が巫女となったのは3年ほど前の事だった。先代の巫女だった母は14という、俺の論理感では明らかに若過ぎる齢でトリシャを産んだそうだ。父はトリシャが物心つく前から蒸発し、誰であるかもビレオ村の人間は教えてくれなかったらしい。

 巫女は本来、20を迎える頃になると冥府の精霊--すなわちヴァジャハがやって来て、与えた呪いが命を奪う前に魂を抜くのだと言った様だ。それが、死後の苦しみからの解放だと。


 ある日の事、血縁者としておやしろの入所を許されていたトリシャが母の元に訪れた時、その現場に遭遇した。

 まずはタナトスのヴァジャハ。鹿髑髏の異形は、聞いていた特徴としてまず相違ない。そして、もう一人は倒れていた母だった


 血の海に沈み、足元には刃物が転がっていたそうだ。ヴァジャハは言った。お前の母は、愚かにも自分ヴァジャハからの救済から逃れようと命を絶ったと。その代償として、次の巫女はお前だと告げて骨鎌の刃先をトリシャの額に押し当てた。

 程なくしてヴァジャハが消えた後、その場に残ったトリシャと母の遺体を村の人間に見られることとなった。少女は、母の自殺という事実にそんな事にかまけている余裕は無かった。


 気付いた頃には、村中には少女が実の母を手に掛けたという話となって広がっていた。トリシャを見る目が軽蔑と嫌悪に染まっていった。


 誰も、弁解に耳を貸さなかったという。母の自殺という真実は妄言であり、たった5歳の少女が巫女に成り代わろうとした末での行動だと信じて疑わなかった。村の奴等は、ヴァジャハの信仰で腐敗しきっていた。


 そんな彼女が今日まで生き長らえていたのは、呪いを貰い巫女として奉られる立場を背負わされたからだ。自分をいつか殺す物によって生かされていたとは、なんとも皮肉な話だろう。


 そして、今回の件。シャーデンフロイデの肩代わりによる一族の呪いからの解放。その条件として人身御供に出される事になったトリシャという存在に、誰も失うことを惜しみはしなかったのだ。



「辛かったか?」

「うん」

「恐かったか?」

「うん」

「寂しかったか?」

「……うんっ」

「そうか、そうだよなぁ。独りは嫌だよなぁ、誰にも認められず必要とされないのはキツいよなぁ苦しかったよなぁ」


 彼女の生い立ちを聞き、俺は泣きじゃくるトリシャの頭に手を置いた。まだ小さいのに、こんな重荷を背負わされてたとは。物心ついた頃には親が命を絶ち、自身が口にする良い事が無いと言うだけの境遇は、俺の想像だには出来ない苦しみだっただろう。

「トリシャは、どうしたらいいの。呪いでいつか死んじゃう……。ここで村に戻っても、だれもトリシャをめいわくだってうけ入れてくれない。トリシャにはもう、先がない」

「いや、あるさ」


 生きたいという意思さえあれば、後は何とかなる。そんな確信があった。

「お前は外を知らないだけだ。村に居場所が無くても、何処かに必ずある」

「……たとえば?」

「俺の所でも良い」


 赤く腫れた瞳を丸くし、意外の念に打たれた様子を見せる。もう一度、俺は申し出た。

「トリシャ。もしお前が良いなら、俺と一緒に来ないか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ