俺の解読、一族の碑文
番人の関門を無事突破した俺達は、また途方も無く長く感じる通路を進んでいた。
暗がりと乾燥した空気、そこにちろちろと燃え揺れる松明の火。そんな外界の限られた情報に、口数も少なくなってきた。何せ、数キロはその状況が続いている気がする。
何だか俺達はこのまま、奈落にでも赴いている様に思えて来た。皆の頭が変になる前に早く抜けたいところだ。
救いがあるとすれば、この遺跡内部では魔物が出なかった事くらいだろう。
それっぽいのはさっきのスフィンクスくらいだし。護衛の出番も今のところなさそうだ。
「地図によれば、もうそろそろなのですが……」
村の代表としても未知の領域であるからか、その半分独り言として出た呟きは不安が色濃い。
だがその心配もどうやら取り越し苦労に済んだ様だ。
「出口だぁ!」
「入り口が終わっただけだろ。……ていうか、何だここ」
アレイクの快哉の声に口を挟みながらも、俺達は番人の部屋以上に広くなった景色を見た。
「おおう。洞窟にしても広いのう」
「僕知ってます、あれでしょ? 地球の中心になってるっていう地底世界の映画の」
「いやアレイク、あそこまで広くはないだろ? あと映画ネタはやめなさい。此処は見た感じ墓所だ、これ」
部屋という表現ではもう収まらないスケール。甲子園が開けそうな規模の地底空間が見下ろせる。
外堀には無数の石碑--古代の墓石だ--が幾つも建っており、降りた先は人工的な入り組んだ壁が迷路の様になっていた。この中枢が、ゴールらしい。
「にしても、火の明かりも無しにどうして此処は明るいのでございましょう?」とパルダの素直な疑問に、またやこの神秘的光景に胸を弾ませたアレイクが答えた。
「多分天井とか壁とかに魔光鉱という鉱物の類があるんだと思います。長い年月を掛けて蓄積した魔力で仄かに発光しているから地下なのに昼間みたいに明るいんですよ」
「さすがだなアレイク殿。お前もなかなか博識の様だ」
「そ、そうですかねぇ、でへへ」
ヘレンまで乗っかった茶番。まぁさっきのクソ長い通路を歩いていた時の痛々しい沈黙よりかはマシか。
「で、此処にその約束した奴が来るのか? ていうか来れんのかここまで? スフィンクスに食われるんじゃねぇの?」
「いや、どうやらですね、その御方はこの遺跡に度々に訪れていたそうなので、此処にある一族の残した石碑にまで辿り着いている御仁なのですよ。待ち合わせに巫女様がいらっしゃれば大丈夫だろうという提案も、彼から頂きました」
村の巫女を送る代表が俺にそう上っ面の笑顔で返した。ん? と俺はふと引っ掛かりを覚える。
「だったらさっきの門番の答えも教えて貰えばよかったんじゃないの? ソイツ何度もそこを越えてるんでしょ?」
「…………あ、そういえば、そうですね。聞けば解読と答えの模索に労力が要りませんでした」
間抜け過ぎるぞ、ビレオ村の連中。
「それは、さておき! 見えました! アレがどうやら我らの先祖様が残した碑文の様です」
地図を頼りに通った迷宮の様な通路を抜けると、仕切り直した男が俺達に披露するように手で示す。
無骨な灰色の岩にずらりと刻まれた象形文字もどき。番人部屋の前にあった注意書きと、似た文字だ。これが、碑文らしい。
「村に立ち寄ったあの御方は、この碑文の意味を知りたがっておりました。そして、巫女様のお力で碑文の秘密を解くことが、我等の長年の呪縛からの解放の条件とおっしゃられました」
「まだ来てねぇ様だが」
「数日の間は他の手かがりもないかとこの近辺を回っている様です。一応此処も定期的に訪れる様ですが、解読の結果を後でお伝え出来れば問題はないでしょう。入り口で待っていれば明日明後日には確実にお会い出来ますよ」
「あー、そうなの」
確かに、今日になれば会えるという話はしていなかった。あくまで、その目的に必要な事を調べるために此処に来たんだった。近日中には間違いなく会えるんだろうけど。
巫女トリシャを碑文の前に連れ、村の代表は促した。
「さぁ巫女様、貴女様の最後の御役目です。この碑文の全てを、そのお力で明らかにしてくだされ」
碧い瞳の幼い少女は、従順に自分よりも大きな岩の前で、端からその文字の意味を読み上げる。
「りんねよりげだつしたよくぶかきかげ、りんねをたばねる光の子よりのがれん。光の子、うつわをなくしたもうて天にまつられ、かげを見はるりんねのあぶれし子たちをうつしよにてみちびくだろう。なんじらにききをしめそう。かげは光の子の血をねらうだろう。かげはりんねにあぶれし子らをそそのかすだろう。わすれるなかれ。かげをほろぼすは、光の子らの血であることを。なんじらの血を、たやしてはならない」
「…………え、ええっと、ごめんなさい。もう一回お願いできますか?」
「誰かー! 翻訳ー! この子舌っ足らずでこんな長文になると聞き取りにくい!」
「ブー! かいどくしてあげましたのに!」
アレイクと俺の突っ込みに巫女は頬を膨らませた。まぁ当人としてはせっかくの解読にダメ出しをされて心外だろう。
しっかりと要約した内容はこうだ。
輪廻より解脱した欲深き影、輪廻を束ねる光の子より逃れん
光の子、器を無くしたもうて天に奉られ、影を見張る輪廻のあぶれし子達を現世にて導くだろう
汝らに危機を示そう。影は光の子の血を狙うだろう。影は輪廻にあぶれし子らを唆すだろう
忘れるなかれ。影を滅ぼすは、光の子らの血である事を
汝らの血を、絶やしてはならない
謳いあげた碑文の内容は、警告の様に聞こえた。
それにまた、影という単語だ。聞き覚えがある。かつての予言にも似た言い回しがあった。
記憶をさかのぼる。確か、こんな感じだったか?
加護を切った影、月の殻と鳴動せしめる
災禍は六度、地の子に降りかからん
一は天の王の息吹、小さな土を焼く
二の死の夜、地の子を収穫せん
三こそ堕ちた蛇、呪いを食らわんとのたうつ
四も天の王、虫殺しの吐息を吐く
影、自と加護の欠片に問いかける
五に灰の雨、終末の角笛を吹かん
そして六に、地の子に代わりて影の子は受肉する
六度の影を貫く地の子、勇ましき者なり
采配を振るうは天に座す王、降す者なり
加護もまた、新たに影を導かん
こっちはこれから起きる災厄に対しての予言。そして、その碑文とも何か関係があるのかもしれない。
「しかしどういう意味じゃろうか? 何の危機を示してるのかえ?」
「さぁ、竜人とは縁のなさそうではございますゆえ、竜姫様がお気になさる様な事ではないかと」
結構ドライなオブシドの言葉。確かに、碑文の内容は恐らく一族の話をしているので実際知らなくても良い事なのかもしれない。
「なるほど、大方予想通りではあったがね。わざわざこんな事を伝える為に残しておいたのか」
背後で、俺達の誰でもない声が掛かった。若い男の声だった。
コツコツと靴音が響く。振り返ると、いつの間にやら第三者の介入があった。
「解読に感謝する。その感謝の意と言ってはなんだか少しかみ砕いた説明をしてやろう。この碑文はかつて反逆を起こした者の警鐘、脅威に対するその対抗手の事を示している。だが後手に回ったな。エルの奴、さぞや苦労しているだろう」
長身痩躯の彼の姿は、この世界の文明から浮いていた。黒いフロックコートに同じ色のハット。磨かれた革靴。恰好からしてステレオタイプの紳士姿を再現している。
「お前誰?」
「ああ、紹介が遅れたね。吾輩はシャーデンフロイデ。気の置けない相手からはシャーデルと呼ばれているよ」
挨拶の為に優雅な動きでハットを取った男。ウェーブの掛かるいぶし銀の髪。だが黒尽くしの男の容姿は人ではなく亜人だった。
まず肌は全身酔っぱらった様に赤みががかっていて、耳はエルフと同じ笹穂耳。帽子の下には悪魔の様なねじれ角が生えている。
端麗にして美形ともいえるその顔には、不敵な微笑をたたえる。革靴を履いた細い両足で俺達の近くまでやって来た。
「……シャーデンフロイデ。人の不幸は蜜の味って意味のドイツのことわざですよ」
「良く知っているなアレイク。それ本名か? 偶然とは思えないネーミングじゃないの」
「イカしているだろう? 吾輩もまた君と同類になるねゴブリンの後輩よ」
同類? その意味を反芻させるより先に亜人の男は身元を明かした。
「君達の様に、吾輩も転生者だったのだよ。つまりは元人間さ」
という事は、前世を覚えたままこちらに生まれ変わって来た者の一人。しかも後輩と言うのなら、多分見た目に限らず年季を相当食った同業者と言ったところか。
「へぇ、俺より断然マシなビジュアルに転生した様で羨ましいねぇ。こんな文明技術が落盤事故レベルに落ちた世界で洒落た格好をしやがって。目立ってしょうがないでしょうに」
「ううん? 勘違いしないでくれたまえ。吾輩は転生してこうなったんじゃあない」
物腰柔らかな態度でシャーデンフロイデは否定した。
「君の様に色々あった結果がこのザマだよ。第一印象は大切だからね、なるべく紳士を振る舞う事を心掛けているのさ」
「俺の様に、って。おたくに知った様な口を利かれても困るんだがねぇ?」
「ああ、それはどうも失礼した。無知であるなら相応に対応せねばなるまい」
どうやら、コイツも俺の様に飄々(ひょうひょう)として挑発に乗らないタイプと見た。何処か掴みどころが無く、ウィットに富んだ言葉の裏には情緒が少ない。
「で、一つ聞きたいんだが」
「……アンタ、何よ」
俺の疑問に口を挟む者がいる。こっちの陣営の人間からだった。ロギアナだった。
人目もはばからず、彼女は素の自分の状態でまくしたてる。
「……一体……何なのよ……! その中身……人間じゃない……! 亜人という領域でもない!」
「ほう。もしや鑑定眼、とやらを持っている人物なのかね、銀の魔導士のお嬢さん。それはさぞ不幸だろう? これが見えるなんて、ね」
ロギアナには人と違った外見で確かめられる内容を越えた情報を見ることが出来る。たとえば、相手の種族や、ギルドの関係者ならその身元など。そんな彼女が普段通りとは異なる、異常な反応を示す。
「……エルフ、鬼人、竜人……それだけじゃない。魔物や人間まで……! どれだけの物がアンタの中に詰まってるの!? まるで、コイツという容器に色んな生き物が、瓶詰めされてるみたいに……!」
「それは、吾輩の一部だよ」
「一部……? そんな生易しい表現じゃ足りないわ! どう取り込んだら、こんな……!」
「そう、蜂の肉団子の様に」
シニカルな微笑みで答える亜人の男。俺では理解出来ない領域でロギアナと奴の会話が繰り広げられた。
「まぁそんな事は今、どうでも良いんだ。吾輩が何であるか、そんな些細な事を議論しに、此処に来た訳じゃあない」
敵意も無く両手をあげるシャーデンフロイテ。しかし銀髪の魔導士は杖の構えを解かなかった。
「些細? ふざけないで、アンタほどにデタラメな化け物を無視できる訳無いでしょ!?」
「おいロギアナ落ち着けよ。敵かどうかも分からねぇのに、何そんなに攻撃的になってるんだ」
「吾輩の一端が見えてしまった以上、それは仕方ない事でもあるよゴブリン。君にも少々分かるように教えようか」
両手を降ろし、男は指を立てる。
「君はヴァジャハとまみえたのだろう? あの髑髏の異形と」
「何でその事をおたくが? 当てすっぽうとは思えないが」
「それは本人から聞いたからだよ」
「本人……奴はあの時」
「ああ、良くアイツを追い詰めたな。だが残念ながら、奴は君達から逃れていた。君達が仕留めたのは、辛うじて分かたれた分身だったのだよ」
ゾッと、事実を知った後の想像に背が冷えた。あんな怪物が生き残っていたとすれば、復讐にまたアルデバランの国を襲ってきてもおかしくない。だが、シャーデンフロイテは俺の反応を察してか話を続ける。
「それは安心しろ。奴はもうこの世にいない。我等の面汚しだからな。死を司って置きながら、己の死から逃げようとするなんておかしな話だろう?」
「それは、アンタが倒したって事か?」
「さぁ? どうだろうね」
肯定と俺は受け取る。
手負いとはいえ、あのヴァジャハをコイツが殺したのだとすれば、この男もタダ者ではない。
「吾輩とヴァジャハは同類でね、反逆者と呼ばれる存在だ。聞き覚えくらいあるだろう?」
「野郎が言ってたよ。転生者であり、反逆者たと。どういう意味だ?」
「言葉通り反逆をしたんだよ、神々からね」
俺達は前世から天国と地獄の裁量から弾き出され、転生を経てこの世界に送り出された。神様の命によって。
つまり、コイツは、そんな存在を相手に反旗を翻したということなのか。
「吾輩の真名は、飢喰のシャーデンフロイデ。そうだな、立場上君達とは敵対する者と受け取って貰っても構わないだろう」




