俺の覚悟、不足の因果応報
意識の無いクライトが海賊の船と共に沈んでいくのを見て、俺は海を掻き分けた。
軽いとはいえ、竜の鱗で出来た鎧を着ているので泳ぐのには苦労した。着衣水泳なんて初めてだ。
何だっけ。本当は海に落ちたら泳ぐのは不味いんだったか。少しでも長く水面にいられる様に努めて救助を待つのが一番とか聞いた事がある。背泳ぎの要領で浮くか、何か浮いている物に掴まっているとか。
だが、そんな事にも構わず無我夢中で船の残骸の元へ向かう。クライトは水の中に呑み込まれていく。
身体の芯まで凍り付かせてしまう様な海水を潜り、彼を引き上げる。
「……っ! クライト! 息! しろぉ!」
荒波に揉まれ、酸素を求めて喘ぎながら意識の無いクライトを呼び掛けた。呼吸の気配も無い。
人一人を海の中で助けながら、俺は浮き輪代わりになりそうな物を探して周囲に目を配る。
木の切れ端や樽に掴まりながら、早く海から上がれる方法を模索。このままじゃ体温が持っていかれる。洒落にならない程冷たい。このままでは二人揃って溺死も時間の問題だろう。
ふと目の前に鎖が飛んできた。盛大に水しぶきが跳ねる。その鉄鎖の袂はゆっくりと通過する商船からだった。「掴まれっ」と叫ぶ声が聞こえる。
それに藁にもすがる想いで掴み、引っ張られていく。海から引き上げられ、クライトと一緒に俺は戻って来た。ぐったりと甲板に横たわる。船員達とレイシア達が集まって来た。他の奴等は無事らしい。
「クラ、クライトぉ! 起きろぉ、しっかりしろぉ」
兄ヘレンが駆け寄り意識の無い弟に情けない声音で呼びかける。クライトは昏倒したまま動かない。外傷は肩に多少の裂傷があり、赤くにじんではいるが大したほどではない。問題は爆破の衝撃に叩かれた事だろう。
止血の為にはだげさせながら反応を伺う。人工呼吸が必要か? その心配は杞憂だったが。
「ごぽっ」
飲んでしまっていた海水を吐き、咳き込み始めたクライト。さらしを巻いた胸を上下させる。
さらし? と、疑問符を抱いた俺をよそに、ヘレンは意識を覚醒させつつあるクライトを見て半分嗚咽を漏らしながら安堵していた。
「うぉおおん。弟よぉ! 良かったぁ! 良かったよぉ!」
「……兄者……。ああ、そうか。俺は爆破に巻き込まれたんだな。皆、皆は無事か」
身体を起こしたクライト。そこで、俺は違和感にようやく気付いた。
胸のさらしが、水を吸って膨らんでいた。というか、締め付けが緩んでいた。
「クライトくん。それは一体」
俺が指をさして視線を自分の胸元に戻す。巻いていたバンダナは解け、癖のあるセミロングの黒髪が下りた。その外見は普段の男らしい風貌ではなく--
「わっ! 待った! 待ってくれ!」
「違う! これは違うのだ皆の衆! 弟は! 弟は!」
腕で胸を隠すクライト。目を赤くしていたヘレンも事態を理解して、水に濡れた痴態から庇う。
「お前、女だったのか」
「ち、違ぁう! 俺は男だぁああ!」
さっきまで命に関わるか否やの心配に見舞われていたクライトは立ち上がり、船の中へと逃げ込んで行く。兄ヘレンも「ま、待てぇ弟よぉ!」と転びそうな足取りながら追っていく。
思いもよらなかった。クライトは女で、男のフリをしていたなんて。だからか、以前クライトと初めて会話をしたとき、身ぐるみを剥いだ事で何かを内緒にしてほしいと頼んだのは多分この事だ。俺がこの事実に気付かなかったから、有耶無耶になったが。
一人の秘密が周囲に暴露された結果とはなったが、誰もこの騒動で何かを喪失することは無かった。強いて言うなら負傷者一名と船体の一部の損傷。航海には支障を来さない範囲だ。海賊船にいた海賊達はそのまま爆発に巻き込まれて海の藻屑となり、何より船を沈めた張本人は爆発四散した。良い結果とは言えない。
「貨物が一部やられた様だ。アンタの命令の結果だぜ船長」
「……一見普通の船だったんだ。海賊旗だって無かったし。助けようとするのは当たり前だろうが」
「そこを付け込まれたんだろ。護衛として乗船したのが俺達だったからよかったものの、乗り込んでった冒険者があのままやられてたら為す術無しだったんじゃないのかアンタら。もうこういうのは無しにしてくれ」
痛いところだったらしい。船長は閉口した。一応けじめはつけておかないと。それにこれで船旅で威張り散らす様な事はなくなるだろう。
さて、怪我人の様子も見ておかないとな。俺は相部屋の方に赴いた。
「クライト、出てこい……怪我しているだろう。手当しないと、聞いているか? おおい、返事をしてくれ」
締め出された扉の前で、ヘレンが中にいるであろうクライトに一生懸命説得を試みていた。成果は得られない様だが。
「ひきこもるほど、ショックだったのかね。まぁ、冒険者なら男装なんて珍しかないと思うけどな。このご時勢物騒だから、男でいる方が安全だ。それに女性の弓使いなら胸がつかえない様にさらしで締め付けるのも道理にあってる。だから知られても変じゃないぞクライト。女だったからって騒ぎはしないよ」
「いや、あやつは弟だ」
俺も一緒に呼び掛けていると、ヘレンが横槍を入れる。
「我等は男手ひとつで育ってな。母のいない家庭だった。だから言葉遣いも振る舞いも男としてクライトは生きて来た。まだそれだけなら変ではない、だろう。だが、クライトは心まで女という物が無かった。身体と一致していないのだ」
「転生者なのか!?」
「テンセイ、シャ……というのは分からないが、恐らく違う。周囲には身体が女で心が男というのはまるで理解されなくてな。酷いいじめにも遭っていた」
さっきのは羞恥に駆られてその場から離れたというよりも、奇異の目線を恐れて逃げ出したんだろう。なるほど、秘密にしたがる訳だ。
「それなのに……ああ、俺は情けない。今回俺はまともに役に立てなかった。弟一人も守れず、慰めの言葉も満足に掛けてやれていない。兄失格だ……こんな事で、俺は……」
「それ以上先は言うなよ」
俺は遮った。言おうとしたのは、多分こんな事で自分は本当に英雄になれるのだろうか、辺りだろう。
「目先一つの出来事で挫折するな。お前ら二人とも五体満足だった。それだけでも十分じゃないか。今後しっかり働いてもらうつもりなんだ。今回活躍を逃しただけで俺の依頼はお仕舞いじゃないんだ。いちいちいじけてんじゃねぇよ短絡バカのくせに」
「う、うむ……」
「虚勢張ってでも、良いところ見せろよ。兄貴なんだろ」
ヘレンは普段の快活で能天気な明るさの片鱗の無い弱い背中を見せた。予言にされた未来の英雄様も、道のりは厳しそうだ。
「クライト、兄は少し風に当たってくる。空気が良くない。それに船酔いに慣れぬとな」
俺がその場に残り、壁際からクライトの声が聞こえた。
「グレン殿、まだそこにおられるか」
「おう、いるぜ」
「さきほどは何も言わずに失礼した。グレン殿が助けてくれたのであろう? 感謝する」
「お互いさまだ。お前が野郎の自爆から俺を庇ってくれたんだろ? 無茶しやがる」
ふっ、という苦笑の息遣いが聞こえた。多分扉越しに腰かけているのだろう。
「兄から話を聞いていると思うが、俺は男として生きて来た。気持ち悪いと思ってくれ。女の身体に男の心だ。変に感じて当たり前だろう」
「念の為聞くがお前、生まれてからそうだったのか」
「質問の意味が良く分からないが、そうだ。俺は物心ついた時に女である事を失くして育って来た」
「そうか。けど安心しろよ。俺はそんなの気にしない。男であれ女であれ、俺は今まで通りに接するからな」
「それはありがたい。皆もそうだと良いのだが」
身内にも真逆だがクライトと同じ奴がいるしな。アレイクは前世の影響でそうだが、クライトの場合は純粋に性が噛み合わなかった。この時代、理解される方が難しい。それを受け入れたヘレンの株は、内心俺の中で上がった。
壁を挟んだ上で、俺達は会話を続ける。ほんとは治療を勧めたいが、もう少しクライトを落ち着かせてからだ。
「クライト、俺からお前に謝っておかないとならない事がある」
「貴殿が謝る様な事があるのか? 俺は貴殿に助けられたというのに」
「ああ、その助ける様になったのも、元はと言えば俺の不始末だったからだ」
ゴラエスの自爆。それは俺自身の判断ミスだ。
奴を動けなくして、安全を確保した気になっていた。もっと出来た事はあった。
「あの時俺がトドメを刺しておけば、お前が爆破に巻き込まれる事も隠していた秘密が暴露される様な事も無かった筈だ。俺の甘さが招いたんだ」
奴の言う通りだ。俺は甘ちゃんだった。未だ人の命に手を掛けた事のないぬるま湯の覚悟で戦ってきている。
魔物やヴァジャハはまだしも、俺は人を殺すという抵抗感に踏ん切りがついていない。そもそもアバレスタでゴラエスを落とし穴に落とした時から始末していれば、今回の様な騒ぎだって起きなかったし、海賊の連中だって死なずに済んでいただろう。
いわば全部俺の我儘が原因だ。法や秩序に守られた社会とは異なる、生死をかけた世界で躊躇は天敵だというのに。割り切れず事態を悪い方向に向かわせた。
「悪い。もっとしっかりやれていれば、お前は隠していられたのに」
「いや、きっと時間の問題だったんだ。長らく一緒にいるのなら、気付かれたっておかしくない。ただ、それが早まっただけだ。気にしないでくれ」
今回はまだ怪我の功名だった。もし同じ局面に立たされた時、同じ轍を踏まない様にしないと。俺だけがそれで死ぬなら良い。だが、周囲にまで危害が加わる様なら、たとえこれまでの善行が差し引かれる結果になるとしても為さねばと俺は決意を固めた。
「次はこんな事が無い様にする。だから安心してほしい」
「ああ、頼みにしているグレン殿。それとそう気負わなくて良いぞ。人を殺めるというのは、人によっては相当覚悟の必要なものだ。やはり貴殿は人間らしいな、そういう事に悩めるのだから」
「情けないだろ?」
「いや、その情けに我等兄妹は救われた」
どういう意味だ? その意味を考えていると、クライトは続ける。
「貴殿を我等は幾度となく命を狙った。話も聞かず、一方的に。そしてグレン殿は我等を罠で対抗したな。いや、それで身ぐるみを剥がれた事は恨んではいないぞ。ただ、普通なら兄者と俺は貴殿にとって殺すべき相手だった筈だ」
そうだ。あの時も魔物は殺せてもやはり人の命を奪う覚悟の無い俺は、荷だけを盗って行った。復讐されるリスクもあったというのに出来なかった。
「もし貴殿が人を平然と殺められるゴブリンであったのなら、この世に我等はいない。敵対した相手として殺されていたであろう。だがこうして会話が出来ているのも、貴殿がそれを選んだからだ。貴殿の言う甘さのおかげなんだ」
ゴラエスの様に救い様のない相手なのかどうか、見極めてからでも遅くないのではないか? そうクライトは問いかける。
「時と場合によるだろうけどな。そんな余裕があるとは限らないし」
「当然だ。結果論でしかないのでな。貴殿は慎重なままで良いと俺は思う。俺は、その結果で恨む事は無いから、今後も相手をどうするかはグレン殿の好きな様にしてくれ」
「……分かった」
会話をしていると、リューヒィがやって来た。手には包帯等がある。
「儂が診てやるぞい。聖騎士殿の治癒魔法は相当痛む様なので止めておいた。どうじゃ、気の利く女じゃろ?」
「そろそろと思ってた所で、流石だよアンタも」
「何やらあの魔導士がおぬしを部屋で待っておる様じゃぞ。何か企んでおるのかのう?」
「心当たりはある、まぁ悪さはしねぇさ」
クライトの了承により、彼女は扉の中に入っていく。まだ別件のやるべき事が残っているので、俺はリューヒィに任せる事にした。




