俺の出航、憧れの再現
出発から三日目、港のあるリゲル国へと辿り着いた俺達が目にした町並みは、アルデバランやアバレスタの建物の外観とはえらく様相の違う作りだった。頂点が玉ねぎ状に膨らんだ塔が連なっている。
「リゲルは特殊な文明でのう。力のペテルギウス、信仰のアルデバランに次ぎ、知識のリゲルと呼ばれる程、技術の先鋭が目覚ましい国家じゃ。ペテルギウスの庇護下の元、不戦の完全中立という体裁でありながら、ペテルギウスにそこで培った技術を兵器として提供している側面があるがの」
「港があるのも、そういう国だからか?」
「海に面した土地だからというのもあるぞい。ドラヘル大陸から船の伝来があり、それを模倣したのが渡航の始まりじゃ」
馬車の運転手とは此処でお別れだ。船にまで馬は乗せられない。
「名残惜しいよ、マルコポーロ号にアンドロメダ号。では餞別にマンドゴドラを--」
「だから馬達に変なモン食わすのは止めろって! いい加減にしてくれ! 俺はもうやだよアンタに利用されるの! 今回限りにしてもらいたいねっ」
「いやいやいや待ってくれよ旦那。……お迎えも加味した上で雇ったんでしょ?」
「ちきしょおおおお!」
解放された事で泣き言を漏らしながら運転手は身軽になった馬車を走らせて遠くに去っていった。
こじんまりとしたアルデバラン王国とは異なり、栄華を極めているリゲルの町は出店と人の濁流に息が詰まりそうになった。亜人も多い。獣っぽいのがいたり、中年の顔で子供ぐらいの背丈のがいたりする。
石垣の通りで見知らぬ馬車が大量に詰まれた木樽を運んでいる。その樽からは微かに妙な臭いがした。
「あれの中身は何だ? 何かきな臭いぞ」
「火薬」
淡々と答えを出したのは、後ろにいたロギアナだった。鼻が利く俺でやっと嗅ぎ取れたのに良く樽の中身を看破出来たもんだ。
「何で分かる? そんな物騒なの何処に運ぶんだ?」
「故郷だから。近くの鉱山で硝石が採れる。アレは船の砲台に使う火薬と分けてアルデバランに兵器用として献上する」
「へぇ此処はロギアナの故郷か。楽しそうな場所じゃないの」
「……」
活発な場所とは裏腹に、銀髪の魔導士は物静かに必要最低限の話だけすると一同に黙ってついてくる。
地区によって様々な文化が入り交じっているこの町自体には長居する事はない。港まで荷を運び、今日には出航する船に乗るのだから。
橋から橋を渡る運河沿いの街並みで、遂に俺達がドラヘル大陸を渡航する為の乗り物を拝見する。
「キャラック船だぁ!」
巨大な木造帆船を目にし、瞳を輝かせるアレイクが喝采をあげる。
「何、詳しいの?」
「ええ、ほんの少しだけ。日本に初めてやって来た黒船と同じタイプの船ですよ! うわぁ、壮観だなぁうわぁ! 大砲ついてるなぁアレ鉄じゃ錆びちゃうから青銅の砲台なんでしょうひょー!」
「良くわかんね」
現世の歳を加えれば精神年齢三十歳にもなる少年は大はしゃぎだった。俺は背後の面子を一瞥しながら適当に流す。ほれ見ろ、一名を除いて周りがドン引きしている。
ロギアナだけはアレイクに対し、若干懐疑的な視線を送っていた。
着艦しているキャラック船とやらの元まで来ると、潮風に汚れた精悍な男が俺達の前に立ちはだかる。
「グレン・グレムリン一行のご到着か」
「船長、息災だったようじゃな。あちらの出航以来じゃのう」
前に出たリューヒィが目の前で恭しく船長と呼んだ男にお辞儀した。だが彼女にも目を留めず、俺の姿を見て男は言う。
「聞いてはいたが本当にゴブリンを連れてくるとはな。おまけに騎士や魔導士の着せ替えごっこしてやがるガキ共まで付いてくるたぁ、冒険者ってのは何でもありだな」
帆船を見上げてそわそわしていたアレイクが、蛇に睨まれた蛙みたいに固まる。
「そうじゃった、騎士まで連れるという話はせんかったな。だがぬしの船には些か問題はあるまいて。そんなやましい事は海に誓って無いのじゃろ?」
「当たり前だ。俺は足手まといとガキが嫌いなんだ。仕事の邪魔になるからよ。それで船に何か問題を起こしてみろ。責任とってもらうからな」
「そこは、この御仁にのう」
「俺かよ!」
俺に振ってきやがった。ギロリといかつい海の男が睨む。
「この町に亜人なんざ珍しくねぇ。重要なのはテメェが問題を起こすかどうかだ。俺はゴブリンを乗せるのは初めてだからよ、手放しに信用なんか出来ねぇ」
「一応お国から叙勲を頂く程度には武勲と素行の良さがあるつもりなんだけどね。こちらはお願いする方だ。御迷惑をお掛けしないよう気を付けるさ」
「ケッ、口だけなら何とでも言えるんだよ。乗っちまえばそっちのもんだと思うな」
痰を路傍に吐きながら船長は毒づいた。どうやら煙草を吸ってるみたいだ。
「良いか? テメェら全員良く聞け。船内では全員の命は俺の手の内にあると思え。無事にたどり着けるかどうかは俺の機嫌次第だ。海の上にいようと逆らおうってんのなら簀巻きにして海の底に沈めるからな」
「肝に銘じておくよ船長」
「分かったならとっとと荷を積み込め、遅れたら承知しねぇぞ」
頑固オヤジキャラとはこうも脅し文句が似ているものか。鉱山のおやっさんは捨石山。今度は簀巻きで海の底か。にしても亜人という見かけでも差別しないでくれるのは助かるぜ。
乗船すると船員達が荒々しく働いていた。その空気に俺達の何人かが息を呑む。
背景として当たり前のように悠々と進むリューヒィ、澄まし顔のロギアナ。表情不明の首狩りパルダと例外もいる。
「お、おいゴブリン。何だか揺れているぞ……! じ、地震か!?」
「そりゃあそうだろ波の上にあるんだからさ」
後ろでヘレンがおぼつかない足取りで甲板をふらふらと続く。
「グレン、私も船に乗るのは初めてだが、随分お前は落ち着いているな。船に乗った事があるのか」
「まぁ、何度か経験はあるかな」
旅行でフェリーの経験はあるが、揺れの酷さは段違いだ。これは船酔いにやられる奴が出るだろう。
商船ということもあり客室用の部屋に案内される。おうふ、ベッドはハンモックか。狭い個室と申し訳程度の会議室兼食事をすると思わしき部屋。天井に蜘蛛の巣が張ってる。これはなかなかタノシイ船旅になりそうだな。
「錨をあげろォ!」
「「うースッ!」」
「帆を降ろせェ!」
「「うースッ!」」
「土とのお別れを告げろ野郎ども! 出港だァ!」
「「うースッ!」」
「「あばよ陸の馬鹿ども!」」
「「俺たちゃ海へとおさらばだ! そこで悔しく指をくわえてろ!」」
騒がしい船乗りたちの出航の文句が、天井の船の上から合唱する。商船であるのに随分荒くれた連中だ。荒波に全体が傾き、航海が始まる。
「グレンさんグレンさん!」
「……んあ? 何だよアレイク」
ハンモックに揺られて優雅に過ごしていた所に、はしゃいでいた少年騎士が別の個室から顔を出す。傍らではにはヘレン兄弟が相部屋にしているが、兄ヘレンがさっそく船酔いにやられてグロッキー状態。弟クライトが介抱していた。
「見張りに行きませんか? 僕達は護衛という事で運賃をタダにしてくれたんですよ。ならもっと船員さん達にやる気を見せてあげましょう! うん!」
「探検したいだけだろお前」
まぁ、せっかくの航海でドラヘル大陸まで約一週間は掛かるみたいだし。何かやれることを探すのは悪い事じゃない。迷惑な真似さえしなければな。
「ったく。分かった分かった御守りに付き合ってやるから、邪魔しないようにしろよ」
「はい! 何処までも続く青い海原を僕は前世で見たことないですからね!」
という訳で客室から船の甲板に出た。ゴブリンの姿に一瞥する船員もいたが、仕事でそれどころではない様でさっさと持ち場に戻っていく。
「わぁ、ホントに地平の先まで海だぁ! イルカとかこっちにもいるんですかねぇ!」
「はしゃぎ過ぎだろ。現代だって見れる景色なのにそんなに珍しいかね」
「だって僕、前世では殆どが病院暮らしでしたから。病室という風景しか馴染みがなくて、大自然とか海外の色んな街並みとか憧れてました」
そうだった。コイツは若くして病で亡くなり、こっちの世界に転生した。普通の学生みたいに修学旅行や遠足とは無縁の生活ばかりで、勝手に決めつけては失礼だが俺からすれば寂しい一度目の人生が終わってしまった。
そう思うと何だか同情したくなる。これくらいの我儘なんてかわいいもんだ。付き合ってやっても罰は当たるまい。
「もしよかったら船首まで行きませんか?」
「船を見て回るんじゃないのか?」
「それよりやってみたいことがあるんです」
意気揚々と俺を先導する少年騎士。船酔いなんてへっちゃらと言わん気に足取りが軽い。
「景色はそうも変わらんと思わんがね、此処に来てどうすんの?」
「そりゃあもう! アレですよアレ!」
船の先端に位置する場所に立ち、アレイクは両手を十字に広げた。
「グレンさんほら! 後ろに来て下さい!」
「……お前……アレって、アレ?」
「もちのロンですよ! 有名な映画のシーンの真似したいんです!」
「いやしたいんです、じゃねぇ! それ沈没する映画のやつじゃねぇか!」
不謹慎な事すんなよ! 縁起でもねぇよ! この商船が沈むフラグになるだろうが!
「そもそも男同士で絡むなんてやだよ。一人でやってくれ」
「ちょっとだけですから! それにハートは前世のままで女でもあるんです! どうしても嫌ならとりあえず背後にまわるだけでもいいからお願いしますよ!」
アレイクめぇ、恐らく病室で映画見まくってた影響で憧れてやがるんだな。またとない機会かもしれないが、俺まで巻き込むなよなぁ。
「……あー、もう分かった。やればいいんだろやれば。ただしこんな感じで良いか?」
俺は手を広げたアレイクの肩に手を置き、身体を斜めにした。組体操みたいな状態になった。自分達でも端から見てもへんてこな格好だ。
「はい。オッケーです。……よーし」
本人はこれでも良いらしい。うきうきしている彼は、俺の前で大きく息を吸った。何をする気だ?
「エ○ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「違うそれ違う! 間違ってる間違ってる!」
「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアウィルオオオオフフハアンンウウウウンラアアブユウウウウウウウファアアアアアアア!」
「うろ覚えだよね? お前歌詞分かってないでしょ? 無理して歌わなくていいからしかも曲違うっつってんだろ!」
ああもう正しい曲が頭に浮かんで来なくなった。名シーンを台無しにしやがって!
船長に「うるせぇぞ! 海に投げるぞゴラァ!」と怒鳴られる。そりゃそうだ。仕事をしてるのに子供が現れて大声で酷い歌を聞かされれば誰だって怒る。
此処にいると背中からドロップキックでも本当に貰って蹴落とされそうな気配がするので俺はアレイクを引きずり、内部の客室に戻ろうとした。
「ま、待ってください。正面のアレ、何ですか?」
海原を突き進む航海の進路の先、目を凝らすと水面で白い飛沫が迫ってきていた。
徐々に魚影が見える。魚が海面から跳び跳ねているとすぐに分かった。それが、船と交差しようとしている。
「魔物だ」
駆け寄ってきた船長が端的に解答した。敵襲の知らせが怒号と共に船舶に広がる。




