俺の悲壮、モラハラ
身を投げ出していたと気付いたのは、目が覚めてからだった。
体はヒリヒリとした痛みに包まれ、酷いめまいと倦怠感がつきまとう。俺は手足を大の字にして気絶していたらしい。
「……うおぉ」
「大丈夫ーですかー?」
「うおおおォ!?」
覗き込んでいたのは俺をこんな状態にした張本人のシレーヌだった。心配そうに俺を伺っている。彼女が変貌する前と同じように丸眼鏡が戻っていた。
「はっはっはっ。いやぁグレンくん、大した健闘ぶりでしたねぇ」
「ハーウーゼーンー。テメェなんてスパルタ教官連れて来やがんだっ。マジで死にかけたぞオイ!」
「しかしおかげで学べたのでは?」
俺は彼女の複合付与で発生した氷の剣山と激突し、相殺しきれずに吹き飛ばされた。けちょんけちょんにされた。ボロボロだった。
「ごめんなさいー私ったら歯止めがーどうしてもかからなくてー」
「いや、こっちこそ今まですいませんでしたごめんなさい。ほんとごめんなさい。調子に乗ってましたマジで。この前だって両頬つねったしもっと気を付けますごめんなさいほんとごめんなさい」
「あーいやー謝らないでくださいー。別に最初からー怒ってませんからー」
背を起こした後、すぐさま土下座に移行した。こっちの文化の作法ではないが、俺なりの誠意として伝わっているだろう。へこへことする俺に頭をあげろと促す。
というか、つまりアレで『素』なのか。眼鏡でスイッチが切り替わる彼女に、今後失礼が無いようにしよう。俺はそう改めた。
「でもシレーヌ……さん。いや、シレーヌ様!」
「良いですよー今まで通りで」
「ああ……はい。シレーヌ、勉強になったよ。付与には色んな事が出来るってすげぇ参考になった。後、上には上がいるって事も思い知らされた」
正直なところ俺は最近知らない内に己惚れていた節がある事に気づいた。並み入る冒険者をあしらうだけの実力を身に着け、強敵にも対抗出来た結果に自分も強者と言える足並みに揃えられたつもりでいた。
本物の実力者には俺はまだ到底敵わない。あくまで自分は貧弱なゴブリンだというのをきちんと身の程を知らされた。小技や強力な技を手にしただけではしゃいでいたんだ。
しかも手加減されていた、と思う。豹変した時のシレーヌの態度はああだったが、彼女が本気なら俺は瞬殺だっただろう。自覚のある分でも命を奪われていた場面が何度もあった。
「それで、単刀直入に教えてほしい。俺に必要な物はなんだ?」
「そうですねー。グレンさんはー特殊なレベルの上げ方をしていますからー、安定性を求める意味ではー土台を鍛えるのが一番かとー」
「土台……」
「はいー土台ですー。グレンさんってレベルを初期に戻さないと上限が増えないじゃないーですかー。つまりー実力の幅がまず非常にー不安定だと思うんですよー。しかも上げ直すのもー高レベルになっていくと相当大変になるでしょうねー」
言動はまるっきり違ってても、彼女の切り込み方には鋭さがある。言われてみればその通りだ。何よりシレーヌ研究士は一度俺の事を検査していた分、俺自身以上に分析出来ている。
「レベルの上昇というのはー倒した相手の魔力分の吸収で自分を段階的に強化する現象ですー。素養のある者、強靭な肉体を持つ者程ーその振り幅は変わってきますねー。グレンさんはレベル初期に戻ってもある程度の補正は掛かっているようですがー、それでもやはり厳しいですからー。ならば上げ幅とは別にー土台を高くしておく必要があるとー私は思いましたー」
「肉体そのものを、レベルとは別に強化していくべき、と?」
こっくりとうなずく。俺は己の全身を眺めた。緑の体色。小柄な身体。何周も上限に達しながらレベルを上げてようやく駆け出し冒険者以上のステータスは手に入れている。が、それは初期に戻れば再び最弱になる事実は痛いほど自覚していた。
つまりレベルの上げ幅に影響されない、最低限の肉体の強さを維持する。そうした方が良いと彼女は言うのだ。
種族、レベル、装備などに目が行っているが、俺に必要な物はもっと根本的な事らしい。要するに筋トレかぁ。確かにレベル1に戻ったからって、歩けなくなるくらい筋力が衰える訳じゃないしな。理屈は納得できる。
「土台を鍛える事はー魔力による肉体の影響にも左右されますー。レベルを本人の倍率に例えてくださいー。肉体の1にある程度の倍率を掛けるならー肉体の2や3に掛ける方が強いでしょー? それが種族値の差ですー。貴方のレベル1上昇よりー獣人達のレベル1上昇の方が高いとなるとー、別の点で競わなければならない」
ゲームの様に、敵をただ倒して経験値を貰ってレベルを上げていては、仮に俺のレベルリセットに上限の際限が無いとしても、俺の成長力にも無理がある。そもそも元から効率が悪い。それを小細工で誤魔化していたっていつかはその問題に突き当たるだろう。
「それとー、もうひとつ」
「まだあるのか?」
「はいー。付与の事でーす。グレンさんの紅蓮甲、そこに闘技を加えるなんて前代未聞でしたー。それだけあってやはり強力な物ですねー。ただ、乱用するとすぐに魔力切れになりませんかー?」
ごもっともだった。あの状態からの多連崩拳--紅蓮・多連崩拳はさらに凄まじい物になるが一度に十数発分使って魔力切れ(ガス欠)になるかならないかの状況に追い込まれる。それで俺はヴァジャハからの一撃を受けた。呪われた。
「何か解決出来る方法とか、無い? 例えば消費を極力減らすとか」
「ありませんねー」
スパッと断言された。説得力があるだけに、俺の克服という希望に暗雲が閉ざされる。
「あー、そう……それは残念。小出ししてくしか無いのね」
「現状では、ですよー。魔法用の魔力の容量を増やして行けばー変わってきますが」
「レベルの上昇以外で増やせんの? てっきり肉弾戦タイプというか才能の問題というか、生まれ持った物はどうしようもないと思ってたんだけど」
「鍛錬次第です。反復してーどんどん自分の扱える魔力の量を増やしてく他無いでしょうー。とにかく酷使する事、使い切って限界を伸ばしてくのがー堅実な方法ですー」
今まで俺は温存にばかり目が行っていた。いざという時に備えて、使い切らない様に倹約するスタンスだった。まさか筋肉痛みたいに魔力も激しく酷使すればする程増えていく物だったとはな。
「消耗という意味ではー付与の練習に最適だと思いますー。湯水の様に魔力が維持するだけで減っていきますからー。はーい、では私が指導出来るお話はおしまいでーす」
シレーヌはそんな風に教えてくれた。これから向かうドラヘル大陸の道中で、のうのうと旅を楽しんでいる場合ではなさそうだな。
「しかしシレーヌってとんでもない実力者だったんだな。あのヴァジャハとも俺達以上に闘えたんじゃないか?」
「いやー無理でしょー。グレンさんの首に掛けてる様な十字架は私は所持出来ませんからー、きっとすぐにやられてますよー」
信仰心がさほど高くないと、ヴァジャハの呪いを防ぐ十字架は所有できない。彼女は研究者だ。科学的な物事への関心はあれど、神様をあまり信じてない騎士だったらしい。
「それにー今の私はー科学を追い求める人間。謎の解明と闘うのがお仕事ですからー。お供できないのは申し訳ないですけどーグレンさんもーもしまた戻ってきたらご協力をーぐふふふふ」
「あ、ああ、考えておくよ」
「そして参考までにー私が鍛錬していた時のメニューをーお渡ししますねー」
検体の協力はご丁寧にお断りするつもりでいながら、ありがたくトレーニング用紙を頂く。内容は筋トレから付与の持続練習まで。一見すると女性にはハードな内容だ。
なかなか地味だがこれも必要な過程だ。この先周り以上に強くなる為には。
今回で見据えることが出来たのは、解決すべき2つの命題。1つはレベル以外で力を身につける事。2つは虎の子の付与の扱いをもっと巧みに出来るようにする事だ。
そうしてドラヘル大陸への出発する当日、アルデバラン王国から港町までのリゲルに馬車や食糧を手配してくれていた。兵士達の人員を割けない代わりにせめて、と国王と王女ティエラからの餞別だ。
俺御用達の宿の部屋は既に引き払い、女中のハンナさんには城に戻ってもらった。ちなみに城下町までやって来たその馬車は偶然か運命の悪戯か、
「すまないねぇお客さん。この馬車は先約のお得意様用でね、アバレスタ経由のリゲーーげえぇ! ゴブリン!?」
「あららら? まーた会ったねぇ」
三度目の会合となる鉱山の時の行商人と顔を合わせる。向こうは青ざめた顔で必死に俺に断ろうとした。
「こ、今回ばかりは駄目だ! 今回は国からの御用達で既に予約入ってんだ! 前回みたいに参加者として乗せる訳にはいかねぇっ。グレン・グレムリンってご貴族の客人を運ばなけりゃならねぇ。アンタなんかを乗せちまったらその人にどんな顔されるかわかったもんじゃないんだ!」
「あー、それなら心配はいらないと思うよ」
「は、はぁ? 何でそんな事言える? 根拠でもあるのか!?」
「そのグレン・グレムリンは他でもなく俺の事だもん」
「ふぉおおお!?」
こんなの聞いてない! と苦しそうな顔をする行商人。まぁ確かにゴブリンの客を乗せろという業務依頼なら、知らされているのといないのとでは心構えも変わって来る。客への態度までこちらのご時世ではプロ意識の範疇に回るものでもないし。
また嫌々こき使うという話になると、各地を回って顔の広そうなこの男に何か愚痴話として漏らされるかもしれないな。それはなるべく避けたい。さて、どうしてやろうか。
一計を案じる。俺は苦笑して、事情を知らずに顔を見合わせるアレイクとレイシアに振り返った。皮肉や嫌味といった類ではなく、自分を責める様な苦笑いを繕う。
「そっか、そうだよな……。」
ひとりごちる声音には諦観、哀愁といったやり切れない思いを無理やり押し殺す様な響きを持たせる。皆、俺の一変した態度に注目する。
「悪い、二人とも。アバレスタまでは歩きにしよう」
「グレン、どうしたんだ? それって馬車は使わないってことか」
「嫌々リゲルまでの旅の使い走りにするのは俺も気が引ける」
頷く。俺の意図の読めない提案に、行商人は戸惑いながらも渡りに船といった様子で安堵していた。
「この馬車の人は、俺の事が嫌いなんだ。ゴブリンの俺がな。その事前情報を伝えなかったこっちに非がある。あくまで頼む側なんだし強要するのは騎士としても良くないだろ? 俺、この人の気持ちを汲むよ。だからアバレスタの街までは大変だけど、徒歩に出来ないかな? そこでまたリゲル行きの馬車を探そう。俺でも受け入れてくれる馬車を探しに」
「で、でも荷物はどうしますか? こんなの背負って歩いてたら集合に間に合わないんじゃあ……」
アレイクの指摘は良いところを突いてくれた。そうだ、その為に馬車を借りようとした。それを運転手に把握させる。そしてこう申し出るのだ。
「これは俺の責任だ。俺が二人の分も背負ってくよ。なんとか間に合わせるから」
「三人分だぞ! そんなの無理だろう」
レイシア達の荷物は背中では収まりきらない程の大きさだった。長期的な道中を予想した上での食料などが入っている為、当然サイズもバカにならない。
「でも仕方ないじゃないか。俺は、ゴブリンだから大丈夫……迷惑をかけたくない」
絞り出す様な声に、レイシア達の顔が曇る。俺の境遇を親身になって同情してくれた。
「レイシア、これが普通だ。アルデバランが信仰や国をあげての対応で特殊なだけで、本来はこういう態度が当たり前なんだよ。所詮人権や貴族の立場なんて、関係ないんだろう。人は根本的に自分と違う物を受け入れられないんだ」
行商人は居心地が悪そうに呻いている。え、これ俺のせい? みたいに思っている顔だ。うん、それは俺がそう思わせている。
「だから前回はこの人に乗せて貰った時、乗車賃もはずんでやっと乗せてくれた。でも、そんな無理してまで同じ人に嫌がられるのを、俺自身も見たくないよ」
「ちょ、ちょっと待ってそれ気前良くサービスしてくれたの貰っただけ! 別にぼったくった訳じゃないから!」
「そして乗せた時も本当に嫌そうで、荷台を汚すなって言われたんだ」
「いや言ったけど! それは言ったけどさ!」
騎士二人は、若干脚色された出来事を悲劇に受け取り、思わず言い出していた。
「分かった! だったらもっと金がいるんだな!? 私も出す! それでも文句たらたらなら私が聞いてやる。グレンが何をしたというんだ……!」
「僕も追加で払いますよ。良いじゃないですか! 報酬に加えてさらに大量のチップ! そんなにグレンさんを差別するならこっちだって考えますよ好きなだけ金をもらいなさいよ!」
「いや、俺は金の亡者って訳じゃ無い! ただ、俺は……!」
国家の犬の騎士を敵に回すこと、ゴブリンとはいえ貴族を無下にすること、そういう事実の時点でコイツの選択肢はもともとイエスしかない。
だから俺はトドメをさした。
「だから……もういいんだよ二人とも。俺なんかが人並みに生きていこうっていうのが間違いだったんだ。おやっさんが正しい。俺は人間とは違って、たまたま差別されて白い目で見られ続ける星の下で産まれて来てる。だから一般人以下の俺には許されないんだ。ああ、そうだ。じゃあこうしてくれ……二人はこの馬車に乗ってアバレスタへ向かえば良いんだ。俺は、後から一人で行くよ。それが一番だよな……それなら誰も不幸にならな--」
「あああああ! 分かったいらない! 俺が悪かった! 悪かった! 別に嫌な顔せず送るからそんな人でなしみたいな顔で俺を見ないでぇええ!」
よぅし、被害者側に立った俺への恨み言はこれでなくなるだろう。乗車が駄目だったら駄目で騎士達の馬を借りてアバレスタに行けば良かっただけだけど。返却とか馬車探しが面倒になるが。
という訳で、俺はアンドロメダ号とマルコポーロ号の二頭の馬とも再会し、馬車での道中を開始した。まずはアバレスタでリューヒィ達を拾いに向かう。




