俺の療養、カルチャーショック
意識が覚醒して最初に感じたのは、鉛を大量に流し込まれたような重みだった。魂だけの時とは打って変わって、俺はちゃんと地面にいる。
生きていた。あの地獄のようなところから生還したという事実に深い安堵の息が漏れる。
それをきっかけに目や耳から様々な情報が錯綜する。景色は城の内部に戻っており、何人もの騎士や女中が俺の頭の上で行き交っていた。慌ただしい後始末に追われている。
ようやく、俺は自分の頭に枕が敷かれている事に気付く。枕は膝だった。その膝枕の主は俺を見降ろしている。
「……気が付いたか。ああ、良かった。目を覚まさないんじゃないかと思った」
「どうにか身体に戻れたか。悪いが、もう俺は動けねぇぞ」
「ああ、終わったよ。全部終わった。だから休め」
目元がまだ赤い女騎士レイシアが、俺を安心させる様に微笑む。普段の金髪碧眼に戻っていた。ああ、コイツってこんな風に素直に笑えるんだ。いつも仏頂面だから新鮮だ。
俺の首元に十字架をそっとかける。持ち主の所に戻された。
「それにしても、この命綱を手放すなんて何を考えているんだ馬鹿者が。お前があんな事するから、動くしかなかったじゃないか。また私に丸投げとは、ズルいぞ」
「俺は主役には向いて無いんでね。見せ場はやっぱり騎士様にやらせないと」
「やはりお前は馬鹿だ。大馬鹿者だ」
「さいですか」
「けど、そんなお前の馬鹿に救われた。お前のおかげで皆助かったんだ。ありがとう。騎士の皆を代表して、礼を言う」
優しい罵倒と真っ直ぐな感謝の言葉。こっちが気恥ずかしい。
彼女の隣では、既に意識を取り戻し、更には俺を治療する王女ティエラの姿がいる。死のヴァジャハから受けた怪我に、治癒魔法を掛けている真っ最中の様だ。
「骨と筋肉はもう大丈夫ですわ。でも血が……どなたか! 彼に輸血を! 早く!」
周囲は俺の体内から排出された真っ赤な血が散乱している。噴き出した時とは違い、冷えきっている。俺の身体も幾分か寒気を感じていた。
この状況から見て、どうやらヴァジャハはレイシアの一撃で跡形も無く消滅した様だ。残していった骨の大鎌も、灰に還って積もっている。
ハウゼンが離れた場所で指揮を執っていた。という事は、あの結界も無くなったのか。
「……そういえば、レイシア。俺達が生き返ったんだ。アイツは、オーランドの奴はどうなった?」
素朴に投げ掛けた質問だった。レイシアは沈痛な面持ちで押し黙り、俺から目を逸らす。治療しているティエラも表情に影を落とした。
「おい、レイシア。聞こえなかったのか。オーランドは今、何処にいる?」
「グレン様……わたくし達は魂を引き抜かれ、解放されたことで肉体に戻ってこられましたわ。しかし彼は違います」
「オーランドは確か……」
「はい、彼はそれ以前に、直接死を与えられた。つまり、ヴァジャハを倒したからといって」
皆まで言わなくても、もう十分だった。アンデッドに殺された人間や、オーランドの様に死を受けた者まで都合よく復活する訳ではない。後の祭りだ。
「そう、か……。アイツは……」
俺は倦怠感と共に眠気に襲われ、意識がぼやけていくことに抵抗できなかった。遠くでレイシアの俺を呼ぶ声が反芻する。ティエラも王女である事にも構わず周りに何かを叫んでいた。多分、血が必要だと言っていた。
そこからの事はあまり覚えていない。何処かに運ばれ、数日かけて姫様や誰かが俺に何かを施していた。ゴブリンとして排他的に扱われた場所で、手厚く助けられているというのが簡単に信じられなかった。
身体は全く動かず、気が付いた時にはベットの上で毛布まで掛けられた状態になっていたのだ。ようやく身体を起こすと、タイミングを見計らった様に部屋に銀眼鏡を掛けた聖騎士が扉を開けて姿を現した。
「お目覚めですか。丸一日は寝ていましたね。どうですか、気分は?」
「思わしくないかな、起床一番に野郎と顔を合わせるんだから」
「それはまた心外。しかし経過は順調そうで良かったです」
ニコニコと俺に微笑みかける優男。嫌味をまるっきり無視して部屋に入って来た。
包帯の巻かれた肩を撫でる。痛みは薄く、血のめぐりも戻っている。治癒魔法とはこれほどの傷をこんな短期間で塞いでしまうのだから驚きだ。いや、血の方はさすがに傷を癒す魔法ではどうしようもない筈だ。
「俺、多分血が足りなくてヤバかったと思うんだが誰かの血でも輸血したのか」
「はい。輸血しましたよ。グレンくんを見る限り、上手くいったみたいですね」
「ふーん。提供した奴には是非お礼を言いたいねぇ。俺なんかの為に余分な血を流してくれたんだ」
住民が名乗り上げたのだろうか。騎士の誰かが分け与えたのだろうか。まさかティエラ自らがやった訳でもあるまい。輸血も現代医療からかなり遅れている以上、事前に保存とか出来ない筈だ。つまりは俺がまた眠った後、生きている人からかなりの量を採ったに違いない。
「お礼を伝える必要はないでしょう。もうこの世にはいません」
「……なに? それって……死んだって、ことか?」
「はい。尊い犠牲です」
嘘だろ? 俺を生かすために、誰かが死んだって言うのか? そんなことまでして、俺は生き延びようだなんて思わない。申し訳ないにも程があるだろ。
「そこまで、する事ないだろう」
「しかし姫様からの御命令です。もちろん向こうも生きる為に必死で抵抗はしていましたが、致し方なく……」
「文句言って来てやる。そこまでして俺を助けるなんてダメに決まってんだろうが!」
「いけませんグレンくん、まだ安静にしていないと」
毛布を捲り上げ裸足で立つ。ふらふらするが、そんなことは些細な事だ。部屋を出ようとする俺を、なだめながらハウゼンが俺を引き留めた。
「何故そこまで怒るのでしょうか? 此処で生き延びていても、いずれは死ぬんですよ?」
「だからって、人が人を助ける為って理由で殺されて良い訳あるか!」
もしかして、奴隷か? 奴隷の人々は、此処での論理感で生きた道具として扱われる。これでは消耗品だ。たとえ奴隷であっても、俺は納得しかねる。
だが、俺の怒りがどうも空回りしているようで、聖騎士ハウゼンは目をぱちくりしている。
「え? さっきから何を言ってるのでしょうか? 何だか噛み合ってないですが」
「何度言わせりゃ気が済むんだッ。だから、人間の命を無碍にすんのは許せないって俺は--」
ハウゼンは更に、衝撃的な発言を落とした。
「君の輸血は人からではありませんよ?」
「へ?」
一瞬の間があった。向こうがそれから補足する。
「羊です羊。馬小屋で一緒に飼育されてた羊をこう、首をスパッとやって出た血を使ったんです」
「……ふぁ?」
「輸血は普通そうじゃないですか」
俺の思考がフリーズした。多分現代の医者が聞いたら卒倒する話だ。血液型は確認取れてるのかどころか、豚は血液中にも寄生虫いるけど羊はどうなんだろうとか、そういえば衛生面を考えるに破傷風にはならないか? とか、そもそも人に家畜の血を入れるってどんなぶっとんだ話だよ? などなど、遅れて葛藤が暴発する。
「時間が足りなかったというのもあって選びましたが、ほんと結果的に成功して良かったです。成功事例よりも失敗の方が多く、拒絶反応が出て亡くなる方も少なくありませんからね」
「当たり前だよこえーよこの世界の医療技術! 家畜から血を足して無事な方がそりゃあ稀に決まってんじゃん!」
「たまたま適合したのか、グレンくんの肉体が相当強かったからなのか分かりませんが。ともあれ、君は無事だった。それだけで良しとしようじゃありませんか」
羊、羊さんかぁ。ごめんよ羊さん。この前俺も羊の腸で肉詰めしたもの食べちゃった以上、憤る資格無いよなぁ。それだけでなくとも、食って来てるし。
「ちなみ血の無くなった羊はどうした?」
「昨晩はジンギスカンでした」
「あっ、そう」
ともあれ、二度と多くの血は流すわけにはいかない。俺は促されたベッドに戻り、そう誓った。
「今日、此処に来たのは単にお見舞いだったんですけど、お元気そうですしついでに別の件もお話いたしましょう」
「別件?」
「お忘れですか? 君は依頼を受けたはずですよ」
結果や報酬のお話です。ハウゼンはそう言い加えた。
結界内のアルデバランに突入する際、俺自身の動機付けの為にハウゼンに依頼という形式で中に入る許可を貰った事を思い出す。そしてその成果は自分でいうのも何だがめざましい物だろう。
それに、俺は軽い気持ちで解決させちゃったりした時は弾んでくれとまで言ったな。でも、レイシアが決めたし俺の手柄では無いか。
「まず今回の騒動の発端が何であったのか確認が取れました。君が戦った、『ヴァジャハ』と名乗ったとされる怪物、あれは黒魔術で呼び出された存在です。悪魔の分類の様ですが、明らかにその次元を超越されていたようですね。墓場にそれを呼び出す為と思わしき道具や魔法陣、そして関係者の遺体が残ってました。契約に失敗し、暴走してあの状況になった、という見解です。……アンデッドによって殆ど原型が残っていませんでしたが、身元も割れています」
「アイツは人為的に呼び出されてこの国に来たのか。誰がそんなとんでもねぇ事をやったんだ。目的は一体」
ヴァジャハは半日もあればこの国全員の命を奪えるだけの力があった。それを呼び出す程の意図には大きな悪意が塗りこめられていたとしか考えられない。それを思えば街はボロボロで犠牲者は少なくないながらも、最悪の結果を鑑みれば傷は浅いだろう。
聖騎士ハウゼンが指で眼鏡をかけ直した時、レンズが光る。
「発見された遺体は年老いた魔導士一人と、騎士ペンドラゴン隊長及びその息の掛かった騎士の一派達です。あとはグレンくんにも、お分かりかと」
背筋が突き抜ける様な感覚が襲った。ペンドラゴン。俺もこの国では因縁浅からぬ相手だ。俺を亜人としては認めておらず、自分の信念を妨げる忌まわしき敵だと思われていた。
そんな奴がこんな事をしでかした。その事実の通告に俺は他人事には思えなかった。
「俺が、この国に来たからって事なのか、ハウゼン」
「ペンドラゴンは以前から姫様が目指す信仰の方向と食い違いがありました。君も知る通り、神を信じる心があればそれは人であるというのが我々が謳う神の教えです。しかし彼の信仰の考えではそれを容認していなかった。グレンくんの来訪、そこに大きな一石を投じる結果となったのでしょう」
報奨を受けに行った時、王女ティエラの部屋の前の出来事を思い出す。奴は姫さんと口論になっていた。二人が話していた内容も、方向性の相違だったと思う。
『コイツが来たせいだ! コイツのせいなんだ!』
被害に遭った住民の糾弾の言葉が脳裏をよぎる。俺がアルデバランにいなければ、こんな事態にならなかったのでは? ティエラだって助けにいかずとも、いずれは救出されて、ペンドラゴン達との確執も起きなかったのではないか? 疑問が俺の中で押し寄せる。
「時間の問題ではあったと思います。気に病むことはありません。君がいなければ、レイシアや姫様だって今の様におられなかった可能性があるんですから。それにこれは不祥事でもあります。余計な混乱を招く恐れを避ける為にペンドラゴン達の所業は国によって揉み消されることでしょう。宗教の改革、というくだらない目的の犠牲となった方々には出来る限りの償いをしていくしかないです」
気休めの言葉を送りながら、ハウゼンは話を進めた。
「そして、グレンくんには今回の活躍で類稀なる武勲が認められていますね。莫大な報奨が本人の御意思で--」
「いらない」
取り出した巻紙から俺に対する感謝の対価を読み上げていたハウゼンの口が止まる。
「金ならもういい。俺の荷物はちゃんと預けてあるだろ?」
「はい。責任もって我々の宝物庫の中に。前回報奨で受け取った白金貨の袋も。ですが……」
「今回のアンデッドやヴァジャハの被害で亡くなった奴の遺族達にでも充ててくれ。金をいくら貰おうと、俺が持てるのに限界がある」
「そう、ですが。それはグレンくんの御意思であるなら、無理に引き止めませんが」
この結果で、俺がしてやれる事として考えたせめてもの報い。良心の呵責が、自分だけ利益を増していく事に抵抗の悲鳴をあげたから、こうするだけだ。
「けれども、全部はお渡し出来そうにないですね。報奨の中には譲渡が不可能な物もありますから」
「何だよ、それ」
再度捲り上げた羊皮紙の内容の続きを読み上げる。ハウゼンはおほんと咳払いをした後、口上を改めて述べた。
「グレン殿にはこの度の類稀なる活躍とその功績により、褒美と共に男爵位の叙勲を行う事をお伝えする。第25の王、ストリゴイ・モロイ・アルデバラン」
「……叙勲? 男爵? 芋?」
「分かりやすく言いますとね」
鳩が豆鉄砲でも食らったようにぱちくりする俺に、ハウゼンは笑いながら砕けた雰囲気でまとめる。
「君は貴族になれたんですよ」




