俺の霊魂、深淵の中
※視点が変わります
※
私はその一部始終を目の当たりにしていた。騎士レイシアは、その称号を発揮することなく傍観していた。グレンという勇敢なゴブリンは、あのヴァジャハによって姫様と同じく魂を引き抜かれ食われていった。
大怪我を負った彼の抜け殻は、路傍に放るようにして捨てられた。血の水溜まりが大きく跳ねる。
彼であっても、ダメなのか。鉱山でのドラゴンの時も、アイツは私達を奮い立たせ窮地に突破口を開いた。今回もまた、アイツによってこの局面に灯りが見えて来る所まで到達した。
「私は……」
だが、それも遂に潰えた。私は協力を求められても動けなかった。闘う意思が、心が折れてしまっていた。
また私は誰かを見殺しにした。情けない、一体私は何の為に騎士になったというのだろうか。
これでも私は憎悪だけでなく、私自身の様に不幸になる者達が少しでもいなくなる事を願って志した筈だった。それがこの様だ。これでは生きていたって仕方がない。主君を、友を、仲間を守ることが出来ない騎士など存在する意味が無い。
グレンは私に言い残した。何もしないなら、少しでも辛い事が起きない様にと神に祈っていろと。だが私にも分かっている。どんなに助けを求めても神様は助けてはくれない。そんな都合の良い物であってはならない。
では、この十字架は一体何のためにあるんだ? 私は無理やり持たされたこの見掛け倒しの道具に力をこめる。人の祈りを受ける十字架も、奴の呪いには太刀打ちできない。
「……え?」
そこでようやく気付いた。違う。これは私が付けていた物では無い。どういう事だ? もしかして、コレは……
以前からグレンの狡賢さには舌を巻いていたが、よもやこんな事までするとは思わなかった。アイツは私に協力を求めたのではない。アイツは私に、一縷の望みを託してのけたのだ。その身を犠牲にしてまで。
待ってくれグレン。私に勝てる見込みなど無いのだぞ。どうしてそんな思い切った事が出来たのだ? こんな酷い時でも、何だか笑えて来る。
状況は絶望的。私もまた死神ヴァジャハが見せた過去の幻影によって戦意を奪われており、姫様やオーランド達まで殺された。今度は街中の人間にまでその毒牙を掛けるのだろう。そして、最後に私だ。
なのにアイツの意図が分かっただけで、幾分か胸がすく想いに変わった。あの馬鹿。破天荒にも程がある。どれだけ私を立ち上がらせたいのだ。これではやるしかないではないか。
アイツは無謀だった。『これ』が此処にあるという事は無謀以外の何物でもない。だからこそ、その馬鹿げた無謀に今一度勇気づけられた。ああ、祈る暇があったらやるしかないよな、グレン。お前が私に賭けた様に、私も命を賭ける。
もっと早く動けていれば、お前も無事だったかもしれない。すまない、グレン。私は幾度となく心の中で謝罪する。
ようやく立ち上がった私は、左手に十字架を、右手に拾い上げた剣を持って、あの恐怖の異形へと歩いた。
神よ。私は貴方には多くを望まない。ただ、身勝手ながら1つだけこの場で願う。
どうか、私に勇気をください。
※
目が覚めた--いや意識を取り戻したのは深淵の中だった。暑さを感じないのに熱く、冷たさを感じないのに寒い。先程までの鈍く鋭い痛みとは乖離している。いや、そもそも感覚と言える物が無かった。
虚無だけの世界。俺はどうやらそこに漂っている。宇宙にでも漂流しているみたいだ。肉体を失い、意識だけが取り残され、何処に行くことも出来ず、消える事も滅ぶ事も死ぬ事も許されない。
これだけは分かる。此処は、ヴァジャハの腹の中だ。俺は奴に魂を抜き取られ、食われた。つまり、奴が食った者達の流刑地。
音は聞くと言うより、伝わってくる。見えるというより、感じる。情報は取りたい様に取得出来る様だ。そしてこの深淵で俺が体感したのは、俺より前に食われた者達の声だった。
『ごめんなさい許してごめんなさい此処から出してくださいごめんなさい許してくださいごめんなさいごめんなさい』
『あああああああああああああああああああああああああああああ!』
『出して! 出して! 出して! 出して! 出して! 出して!』
『許せんあの悪魔め悪辣なる異教に被れた愚かなる怪物めが神に唾を吐く畜生の分際でこの様な真似を許してなるものか貴様はいずれ天に裁かれようぞ主よ我を救いたまえそしてこの不届きな悪魔を誅する機会をください許せんあの悪魔め悪辣なる異教に被れた愚かなる怪物めが神に唾を吐く畜生の分際でこの様な真似を許してなるものか貴様はいずれ天に裁かれようぞ主よ我を救いたまえそしてこの不届きな悪魔を誅する機会をください許せんあの悪魔め悪辣なる』
『うわーん! ママー! 何処ー!? ママー!』
『ヒヒヒ、イーヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒ! アーヒャッヒャッヒャッヒャ!』
『あー……うー……あー……うー……あー……えうー……あー』
怨嗟、狂気、嗚咽、慟哭。幾多の感情が辺りで合唱していた。皆、どれほど長い時間を掛けて、どれだけ同じ事を繰り返して、心が折れあるいは壊れ、狂ったのか。そして、俺もいつかはこうなるのか。
『グレン様』
その中で、唯一落ち着き払った言葉が俺の名前を呼んだ。眼球の時とは違い、視界の情報は360度確認することができて、意識のピントを合わせる様に集中して一方向を見る形になった。
青白い靄が集まった様な光の塊が一つ、俺の方へと近寄って来た。俺も同じ状態なのだろう。この光が、星空の様に無数に点々としている。それ全てが、人の魂か。
『貴方の健闘、此処で拝見しておりましたわ。この様な事になってしまい、お悔やみ申し上げます』
『もしかして、ティエラか』
『はいティエラです。申し訳ありません、我が国に訪れ、そしてわたくし達の無念を晴らそうとなさったばかりに、この様な所へ巻き込んでしまって』
『仕方ないよ。これも選んだ結果だ。お前もそうなった様に』
ティエラもまた、ヴァジャハの凶行を諌めようと、自らの魂を捧げた。が、奴は約束を破った。大人しく食われるだけの結果となった彼女も浮かばれない。
『この先わたくし達は永遠にこのままなのでしょうか』
『そう、だな。ヴァジャハが俺達を解放しようとするか、アイツ自身が倒されない限りずっと漂うしかないのかもしれない』
気が遠くなりそうな時間を想像すると、ぞっとする。ティエラも王女としてこんな状況で意思を強く保っているが、いつかは折れる。俺達のどちらが先に、心が壊れるのか。
「おや? 何の用かな?」
ヴァジャハの声が、暗闇から聞こえた。外で奴が喋っているらしい。意識を集中すると、奴の見える景色が俺にも共有された。
俺は死のヴァジャハの視点で城の内部を見ていた。奴の目の前で、レイシアが立ち塞がる。遂にアイツも立ち直ったか。
「君は最後だ。好きなものはとっておくってよく言うだろ? どうせ大した事も出来ないんだ。大人しく蹲っていたらどう?」
笑いながら言ったヴァジャハの言葉にも、女騎士は頑として動かない。返事も無い。
「あ、そうだ。もっと精神面をずたぼろにしてあげようか? 途中だったからね。じゃあもう一回やろう。悪夢の傷痕。ほぅら」
ヴァジャハはあの過去を投影させるシャボン玉の暗玉を手中に発生させようとする。向かい合っていたレイシアは動いた。
「付与、雷光剣」
雷電を纏った剣が、ヴァジャハの腕を両断する。その切れ味には、ヴァジャハでも耐えきれない様だ。これで死神の両腕は無くなった。
「--なぁっー!? 良くもやりやがったなこの女! もう良い! そこまで反抗するならいらない! 殺す! 一瞬で殺してやる!」
後ろでたたらを踏み、死神は憤りを露わにする。手の無い骨の腕が、剣を携えるレイシアに向けられた。
「手が無かろうと、意思一つで死の呪いは使えるんだよ! 指名絶命!」
回避不可能な死の波涛。防ぐ方法も無く、レイシアに直撃。隣で俺と共に様子を見ていたティエラの霊魂が、彼女の名を叫ぶ。
「--は? ……何で? はぁァァ!?」
キッ、とそれを受けてなお、レイシアは前進した。倒れない。死の力を凌いだ。
それには、ヴァジャハも驚愕を示す。俺の時と同じ光景に。
「待てよ! ゴブリンは分かるが何故お前まで効かないんだ!? さっきまで僕の黒魔術に苦しめられてた筈だろ!?」
レイシアは応えない。ただ、その鋭い剣閃がヴァジャハを狙う。
物静かながら覇気のある勢いにバックステップを取るヴァジャハ。だがレイシアの剣の方が早かった。死神の丸みのある腹に浅い一太刀を入れた。
「うぐっ! クソッ! 分身に力をやり過ぎた! で、でも、此処までダメージが入るって事は、お前も十字架持ちか。だとしても、何でだよ!? お前何で死なない!?」
地面に尻もちをついた奴が、納得がいかずに喚き散らす。まだ気づいていないんだな、コイツ。
「おい! ゴブリン! 何が言いたいんだ!」
あ、どうやら、俺の考えがコイツに伝わるらしい。そして、俺に向かって怒鳴っている。だったら、読めよ。俺の心を。俺が仕込んだ悪戯のことを。
「……悪戯、だと? ……だって破壊したじゃないか! お前が持っていた死の呪いを弾く十字架は! 僕が確実に!」
そうだな。俺が持っていた十字架は壊された。でも、ひとつ前提が違う。お前は肝心の呪いを弾ける方の十字架を壊せてなんかいない。
「は?」
お前に壊されたロザリオは、普通の十字架だ。此処まで教えてやっても、まだ分からないか? 今、本物の十字架が何処にあるのか。
ヴァジャハの視界がレイシアに注視するのが伝わる。彼女が握る十字架に。
「お前ェ、すり替えてやがったなぁあああああああああああ!」
ベェ、と肉体があったら舌を出してやりたかった。
そう。お前を一度突き離し、その隙にレイシアと話したあの時にだ。レイシアには俺の十字架を握らせ、レイシアが持っていた十字架は俺が身に着けた。俺がそれでも死の呪いを受けなかったのは当然、お前が『今の俺には意味が無い』と思い込んで使わなかったからだよ。
これは賭けでもあった。かつてのやり取りで、レイシアが本当に信仰を持っていなければ持てずにこの不意打ちも成立しない。戦線に復帰するかどうかや、たとえ剣を握ってもヴァジャハを倒す手立てが無ければこれは成功しなかった。奇跡というやつかもしれない。
レイシアに変化が訪れた。片手で十字架を握りしめていた彼女が、白銀の光を放ち始める。俺は、それが彼女の内包する光属性による物だと推測した。
そして、肩にまで行き届いた金の髪にまで影響が起きる。髪の色まで純白色に変化したのだ。その瞳は、琥珀色に輝く。
神々しき謎の変貌を遂げたレイシアを見、ヴァジャハが震える様に呟いた。
「この変化は、エルの血統の--」
彼女が手にする雷電の太刀に、純白の光が包み込む。
「多重付与、雷神剣」
まるで、そうする事を知っていたかのように、レイシアは付与の新たな段階を踏破した。彼女が普段から扱う雷属性に加え、光の属性の魔力までも加算された。
その雷火の白刃に、脅威をヴァジャハが感じている。光属性の特性は、退魔の性質。
「私は仇を討つ為に斬るのではない」
「わ、分かったよ! 僕の負けだ! 悪かった! 待ってくれ! そ、そうだ、皆生き返らせようか? 今なら--」
「貴様から未来を守る為に貴様を斬る」
やっちまえ、レイシア。
十字架と聖剣の柄を重ねて握る。目にも止まらぬ剣筋。ヴァジャハの視界が縦にずれた。頭部から、真っ二つに斬られたのだ。そして、先程横に斬られた傷口と重なり、交差する。
「アアァ! 光の力に十字は不味い! 不味いんだよぉおおおおおおおおおおおお!?」
深淵から白い世界が流れ込む。周囲の魂魄達から大きな感嘆が広がる。明滅する閃光に包まれながら、俺の記憶はそこで途絶えた。




