俺の決着、ヴァジャハ
付与という技法を使うのは魔法を学ぶ人間だけではない。魔力が起源である以上、同じく魔力を待つ存在の魔物にも稀に扱う種族がいる。
例えばライノライオットという黄色いサイの魔物だが、角に雷属性の魔力を帯びて突進することで破壊力を増幅させる能力を持っている。
俺はこういう事例を参考に、武器ではなく自分が使う身体の部位--両手に施す事で戦闘に活用することにした。
それは人間にも可能であっても、わざわざ試みない行為だ。何故なら人間は、身体に付与しても頑丈になる訳では無く、原則的に武器を利用して行う人の闘技との相性が悪いからだ。
だから、これは俺に向いている手法と言えるだろう。
「身体付与、紅蓮甲」
交差した拳に紅炎が灯った。灼熱を纏う状態でも、全く熱くない。
「はぁ、付与? ゴブリンにも魔法が扱える奴がいると聞くがねぇ。で、それが何? ただの虚仮脅しじゃあないだろうね」
この状態は何もしていなくても維持だけで魔力を常に消費する。闘技の分も考えるに、早期で終わらせなければならない。
俺の方から死のヴァジャハに接近。骨鎌による遮二無二の刃は、俺の燃えた拳に硬御をさせて遮る。
後退しようとした奴の間合いに、更に踏み込む。鎌の柄を引っぱり、無防備な状態にした。
そして空いた片腕を後ろに引く。ヴァジャハも骨の片腕で身体を庇うように出した。
崩拳の威力にも限界がある。それが通用しない相手では勝ち目が無い。ドラゴンとの闘い以降、そんな考えを持ち始めていた。
最初は崩拳と硬御という、俺にとっては謂わば矛と盾になる二つの闘技の併用ならどうだろうと思いつく。だが、それは矛盾の様に失敗した。硬化した腕で強く殴れば威力が出るという短絡的な試みだったが、物事はそんなに上手くは行かなかった。
闘技の発動は魔力の瞬間的な爆発の様に活性化させて使われる。別の部位での同時発動ならまだしも、同じ部位での共存は出来ない。
ならば、と俺は思い付いた。魔力の体内爆発と平行して魔力の放出--魔法の類いならば可能なのでは無いかと。
それで派生した物が、これだ。
「紅蓮・崩拳!」
火属性とその性質、増幅の恩恵を受けた崩拳は、普通の崩拳を超越した威力を産み出した。
付与と闘技、これを両立させようとした先駆者は既にいただろう。が、武器越しでのコントロールでは至難の業で為しえなかったに違いない。直接素手で魔力を操作したからこそ出来たのだ。
ガードをしていたヴァジャハだが、その細い腕を砕かれ、丸い胴体にまで紅蓮の拳が直撃する。火炎が衝撃と共に発生して周囲に熱が伝播した。
「ご……ぁ--!」
15メートルは先の壁にまで追いやられ、死神の全身は城壁に叩きつけられて埋まる。俺の動きは止まらない。これで終われ、終わってくれと祈った。
ヴァジャハの眼前。今度は紅蓮甲を両手で引く。そしてありったけの魔力を解放する。
「紅蓮・多連崩拳!」
業火の拳が無数に繰り出された。余波で奥の煉瓦石が赤銅に染まり、ヴァジャハごと蜂の巣にする。打ち込む度に、前方に熱が上昇した。俺と奴との間で炎が渦巻く。
その絶大な威力がヴァジャハを外まで吹き飛ばし、城の王座の間にトンネルが開通する。
城外の土まで抉り、ヴァジャハは沈黙する。俺の両腕から湯気が立ち昇る。
奴の身体は残り火が至る所で燻り、丸焼け状態だ。スクロールからファンファーレが打ち鳴らす。倒した事を保証する様にレベルが上がった。
反して、俺には高揚感など全くなかった。むしろ逆だ。酷い酩酊感に襲われ、その場で膝をつく。
「……気持ち、悪ぃ」
多くの魔力を一度に使い果たした事による弊害だった。これが魔力酔いという症状が。岩竜を倒した時に、レイシアがまともに歩けなくなっていたのもうなずける。
だが、どうにか奴を倒せたみたいだ。遠目からもヴァジャハの身体が俺の炎のせいか、タバコの吸い殻の様に崩れていくのが分かる。とんでもないバケモノだった。正攻法では、俺ではまるで敵わなかっただろう。
と、俺が地面と向き合っていると自分の影が映る。その影がどうも長い。
俺の体格以上の影が、一メートル奥まで広がっている。城内の明かりを遮蔽する物はない。
その影から、骨が浮かび上がった。角が生えた鹿の骸骨が地面から現れる。
奴へのダメージは砕けた腕一本分。紅蓮・崩拳の一撃目が決まって以降の状態に戻っていた。
「--キャハハハァッ!」
「んなっ!?」
奇声を発して出現したヴァジャハ。骨の鎌を振りかざし、その凶刃で身動きの取れない俺を狙った。
とっさに硬御で身を包んだ。この闘技は魔力の消費が無い。緊急につき、全身何処を狙われても良い様に発動したのだ。
が、俺の経験から来る予想とは違った結果が訪れた。
俺の竜鱗の鎧を貫き、そして左の肩口の内部にまで鎌の刃が届いたのだ。
赤い鮮血が噴き出す。胸骨が折れ、肉が削げる音を間近に聞いた。自分の身体を燃える様な灼熱の感覚が苛める。
「あ……が……っ……」
呼吸すらままならない。俺の体内で噴火でも起きたみたいだった。何故だ、硬御は間に合った筈だ。なのに、此処まで貫通するなんて。
鎌が引き抜かれた。激しい痛みとともにさらに血が流れ出る。自分の周囲が、温かい血潮の水たまりになっている。
「ハッハァ、殺りぃ!」
勝ち誇ったヴァジャハの声。懐から、床に血液以外の何かが零れた。金属だった。十字架が、割れている。奴の一撃で壊されたのか。
そこで気付いた。どうやらヴァジャハもアンデッド同様、十字架を持っていると能力も弱体化されるのだろう。奴は狙ってやがった。この十字架を壊す事を。そうすれば、俺の硬御を破ることが出来ると知った上で。
「逃げる供物の霊。油断したね。アレは僕の分身さ。魔力や肉体を持って分裂させる身代わりだよ。それを相手している間に、僕は君の影に潜っていたんだ」
ああ油断したね。見通しが甘かった。俺は呼吸も絶え絶えに、自分の至らなさを認める。弱らせた上でやっと闘える様な相手だった。本来なら自分では遠く及ばない格上の敵なのだ。
ダメだ。万策尽きた。魔力は無いし、死の力には太刀打ち出来そうにない。まな板の上の鯉と言った所か。当然、見逃される様な可能性は微塵も無いだろう。
「さてさて、君は今3つの死に直面している」
くるくると、器用に片手でバトンの様に鎌を回しながらヴァジャハは言った。不穏な風切り音が俺の耳を責める。
「1つはその怪我。その出血量じゃ直に死ぬだろうね。ゆっくりと苦しみながら死んでいきたい? もう1つは今、僕が目の前にいることだ。煮るなり焼くなり好きにできる。どんな風に殺されたい? 最後の1つは……まぁ君には関係ないか。どうせ、此処で死ぬんだ。僕を本気で怒らせた以上、ね」
回転を止めた鎌を突きつけ、死神のように余命宣告を言い渡され、俺は苦し紛れに力無く笑ってやった。
「……とっとと殺れよ。俺は、オーランド達の分をぶん殴りたかっただけだ」
「へぇ、殊勝だねぇ潔いねぇ。もっと死にたくない、と喚くもんかと」
「ご期待に沿えず残念だ」
舌を出して最後まで挑発を止めなかった。しかしヴァジャハは勝ち誇り、そんな事では動じない。むしろ冥土の土産のように、話を切り出した。
「君ってさ、もちろんタダのゴブリンじゃないとは思ってたけど、転生者なんでしょ?」
「……なに?」
よりにもよってこんな状況で、その言葉が出るとは思わなかった。俺の表情の変化に、奴は髑髏の顔でせせら笑う。
「やっぱりね。そうかそういうことか。通りで、その十字架を持てるわけだ。神って存在と対話がしてるもんね。……と、なるとー、差し当たり君は僕の後輩になるのかな」
言ってる意味が分からなかった。出血で意識が朦朧としているせいか、それともあまりに唐突な話に頭がついてこれなかったのか。
「君らが新世代だとして、僕は前世代の転生者だったんだよ。つまり元人間さ」
「……お前が、人間?」
もはや、その面影すらない外見に俺は尋ね返す。
「昔色々あってね、人間を辞めたのさ。いいや、超越したといってもいい。その代わりに僕は神様を裏切った。元転生者で反逆者ってところだ」
「なら……元人間のテメーが、どうしてこんなことする。道徳心も、ねぇのか?」
もはや口しか動かない俺は、口答えをするのが精いっぱいだった。感情論が効くだなんて期待していない。
どっちにしろこのままじゃ俺は死ぬだろう。だが、ここまでやったんだ。十分だ。アホ女神も早すぎるとは責めまい。
「無いよ。ところで、何でわざわざ死にゆく君にこんな話をすると思う?」
「……勿体ぶるな。何が言いたい」
「何が、だってぇ? そりゃ決まってるじゃないか」
ニタァ、と皮膚もないのにそういう顔つきを彷彿させる声音でヴァジャハは言った。俺の闘技で隻腕になったコイツは、何故か鎌を地面に置く。
「転生者は皆、あの世という存在を経験している。一度死んでこの世界に来ているからね。だから、ある程度の死に対する恐れが少ないのさ。最悪死んでも、きっと何とかなるって考えてね」
そこまで高説を垂れるところまで来て、やっとこの野郎の意図を理解した。
「……おい、まさか……」
「気付いたぁ? 僕がやろうとしている事、そうだよ」
ヴァジャハは俺の頭部を鷲掴みにする。骨だけながら異常な握力が、俺の頭蓋を締め付ける。
「や、やめ……ろ……!」
「君達はまたあの世に行くだけだから死ぬのは普通の人間以上に平気だと思っている。でも、僕は死の間際だろうと相手をあの世に送らせない事が出来るんだよぉ!」
つまりこの死神は、俺は肉体的な死からは引き剥がしながらも、あの世には送らせないつもりだ。
「転生者であるからこそ、生きることも死ぬことも出来ずに閉じ込められる恐怖は、人一倍大きいだろう。永遠に僕の腹の中にいるなんて事はねぇええええええええええええ!」
俺の魂を食うつもりだ。そしてコイツの中で永劫に閉じ込められる。その事実に、半死半生の俺に抵抗の力が沸き上がった。崩拳が使えない今、引っ掻いたりもがいたりするのが関の山だった。
「良いねぇ……もっと恐怖を味わえ……少しでも僕に旨みを感じさせろ。じゃあ、行くよ--」
止めろ。そう叫ぶより早く、俺は全身から意識が抜ける感覚を味わった。そして、自分という意識が啜られ、咀嚼され、呑み込まれるというおぞましい経験をすることになった。
ちゅるん、と最後に音を立て、俺の精神はヴァジャハの腹の中へと取り込まれる。
「これで僕を邪魔する者は、消えたァ」




