俺の突入、アルデバラン
「そこのゴブリン! 止まれェ!」
警戒に当たっていた兵士が槍を携え、此処を通すかと怒鳴る。
無視した俺はその矛の鋭さに構わずハウゼンの元に突っ切った。警告無視による容赦ない一撃を腹に受けるも、部分硬御で弾く。
突破されて驚愕する兵士を振り切ると、今度は聖騎士長を守ろうと二人が身の丈もある盾を構えて阻んだ。
「! グレンくん」
「どうなってんだよハウゼン」
その盾の間から顔を出すと、ハウゼンは気付いた様子で騎士達を下げさせる。銀眼鏡の奥の瞳には、普段の飄々さとは違った真剣味と苦悩が映る。
「どうなってるも何も見ての通りですよ。一足先にアルデバランに戻ってみれば、これが」
ハウゼンの視線で見上げたドームの様に覆われた黒い球体。上空百メートルまで行き渡っていそうだ。
中の様子は全く分からない。他の兵士が数名がかりで、丸太で出来た破城槌をその黒い壁に撃ち込む。除夜の鐘でも打つみたいに。
が、びくともせず。魔法や武器での攻撃でも傷ひとつ付いていないようだ。
「初めて観測する現象です。幸い、反対側にある研究所まではこの壁に閉じ込められずにいる様で、今シレーヌさんを呼んでいます」
「何か、心当たりとか、無いのか」
「『これ』そのものに関する事は残念ながら。黒魔術の類と我々は見ていますが」
珍しく焦燥を見せる彼を見て、事態の深刻さが俺にも伝わって来た。それは当然の事だ。この中には多くの住民に加えレイシアやオーランドだけでなく、王やティエラ達も閉じ込められている筈だ。
「崩拳!」
俺も手加減なしの闘技を一発、巨大な黒の球体に撃ち込んだ。手ごたえは悪く、振動も無い。まるで衝撃そのものを吸い込まれているようだった。
「入れないのかよ!」
「いいえ。入れない訳ではありません」
「何だって?」
「殴ったり攻撃する意思を持たずにその壁に触れてみてください。すぐに分かります」
俺は意図が分からず、言われるがままに手を伸ばした。壁に手を張り付けるような感覚で。
驚く事に、壁は俺の手をすり抜けた。闇の中に、俺の腕が入っていく。それから慌てて引っ込めた。
「どうなってんだこれ。けど、入れるなら何で……」
「突入したい所ですが、そうもいきません。先遣隊が先に侵入してから中の様子を報告しに戻ってこないのです」
俺も言ってから気付いた。うかつに全員で突入してからでは、取り返しのつかない状況で作戦を練らざるを得ない危険性がある。外部で、なにか策を講じる存在が必要になってくるのだ。
「五分の探索の後、引き返すよう命じてから既に30分が経とうとしています。入ってすぐに全滅したのか、戻れない状況なのか」
「その結果から察するにですがー、こちらからは入る事が出来ても向こうからは出られないと考えた方がー妥当です」
走り寄って来た研究長シレーヌが渦巻き眼鏡を動かしながら、推察する。こんな状況でも口調はやや間延びだ。
「それを考えると、やっぱりこの黒い壁は中にいる奴等を出さない様にする目的がありそうだな」
「そしてあわよくば、外部からでも引き込める様になっている。まるで誘蛾灯ですね。シレーヌ研究士、この現象をどう見ますか?」
「はいー。やはり自然現象といった物ではなく、人為的に起こされた結界の一種であることは明白ですー。となると、これは術者が目的を達成あるいは解除せざるを得なくなるまでー消えない可能性が濃厚かと。全く攻撃を寄せ付けず、この規模を長時間に渡って維持できるよほどの力量を持った魔導士か」
渦を巻いたレンズに黒い球体が映る。
「人以上の何かでしょう」
その後、騎士達は内部の人間に呼び掛けたり無事が確認された者達の点呼確認など、気休めに近い事で時間が過ぎた。
俺も打開策を試みる。例えば地上と上空が駄目なら地下ならどうだ?
「グレン式潜行術! 此所掘れゴブゴブ!」
俺の十本の指を以てすれば、どんな土も豆腐のように柔らかく崩れる。物凄い早さで沢山の土砂を掻き分け、トンネルを掘った。
「おおー! 珍しいゴブリンの穴堀りシーンですー! レポート! 何処かにレポート出来る紙は何処に!?」
「落ち着きなさい」
目を輝かせて穴を掘る俺を見るシレーヌ。Uの字のトンネルを堀り、あわよくば漆黒の結界内と繋がる脱出路を作ろうとするが、
「地下まで、駄目か」
やはり甘くない。球体は地下にまで続いて隔離しているようで、掘り進めた進路にも黒い壁が顔を出した。
ハウゼンは懐から懐中時計を取り出して時刻を見た。現状を打破する術が何も思いついていないのが分かる。
「他支部の騎士団からの応援を飛ばしてはいます。他にも対抗打になりそうな光属性を持った魔法を使える者を集めるようギルド各所にも。緊急クエストとしてね。しかしどちらも、恐らく半日近くはかかるかと」
「文字通り日が暮れちまうな。さて」
この場で俺に出来る事はあるだろうか? いいや、無いな。騎士達ですら手をこまねいているこの状況で、俺はこの正体不明の壁を無くす事には何の役にも立てない。
ゴリーヌの予言にあった分岐点とは、この事なのだろう。俺がアルデバランに戻るか、このまま知らん顔を決め込むか。つまりそういう事か。全く人が悪いぜゴリーヌさん。そんなの愚問だ。
俺は既にアホ女神との対話で『何もしない』という判断にDNAレベルで拒否反応が出ているらしい。
「なぁハウゼン。クエストの急募だが条件と報酬は?」
「はい。先ほど言った通り光属性の魔法を扱える者が望ましいですが、内部での戦力も必要となってくるので自信のある者ならば誰でも構いません。報酬は国を救った者に相応しい対価を用意する事を約束します」
「なるほど、依頼を受けて実行するのは別に今すぐでも問題無しって訳だな」
「念の為お聞きしますよグレンくん。それはどういう意味ですか?」
「決まってんじゃん」
腕を鳴らし、俺は前に進み出た。
「ちょっくら中の様子見て来る。入れたらすぐに此処に戻る、確実な出入りの確認だ。それでもし俺が戻って来なかったら、推測通りアルデバランは閉じ込められていると思ってくれ。出られなかったら、中を手伝って来るよ」
「ダメですよグレンさん! 中で何が起きているのか、分からないんですよ!? 一人じゃ危険すぎます!」
シレーヌが珍しく早口で横槍を入れる。心遣い痛み入るねぇ。
「心配してくれるのはありがたいが、俺ははぐれ者だ。どっかで野垂れ死ぬのも珍しくない程度のゴブリンだよ。騎士みたいに規律に縛られる義理もないし、自由にやらせてもらうさ。シレーヌが心配するべきなのは、この国がどうなるかって事じゃないか」
「死んじゃったらまだ取るべきデータも取れなくなっちゃいますよ!? グレンさんはゴブリンの中でも高度な知能を持った貴重な検体なんですから!」
「そっちかよ!」
このマッド研究者はすぐこれだ! 良い奴だなー、って思って損した。
「私としても、おすすめは出来ませんねぇ。犬死にの可能性も十分あり得る物事に、単身で向かわせる様な真似は看過しがたい」
「おいおいハウゼンまでお優しい事言わないでくれよ。誰かを使い潰すくらいじゃないと、本当に取り返しのつかなくなるぞ。貴重な部下の命より俺の捨て身の方が安いんじゃあないか?」
首を振って聖騎士は言った。
「神は人の命を比較したりしません。私もそれに仰せて同志達に与えられた役割を振り分けているに過ぎないのです。差別と区別は違います。貴方を使い潰す為の肯定はしかねます」
「だが、これが俺の生き方だ。アンタが俺にあの予言を聞かせた。今がその時なんだよ。俺に選ばせてくれよ、ハウゼン」
少しの間があった。不穏な風が黒い壁の間際で吹きずさむ。
「……理屈として君を引き留める要素はいくらでもあります。しかし、君の行動を無理矢理諌めても仕方がありません」
「聖騎士長!」
「確かに優先事項はこの黒い結界を撤去することです。ご自由にしてください。そこまで貴方が依頼しろというのなら、私も承諾しようではありませんか」
覚悟の上で、ハウゼンは突入の許可を下した。俺自らの捨て駒の志願に、あくまで侵入と撤退の確認をさせる依頼として。
シレーヌも、もう異論を挟まなかった。俺もハウゼンも、もう説得で止められる段階は過ぎてると分かっているのだ。
これは博打だった。俺はあくまで利益を目的にこの事態から逃げない事を選んだ。失敗して死んだとしても、その時はその時だ。どうせ、今生きてる俺はこの先ロクでも無いことだけが間違いなく待っている。
ならば、少し生き急いででも善行を積むべきだ。俺はまたあの世で、天国に行けずに不当な生まれ変わりあるいは地獄を経験したくない。
「グレンさん、お気をつけて」
「おう」
「君に神のご加護があらんことを」
十字架に祈るハウゼン。
「俺が解決なんかしちゃった日には、報酬弾んでくれよ」
黒い壁に俺はいちにのさんで飛び込み、真っ暗な闇の中に飲み込まれた。
深淵の中、俺の浅く息を付く呼吸音だけが耳に残る。一寸先は何も見えない。方向感覚が乱れる。
確かな足取りで前だと思える先を俺は進んだ。何も無いところを歩く時間は、壁の中の街への距離は殆ど無い筈なのにとても長い。
それから少し進み続けると、ハッキリとした視界が確保された。ようやく街の城壁が見えた。視野が少し明るくなる。
振り返ると、同じ黒い壁が背後にあった。俺はこれをすり抜けてきたらしい。そして、戻れるかどうか確かめるべく壁に触れてみるが、思っていた通り今度は阻まれた。ただの壁になっていた。
やっぱり戻れないか。再びこの黒いドームの内部に囲われたアルデバランを、俺は見る。
街や城に、大きな変化はない。ただ昼の筈なのに、夜と同じ暗がりが広がっていた。月も星も見当たらない虚空の下、ひんやりとした冬の様な空気の冷たさが肌を刺す。
街から松明の光が見える事からして、結界に閉じ込められても無事だった人がいるという事に気付き俺は城下街へ走る。
俺がこのドームの中で初めて目にした動く物は、人の形をしていた。人の服を着て、人と同じように歩いていた。
最初は住民だと思って声を掛けようとして、すぐに取りやめる。
それは人間ではなかった。いや、元『人間』だった。
「……街中にゾンビか」
アンデッド。魔物とは別の扱いがされる生物とは違った存在。
一目で分かったのは人の形をしながら腐敗した状態だったからだ。
死人が歩いている。肉が溶け、骨が見えてる具合からして昨日今日の死体じゃないだろう。
問題はそれが一体や二体どころではない。俺が出くわしただけでも、その数は十数体にも及ぶ。街中にはあとどれだけの動く死体が蔓延しているのか想像したくもない。バイオハザードだ。
だが大して驚く事も無かった。中の様子に様々な地獄絵図を予想していたので、何が来ようと動揺しないよう身構えていたからだ。
おぼつかない足取りでゆったりとゾンビはやってくる。血を求めてか、生者を狙ってか。俺を食っても美味くないだろうに。
そんな状況ながら俺は考える。ハウゼン達に言い渡された侵入即撤退の結果は黒い壁の向こう側でも充分伝えられただろう。なら、これからの動きは俺の自由だ。
目標は城だ。あそこ以上に人がいる可能性の高い場所は無い。何よりそちらへ避難している可能性も十分あり得る。
アレイクはまだ戻ってきていないようだが、レイシアやオーランド、ティエラ達は無事なのだろうか? そこだけが気がかりだった。
沸いて出たアンデッド達の怨嗟の合唱を聞きながら、死屍累々と変貌した城下町を走る。




