俺の眼下、暗黒の空
※視点が変わります
新緑の草原と晴れ渡る空。
革のプールバック状の荷物を肩に担ぎ、俺はアルデバラン王国の近くまで辿り着いた。戻って来た。
そこまでの道で時々出没する魔物を普段通り倒していき、レベル上げをそつなくこなしていく。
グレン:LV11(+9)
職業:戦士 属性:土 HP:73/75 MP:23/30
武器 鋼の長剣 防具 蛇竜鱗の鎧 装飾 聖ロザリオ
体力:75 腕力:49 頑丈:44 敏捷:68 知力:32
攻撃力:55 防御力:66
羊皮紙で出来たスクロールで自分の状態を読みながら歩く。気分は二宮金次郎。まずまずの成長だな。
闘技は相も変わらず増える気配が無い。だが使い方を考えた結果、相当な破壊力を秘めた『崩拳』とそれの高速速射型の『多連崩拳』、鉄のように瞬間的に硬化する『硬御』と限られた部分だけにする事で発動中も動かす事が出来るようになった『部分硬御』とバリエーションは増えた。
そして、魔力を通す事で肉体及び武器に魔法に近い性質を帯びさせる事を可能にした『付与』。これにも魔物との闘いの中で試していく内に新たな可能性が出てきていた。
だが、もっと強くならないとあの勇者カイルや更に強い強敵に狙われた時に自分の身に危険が及ぶ。それを考えると、研究所でゴブリンについての研究をしているあのマッド研究者シレーヌに協力を仰ぎに来る必要もあった。
「という建前があっても、あーあまた帰って来ちゃったって思っちまうな。オーランドに何言われるのやら」
スクロールを巻き戻しながら、高い丘を登り城と街が見る事が出来る景色を拝む。こうしてあの立派な城を見られるのもこれで最後かもしれない。
だが、それ以前に俺は城を見つける事が出来なかった。あるべき場所に、城が見えない。
丘から眼下を見降ろすと付近には騎士の姿を見つける。
ハウゼンだった。馬に乗りながら部下達に指示を出し、事態に動いている。
「何だ、こりゃ」
荷物が背中からずり落ちた。呆然と呟く俺の言葉の後、ひとしきり冷えた風が通り過ぎる。
目にしたのは、城が見えなくなる程の黒の嵐。いや、光を完全に遮断するような漆黒の円が、アルデバランの城と街を覆っている景色だった。
昼間の明るさとは一線を付す黒の境界で、ハウゼン達は立ち往生しているのが一目で分かる。入れないのか?
その内部にいる者達の安否を想像しながら、俺は丘を駆け降りる。
グレンがアルデバランに辿り着く二時間前--
※ ペンドラゴン視点
隊長格の一人であるこの私と、部下数名が鬱蒼とした林の中にある散って行った同胞達の眠る墓所に集まっていた。
陽気な日差しは木陰を遮り、墓地という雰囲気もあってか空気は冷たい。
「隊長。本当によろしいのでしょうか」
一人が、私へ意見を投げかけた。我らは今、魔術師の準備を待っている。その沈黙に耐えかねて口を開いたのだろう。
「やはりこの様なクーデター、王……いえ、主の名の元にいる我々には許されざる冒涜の行為ではありませんか」
「……セルゲイ。貴様、今更此処まで来て引き返すわけにはいかない事を承知した上でそれを言うか?」
部下の壮年の騎士セルゲイも、我等が神エルマレフの信仰と王への忠誠を誓って数十年にもなる男だ。であるのに私と同じくありながら、最後の最後で尻込みをするとは何とも度し難い。
「良いか、皆も聞け。この国の神への愛はとうに腐敗している。もはや偽りの愛だ。国への害にしかならない膿を、このまま放置していけばアルデバランは終わる」
それは、間接的ながらの王への冒涜。だがそれも王の為だ。誰かが諫言せねば。今、その役割を持つ者も腐っている以上、我々が。
「王女は矯正出来ぬ。私がいくら進言しようとも、聞き入れてはもらえなかった。もう、待つ猶予は過ぎている。王には痛みを以てしても、学んで頂かなければならない」
私は一度、この城の城下町に潜んでいた賊を抑えた時、利用する手を思いついた。
こやつらを使って、貴族に扮した王女という歪んだ信仰の元凶を誘拐させて謀殺を企てた。全てはティエラ様が悪いのだ。あんな醜い怪物すらも、亜人として我等と同じ信仰者に変えるという誤った解釈をするのが悪い。
それは人の尊厳を蔑ろにする神への冒涜だと私は痛感していた。だからあの時、忌々しいゴブリンが余計な真似をしなければ、国の信仰をあるべき姿に戻せたというのに。
王女を誘拐するも盗賊達はよりにもよって忌まわしきゴブリンに奪い返された。そして、王女はゴブリンこそが人らしき心を持つとまで宣う始末だ。生き永らえていた盗賊達は、私の任務の失敗を契機に命で責任を取ってもらった。
「これは最後の手段だ。時には毒を用いなければ、救う事が出来ない。それを承知しているからこそ、お前達は此処にいるのではなかったのか? 違うか?」
反論は無かった。皆も苦渋の選択であるのを理解しているからこそ、私についてきた。
「ペンドラゴン殿、準備が出来ましたぞい」
老獪な魔導士のしわがれた声が、私を呼ぶ。赴いた先には、墓の群体のある土地とは不釣り合いな白線の円陣と、急ごしらえで設置された祭壇だった。
その手前にあるぐつぐつと緑の液体が茹だった壺の前に私は立つ。
「なら、早速始めよう」
黒魔術に長ける老いた呪術者を雇い、私は悪魔を呼び出す事に踏み切っていた。
神に仕える者として背徳の行為と断言できるだろう。が、それもやむない。手を汚してでも、今の信仰を変えねばならない。その覚悟を、私はして此処にいるのだから。
言語の理解できない念仏をフードを被った老人は唱える。火のかけられた壺からもうもうと白煙が上がり、その煙がやがって黒ずんでいく。
配下達は固唾を呑み、恐怖に竦むのが伝わってくる。当然の話だ。彼等も聖職に関わる者達。今こうして行われている行為へ、躊躇いと背徳感が生じているのだ。
「ヒヒ、どうなされる。今ならまだ間に合いますが」
「構わぬ。それより、国を変える儀式だ、最上の悪魔を呼べ」
「かしこまったぞ、クケケケケ」
騎士達より前に胡坐で座した呪術師が、枯れ木のような両腕を頭上に仰ぐ。地面に描かれた白線が、赤く紅く光を伴った。
そして突如として陶器の壺が破裂した。液体が地面に溢れ、蒸発して、立ち昇った黒煙が真上に集う。
そして小さな雷鳴と共に、呼び出されし異形が現出した。
「僕を呼んだのは、君達かな」
大きな球体となった黒煙から、顔を出したのは動物の骨だった。鹿に似た生物の髑髏には肉も骨も無い。眼球も失った眼窩の奥では、赤い光が煌々と瞬いている。
やがて黒煙を全身で吸い込むように収縮して、全貌が明らかとなる。黒い塗料で塗った風船のような体躯に擦り切れたローブが張り付いている。そこに骨に手袋をはめた長い両手と鶏の両足が伸びている。
ふわっと、重みがない様に地面に降り立った異形は、くるりと髑髏の頭部で我等を一望する。
「まず名乗ろうか。僕はヴァジャハ。死のヴァジャハ」
「ヒヒハ、成功じゃ! これほど上手くいくのは初めてじゃ! 一番の大物を呼び出せまし--」
「五月蝿い」
鹿の髑髏の悪魔--ヴァジャハは、手袋をした指で小躍りする老人を指さした。
呼び出した本人である呪術士は、凍り付いたようにその場に倒れた。目を見開き、歓喜の表情のまま事切れている。
「指名絶命。どうせ老い先短いジジイなんか旨くない。死んだところで構わないよね」
騎士達に驚愕と戦慄が走った。話が違う。悪魔は呼び出されても魔法の陣にいる限りこちらに手を出さない筈。ましてや契約者に当たるこの老人を、あたかも羽虫を黙らせるような感覚で身勝手に殺そうとするのは、悪魔としても常軌を逸脱している。
私は、剣を抜こうとする部下を手で制した。代わりに前に出る。契約は直接この手で行う。
「汝と取引をしたいのだが、可能だろうか?」
「へぇ、君は騎士だね? 良いのかい。神の信仰者が、僕なんかと契約しようとして」
「為さねばならぬ、事がある」
「話を聞こうか」
ヴァジャハは宙に浮き、尖った顎に手をついた。私は意を決してこの国の現状を話す。
「……だから、私はこの国に根差す腐敗を駆除したい。その為に、幾多の者達の命を奪う力を貸していただけないだろうか」
「つまりかいつまむと、毒を以て毒を制する為に僕の手を借りたいというわけか。いいよ、ただ国相手となると、それなりに対価が必要だなぁ」
当然、その要求が来ることも承知の上だ。だから私は髑髏の悪魔に持ち掛ける。
「この国の王女の命を、汝に捧げよう。王族の連なる血、聖女とも謳われた純潔の乙女、当然ながらに美しい生娘だ」
「ふーん」
額を掻いて、ヴァジャハは尋ねる。
「それだけ?」
「それだけ、とは」
「その通りの意味だよ。その女一人の生贄だけじゃ足りる訳が無いだろ。他にいないの?」
私は頭に痺れたような錯覚を覚えた。王女ティエラは、曲がりなりにも王族にしてこの国の至宝といっても過言ではない価値がある。それでも満足しないというのであれば、こちらが払える対価が思いつかない。
「い、いるにはいるが、汝は一体、どれほどの対価をお求めになるというのか?」
「3000人」
私は通告に瞠目する。我等の王国は比較的小国でもあり、人口の五分の一にも達する人の命を、この狂暴な悪魔が欲しているという事に動揺が隠せない。
「ヴァジャハ殿……それは、流石に難しい相談だ。我々の懐にも限界がある」
「おいおいおい。ちょっと待ってよ君……。僕を呼び出しただけでも、対価がいるんだよ? これを省いた対価の人数を挙げただけなのに、もう渋られてちゃ話にもならない」
困った様子で悪魔は首を左右に振った。そのたびに首がパキパキと鳴っている。
「んじゃ、もういいかさくっと1000人くらい食ってから帰ろ--」
「雷天撃波!」
部下が先制の魔法をヴァジャハ目掛けて放つ。雷撃が髑髏の悪魔に炸裂し爆発する。
「何をしている馬鹿者!」
「手遅れです! 隊長! 交渉は! 決裂--」
「指命絶命」
土煙から伸びた指が、魔法を放った部下に突きつける。その途端、糸が切れたように部下が崩れた。
「ロッサ! おのれ!」
残った部下達が剣を構える。だが、下級とは言え魔法の直撃を受けたヴァジャハが健在。どうすれば、この悪魔を討てるのか。
「うーん。君達の魂は、ちょっとマズそうだから、いらない」
首を傾げながら我等を見降ろすその動きに、獲物を狙うフクロウを彷彿させられる。隙を狙って特攻を掛けた騎士達の剣は、届くも全く手ごたえが無い。向こうも避ける必要も無い様だ。
「そうだな、まずは籠をつくらなきゃ。逃げられると困るし」
それどころか、よそ見を始めるヴァジャハ。鹿の骨で構成された頭部がカパッと蓋を開くように上に向いた。そして黒煙が上空目掛けて噴射する。
「卵の夜」
おびただしく吐き出された煙は、アルデバランの周囲を覆う暗雲として広がった。昼の陽気が、夜の世界に塗り替わった。
「な、何だこれは!」
「昼間が、夜に!?」
「結界か!? こんな事が、出来る悪魔だなんて……!」
ざわめく我等に、ヴァジャハは奥底で唸るような笑い声を出した。
「お次はコレ。相手してもらいなさい」
今度もまた、髑髏が口を開いて何かを吐き出した。白い霞がかった発光体。それがいくつも、無尽蔵に。
私はその正体に気付いた。魂だ。人の霊魂をコイツは食い、そして吐き出せるのだろう。
「霊魂屍傀儡」
霊魂達の種が蒔かれ、辺りの地面に吸い込まれていく。此処が何処なのか、そこで私は思い出す。
「まさか……!」
「さあ踊れ下僕どもよ。久方ぶりの肉に縛られる気持ちを噛みしめろ。お前達を忘れ、のうのうと生きる愚者どもに歯を立て爪を立てて、絶え間ない飢餓を埋めて来い。そして同じ死を味あわせてやれ」
この国での葬儀の方法は土葬だ。そして、この地には騎士だけでなく多くの人も同じ方法で土の下に眠っている。
地下から物音がした。木の棺桶を引っ掻き、叩き、そして破る音。やがて、柔らかい土から無数の手足が現れる。
「あー、あうー」
「おーおぉぉぉぉぉおおお!」
「ぐじゅ、ぐじゅぅぅ」
「……ひ、人が」
「生き返った……!」
死人達が目覚めて顔を出す光景に、我らは騎士である事すら忘れ、身動きひとつ取れなくなっていた。
悪魔は高笑いしながら、こちらを見る事無く黒に覆われた空を飛び立った。残された死肉の群れは、こちらの数を越えて押し潰す。
ペンドラゴンは動きだした死体に生きたまま食われるという経験を経て、人生を終える。




