俺は英雄、ヘレン その4
※視点が変わry
ヘレン視点
俺の名前はヘレン。いずれは英雄となる男だ。
俺の栄光を約束された道中では、小さな積み重ねが必要となる時期が来ていた。
金銭面での枯渇である。
先日、麗しきエルフの傷心を癒すべくしてなけなしの金を振る舞って以降、旅路を続ける為の資金が失せてしまったのだ。
このまま弟の金を頼り続ける訳にも行かず、この荒くれ者共の集う街、アバレスタで依頼をこなす毎日に俺は明け暮れている。
魔物と闘い、レベルを上げ、旅立つ準備を進める充実した日々だ。だがそれだけに満足し、現状に甘んじてはならない。俺の目的はこんな所で終わる様な物では無いのだ。
「ふはは! 今日も働いた働いた!」
「兄者よ、民家の屋根の雨漏りの修理なぞ、冒険者のする事では無いのではないか?」
斡旋所内の席に着いて早々、報酬の入った小さな袋を見た弟が小言を挟んでやって来た。今回は俺一人での受託だ。
「仕方ないではないか。今日この街に建築の業者が不在だったので、時間に猶予の無い募集で相場より高い報酬だったのだ。加えて故郷で培った大工の技術を持っていた分、依頼の中では今日一番のお誂え向きだっただろう」
「しかし、未来の英雄が小金に目をくらませるというのは……」
「下積みも無く英雄になろうというのも甘い話。困難や憂き目に遭ってこそ、揺るぎない覇道に近付くのだ」
「……エルフの小娘に集られ、文無しにならねばやらなかった癖に」
「それは……言わぬ約束の筈だ」
痛い所を突いてくる。決して後悔などしていないというのに。
だがそれも、きっと弟に借金して食いつないでいるという点では俺に謂れはあるだろう。だから反論出来ぬ。
「とにかく、もう少しの辛抱だ。旅に出られるだけの資金繰りが終わればこの街を発とう」
そうなればこの酒の臭いが充満する建物ともおさらば出来る。毎日毎日掲示板の張り紙にある募集要項と睨みあう事も無くなる。
俺の目的は予言通り、冒険の先々で人々を助け、偉大な事を成し遂げて英雄として世界に名を馳せる事だ。こんな場所でいつまでも足踏みなどしていられない。
「その話だが兄者、次の目的地はアルデバランで良いのか」
「うむ。あの城では以前からきな臭い噂がいくつか耳にしている。例の憎きゴブリンがあちらでも出没しているとか、奇妙な魔導士が呼び集められているという話もちらほらとな」
俺の勘が囁くのだ。一見平穏なこの大陸だが、何やら水面下で不穏な事が起きようとしていると。特に、あのゴブリンは何かとてつもない事をしでかしそうな予感が此処最近、俺をざわつかせる。
「ゴブリンと言えばだが」
弟が、少し躊躇する仕草を見せた後、何やら意を決した様子で酒場内を指さす。
「先日からこの酒場に来ているぞ。ほら、そこに」
「は?」
誘導された視線の先、言われて気付いたのだが、離れた所でフライドチキンをほおばっているゴブリンの姿を俺は捉えた。
「ぬおおおおおおおおお! 見つけたぁああああああああああああああああ!」
怒鳴りながら席を立って飛び出す俺を尻目に、弟が溜息をついていた。こやつ何故それを早く言わんのだ!
ずかずかと迫っているにも関わらず、ゴブリンは気にした様子も無く食事を続けていた。酒場の喧騒が普段とは異なり、何だ何だ? 喧嘩か? というざわめきに変わる。いや、これも此処では日常茶飯事の筈だ。
「貴様ァよくもぬけぬけと俺の前に姿を現したな!」
ゴブリンのテーブルを叩いた所で、感情の矛先が自分である事に気付いた様子で、緑色の魔物が目をぱちくりしてようやくこっちを向く。
「此処で会ったが百年目! のうのうとこんな人の集まる場所に潜むとは! このヘレンが直々に成敗してくれようぞ!」
「どちら様?」
周囲の空気が凍結する。いや、周りは元々固唾の呑んでこの光景を静観し、俺の思考が停滞しただけだ。
「き、ききき貴様! この俺との激しい攻防を忘れたというのか!? 俺が何者で、どうして狙っているのかも覚えが無いとォ!?」
「いや誰だよテメーは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ。俺はお前みたいなアホっぽいやつ、知らん」
アホ!? コイツ、俺をアホとぬかしたのか! ゴブリンの分際で人の知能指数をあたかも自分よりも低いとでも言うのか!
「いいや! 忘れたとは言わせまい! 貴様がコルト村付近に流れる川の下流で全裸になって潜んでいただろう! 森の中でも突然衣服を脱ぎだしてたではないか!」
「おいやめろ。それはやめろ」
「出逢った時から散々追い回したのは、紛れも無くこの俺だ! 決着をつけようではないか!」
ようやくゴブリンは揚げ鶏の骨を皿に置き、合点が行った様子で拳で手をポンと叩く。しかしこやつ、此処まで流暢に人の言葉を話すとは。随分小賢しい魔物だ。
「あー、あの時のね。結構前の事だからすっかり忘れてたわ」
くぬう、とっくにどうでも良い出来事になっていたとばかりにぬかしおって! こちとらずっと貴様に引導を渡すべくあの村から此処まで来たのだぞ!
「いやぁ、悪かったなぁあの時は。それで恨んでいるって事だろ。身ぐるみ剥いじゃったからな。でも、言うなればあれは自己防衛でしょ。俺だって生きる為には仕方なかったんだ」
「何を言っておるのだ? 身ぐるみ? 確かに、俺は道端にいた御老人の奸計に見事に嵌められて一度装備や持ち物を奪われたが……」
「あ、やべ」
ヘラヘラと何やら謝罪していたゴブリンだったが、余計な事を喋ったとばかりに口を抑える。どういう事だ。何故、こんなゴブリンが存じている?
そういえば、あの卑劣な御老人も不自然だったな。昼の陽気で暑いとも思える様な日でも、雪山を登る為の防寒の恰好をしていた。肌を露出させまいとしていた様にも思えたが。
まさか……変装? 俺はあの時の御老人とこのゴブリンを重ねる。そういえば、背丈も一緒だ。こやつが腰を折れば、ご老体の大きさになれるだろう。
「貴様が化けていたのか! そうなのであろう!?」
「ははは。何の事やら」
「おのれ白々しい! 返せ! 俺達から奪った物を返さぬか!」
「そんなの売っちまったよ。占めてディル銀貨4枚(400ディル)くらいだったかな」
「おのれぇえええええよくもぉおおおおお!」
ああ、殴ってやりたい。その憎たらしい醜き顔を、さらに酷いものにしてやりたい。
「あー、分かった分かった。謝るよ。ごめんなさい。そして弁償します」
両手を上げて降参する様な仕草の後、ゴブリンは懐から硬貨をテーブルに置いた。白みがかった銀の光沢が俺の目をつく。
「これは、どういう……」
「金持ち喧嘩せず、だ」
ディル白金貨だ。俺はそれを一目で見抜いた。一枚で1000ディル相当に値する、相場で一番高価な硬貨だ。しかも、なんとそれが二枚も。
「お前等の荷を5回売った分くらいになると思うが、これで満足出来ないかな?」
「この成金ゴブリンめがぁ! つまりは、その、俺を買収しようというのだな!?」
「人聞き悪いこというなよ。これは俺からの謝罪を金銭で表したもんだ。受け取らないっていうのなら、それでもかまわないぜ」
余裕を伺わせた嫌らしい笑顔を向けるゴブリン。俺は受け取るのを躊躇う。何処で盗んだ奪ったか分からない金だ。これ程の大金、どれだけ手を汚したのだろうか。
「では半分は俺がいただこう」
「おい! 何を勝手に貰っているのだ!」
「荷物の半分は俺の物だった。兄者が全部の取り分である方がおかしい」
そう横から手を伸ばしたのは、他でも無い俺の弟だった。
「あー、おたくはあの時の片割れね。どうぞどうぞ」
「時にゴブリン殿。これに加えて一つ了承を頂きたい。あの事は周囲には内密にして貰えるか?」
「へ? 何の話だ? 追い剥ぎしたのは知られたくないって事?」
「……気付いてないのか。なら、良い。もし惚けているのならしっかり伝えたぞ。貴殿には何の利益が無いとは思うが念の為な」
俺を差し置き、弟とゴブリンが小声で話し合っている。不用意に近付いては危険ではないか。
「ええい! こんな事で許されると思うなゴブリン! 貴様に荷を奪われた事は免罪するとしても、だ。貴様とは因縁に片をつけねばならぬ!」
「で、お前も白金貨を受け取りながら言うのかよ」
「ぬぐ! 黙れぇ、表に出よ! そして勝負だ!」
そう言って剣を抜刀した所で、周りのざわつきが沸き立つ。
敵意を向けられたゴブリンが何かを言うより早く。見兼ねて制止しようとしたギルドの所員よりも早く。別の立場の者から声が掛かる。
「おやおやおや、何だかとても物騒ですねぇ」
知らぬ間にこの酒場に現れ、俺達の間に入ったのは見慣れぬ鎧を纏った男だった。冒険者にしては鎧の細工が小綺麗で、金の刺繍の入った白いマント。銀の丸眼鏡の下には淡麗な笑顔が浮かんでいる。
「げっ、ハウゼン」
「ご無沙汰なのに酷いですよグレン君。騒がしいと思って来てみれば、また面白そうな事になっているじゃないですか」
ゴブリンの口ぶりとその嫌そうな表情から察するに、こやつの知人の様だ。比べると容姿の格差が激しい組み合わせだ。
「何奴だ? 取り込み中に邪魔をするとは」
「ああ、名乗らずに失礼」
わずかに下がり、眼鏡の美青年は手を腹部辺りに当てて小さくお辞儀をする。
「アルデバラン王国、聖騎士長のハウゼンと申します。此処は一応アルデバラン領の街ですので、僭越ながらも騎士の者も定期的に巡回している次第で」
む、この男は騎士か! こんな荒くれ者の集う場所に一人で白昼堂々とやって来るとは中々に肝が据わっている奴だ。
「コンビニに立ち寄るお巡りでもあるまいし……」
グレンと呼ばれていたゴブリンが、テーブルに肘をつき顎を掌につきぼやく。この魔物にも名前があったのだな。
「コンビニ? それはさておき、お二人とも一体どうかなされたんですか?」
「どうかも何も、俺はこやつを成敗するべくしてこの街に来た。街中に潜む狡猾で危険な魔物を騎士である貴殿も野放しに出来まい」
「いえ、彼は亜人です。立派な信仰を持ち、人権を獲得している。街に立ち入る許可も出ているんですよ」
「だが、ゴブリンなのだぞ。どうやって安全を保障するのだ」
騎士とは言え信用と油断は禁物だ。ゴブリンとこの男がグルの可能性もある。仮に事実であるとしても、それはあくまで倫理の話であって、正しさだけで全てがまかり通ってはならない。過ぎてからでは遅すぎる。
見極めねば。果たしてこやつが本当に凶悪でないゴブリンであるのか。
「困りましたねぇ。これ以上の潔白の証明をするとなると、一筋縄ではいきませんし。どうしましょうかグレン君」
「いやいや、俺は別に知ったこっちゃないんだけど。この手の奴はいくら潔白の証拠出しても邪推して認めようとはしない。なら相手にしないのが一番だ。挑発に乗ってリスクを冒すなんてばかばかしい。俺に手を出せばつまみ出されるのはそっちだもん。俺は何もする必要なーし」
こやつの言う通り此処で強行に出れば俺の方が悪人だ。そして、決闘を受ける気は更々無いという姿勢を崩さない。やはり汚いなゴブリンめ。この場を利用して優位に立とうとは。
「あ、丁度いい」
パン、と両手を合わせた聖騎士の男が、にこやかに俺達に提案を持ち掛ける。
「実は私が此処に来たのは、冒険者の方々に依頼があったというのも含めてなんですよ。ですからほら、他の騎士達とは別行動を取ってるでしょう?」
「依頼、だと? 騎士達を差し置いてか?」
「はい。私単独で来たのは人手が足りない、というのもありましてね。此処でも協力を仰ごうと考えていたのです。正直な所私は戦闘に向いていません。護衛が欲しかったんですよ」
むう。聖騎士とあろう者が、猫の手も借りたがるとは。以外に頼りがいのない。
「冒険者は依頼を最後までこなせるかで信頼に繋がります。ゴブリンであるグレン君がそういった冒険者であるかを試すのに、私からの依頼を二人で受けてみませんか?」
「そう、だな。よかろう。だが内容と報酬によるぞ」
「森に用事がありまして、道中の護衛をお願いしたい。大きな魔物の出ない森ですから危険度は低いです。相場よりも色をつけますよ」
「待て待て勝手に話を進めるな。俺は受けるとは言っていないぞ。俺に何かメリットあるか? 報酬もよほどの額でもなけりゃあ受けなくても平気なくらいは持ち合わせがあるしな」
聖騎士の銀眼鏡が、不意に怪しく光ったように見えた。
「グレン君、視点を変えては如何でしょう? 仮にこの場をやり過ごしたとして、彼の堅い信念からして今後も君にしつこくつきまとい、君が承諾するまで挑もうとするだけだと思いますよ? そうなれば君の行く先々でも相当な支障があるのでは? すなわちデメリットを回避する事もメリットになるかと」
「それもうストーカーじゃん」
「それとですが、君の立場を守っている私が困っているのに君が何もしないのは、ギブアンドテイクとは言えません。一方的にそちらだけに益を与えるだけには行かないんですよ。具体的な意味、分かりますよね?」
「お、脅しかよ騎士のやることじゃねぇ!」
「いいえ、お互いの協力が大切であると言いたいだけです」
苦虫を噛み潰す様な顔のゴブリンと、ニコニコと微笑んでいる騎士のハウゼン。だがゴブリンはことのほか早く折れた。俺達は早速、依頼の詳細の話に移行した。




