俺の報奨、遠慮時々血反吐
何事も無かった風体を装い、俺は酒樽の倉庫に戻った。しばらくして騎士レイシアが部屋に帰ってきたので、しらばっくれた様子で俺は尋ねた。
「その勇者様はお帰りになったので?」
「城下町に少しの間滞在するそうだ。下手に街に降りるなよ、鉢合わせになる危険性がある」
「へいへい。それまでどうするんだ?」
「寄宿舎は生憎埋まっているからな、その近くの馬小屋にでも泊まっていけ」
「うん。うん?」
今相当酷い事をさらりと言ってのけたなおい。俺を何だと、ああゴブリンだったねぇ!
「実際に目にすると良い。良い機会だろう。お前の所業で貴重な馬が使い物にならなくなったんだ、その間はお前が面倒看たらどうだ?」
あ、制裁の意味を兼ねて、か。でも俺は人並み以上に鼻が効くというのに、そんな所居られる訳無いだろう。
「それが嫌なら貴様、訓練所近くで野宿でもするか? 雨風凌げる納屋とどっちが良いのか好きにしろ」
「じゃあ野宿で」
「そうだろうそうだろう。普通はどんな場所でも部屋がある方が……」
腕を組んで一度満足そうにうんうんと頷く女騎士が固まる。
「外で寝るというのか貴様!? わざわざ城や街にいてそんな選択する必要無いだろう。良いでは無いか馬小屋! 放牧を営む人間も普通に利用しているのだぞ」
「いや、良いよ野宿で。いつも通りだし。土地だけ借りるわ」
「ちょ、ちょっと待て。貴様もしや普段からそうしているのか?」
「何だよ、悪いかよ?」
「宿なら街中に幾らでもあるだろ?! 何で利用しない!? この前のロックリザードを討伐した時の金はどうした!?」
「金の問題じゃねぇもん」
「何が問題だと言うのか!」
「俺が行っても決まって本日は満員です、を貰うんだよ。どの宿でもな」
「貴様、それはつまり」
そう、街に来た当初は何店かの宿屋に来店し宿泊しようかと試みた。だが答えは決まって部屋は空いていないの一点張り。すぐに街中で俺はブラックリスト入りになっているのが分かった。
店が客を選り好みするなんて! という論理も此処では通用しない。サービス業という概念でも立場が低いのは現代の日本くらいだ。本当ならニコニコしながら親切を受ける為にチップがいる。
「けど、もう慣れちまったよ。自分でも思ってた以上に恵まれちゃいないもんだ。ゴブリンっていうのは」
「相当に運が悪いという事か。そこまで人の集まるような店でもない筈だ」
「ちっげーよ! 本当に満員な訳あるか!」
「なっ!? どういうことだ。何故宿の店主は嘘を吐く?」
大喜利したが相手に意味が伝わらず、仕方なしに逐一説明しないとならないような気分になった。アホか、コイツ。いやアホだコイツ。アホなんだコイツ。
「遠まわしながら丁重にお断りしてるんだろ。そりゃそうだ、こんな緑の気色悪い身体でベッドに寝泊まりされるのは店側としても嫌だと思うさ。俺が逆ならそう思う」
これでも毎日身体を洗ってるんだけどな! わざわざ石鹸も買って! 並居る冒険者達よりも清潔なつもりだ。
ようやく今更の話で、俺の言ってる事の意味を理解したらしい。俺が城下町でも不当に差別を受けている状況に、その仕打ちに。レイシアの顔が強張ってそれはそれは恐ろしい物になった。
「……店主に尋ねて来る」
「やめとけよ。俺が来店したって証拠も無いんだ、幾らでも惚けられる。そもそも、今街に勇者がいるのに騒ぎを起こしてどうすんだよ。それこそバレるぞ。ていうか、本来だったら店側は世間体でも大顰蹙になるが、俺が俺だ。お前が介入して余計あっちが被害者に思われるのが関の山さ」
ありがた迷惑、というやつだな。こじれた間柄に、みんな仲良くしましょうと上から言われれば余計こじれるのが目に見える。
「何故そうも他人事なのだ。貴様の事だぞ」
「私事だからこそだよ。お前だって最初は問答無用で俺を殺す気満々だったろ?」
喉を突かれるように、レイシアの勢いが詰まる。これ以上話の裾を広げたって良いことなんて無い。
「ハッ!? 私が言った寄宿舎が満員の話は嘘じゃないぞ!?」
「分かってるつーの。そんな事より城に勇者がいないなら、お姫さんの所行ったって問題ないよな。何処にいるんだ?」
「ああ、連れて行く話だった。来い、貴様一人で城内をうろつかれては誤解が生じかねん」
さっき実はうろついてたんですけどね、なんてのは口には出さず少し大人しくなった女騎士の後に俺は続いた。
城内でもやはり俺の姿は浮いていた。くっころ騎士同伴により余計ないさかいは免れているが、衛兵や給仕の者からの視線は街の住民達と同様グレンという存在を異質あるいは歪な物として俺に向けている。
何度か石階段を登ってアルデバラン城の上層階の回廊で、俺達は個室らしき扉の前に着いた。王女の部屋みたいだ。
レイシアがそこにノックをしようとした所で、中からの話し声にその手が止まった。
「どうか貴女様のお立場をお考えください! 何故あのような得体の知れぬ輩などに入れ込むのですか。こんな事が知れたら他国に示しがつきませんぞ!」
「彼もまた立派な亜人という地位のある御方です。神は我々人間だけにご加護をお与えになるのではありません。功績には報奨を、罪には罰を、それが信仰の理。にも拘らず、体裁を気にして有耶無耶にしようとはそれこそ神への不敬にあたりますわ」
「しかし、あのような卑しきゴブリン如きに国の資産を分け与えようなどとは」
「でしたらわたくしをまず貴方の言うゴブリン如きに命を救われた卑しき姫と罵りなさい。謗りなさい。そして公表致しましょう、この国の要がそのような不祥事を起こしてしまったという事を」
「お、お待ちください! 私にそのような意図は……」
「下がりなさいペンドラゴン卿。貴方の神を敬う気持ちに揺るぎがない事はわたくしも存じております。しかし、それが人間にのみ許された行いであるという思い込みはただの思い上がりでしかありませんわ」
「…………失礼致します。またの機会に」
そんな会話を皮切りに出てきたのは、かつて俺をこの王国へ連行しレベルを初期に戻して処罰をしようとした騎士の姿だった。俺と鉢合わせになり、髭を蓄えたその表情に憎悪に似た黒い感情を作る。
何も言わぬままその場を立ち去り、その背を見ていると扉から先程より柔らかい少女の声が呼びかかる。
「お二人とも、お入りになって」
言われるままに従い待っていたのは、外に赴いている時以上に豪華絢爛で瀟洒な純白のドレスを着たティエラだった。青い髪と仰せて優雅な雲と空を一人で体現するようだ。
彼女は応接用のソファにまで招き入れる。いや、そんなゴージャスな物にゴブリンなんかが座って良いのかな。
「御掛けになってくださいグレン様」
「ええっと……」
「構いません。わたくしが許します。普段通りに。レイシア、お茶を」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
「先程のペンドラゴンとの会話、恐らくお聞きになられていたでしょう。非礼をお詫びいたしますわ」
「姫様! それはいけません!」
ティーカップの準備をしていたレイシアが音を立ててまで横入りした。そういえば王族は一度非を認めるとその先の国政で不利に立たせる為、簡単には謝罪しないという話を聞いたことがある。確かにそれじゃあ俺が調子に乗っちゃうじゃないか。後が怖いからやらないけど。
「気にしちゃいないから大丈夫。前からあのおっさんには嫌われているから尚更だ」
「彼は神エルマレフの教えを捻じ曲げている部分があります。神を信ずる者は人にあり。人で無い者は神を知らぬ、と。純粋である分その意思は尚も堅固な物に」
「正直俺も、こんな十字架を持っちゃいるが」
懐にあるクロスを取り出し、精巧に彫り込まれたデザインを一瞥する。
「信仰してるだけで修道院の連中みたいに、主を愛してるという訳でも無いんだよな」
「うふふ。やはり不思議な御方ですわねグレン様は。それは強い信仰心が無くては持つ事が出来ず、触れる資格を得るまでに多くの人が到達出来ない筈なのに、それを手にしていながら神に御心を委ねないとは」
「いぇーい」
同じようにティエラは聖騎士長印の十字架を胸元から取り出した。おそろい、とばかりに。
「さて、本題に参りましょう。先日誘拐されたわたくしこと王女ティエラ・モロイ・アルデバランの救出の報奨の件を取り決めたいのですが、グレン様はどのような形をお望みでしょうか? やはり金銭を授与するのでしたらディル白金貨5万枚程度で満足なされますか?」
「白金貨を5万枚ねぇ、てことは5千万ディルかぁ。ずずず」
とカップに注がれた紅茶に一口入れた所から吹き出しそうになる。
レイシアもまた、ソーサーを取り落として割りそうになった。
「ご、ごご5千万ディルぅ!?」
「正気ですか!?」
日本円のレートでは五億円ぐらいの額。そうと聞くと宝くじ一等レベルだが、さらにこの世界の金融状態では一世帯で数百億円ぐらいの金額を持つぐらいのレベルなだけに仰天する。
「不味いってそんなにもらっちゃあ。俺小市民気質だし、盗賊をやっつけて助けたぐらいでそんな国の財産の大半受け取るなんて逆に苦しくなる。そもそもそんな金貨の数、いちおう冒険者の俺にゃ持ち運びするのは厳しいって」
「そう、ですか」
この世界でも存在する銀行に預けるという手もあるだろうが、やっぱり前述通りそこまでは頂けない。
「その百分の一で良い。千分の一でも。土地にするってのもありかと思ったが、定住するかもまだ決めてないしな。それで十分」
「そこまでおっしゃるのであれば、分かりました。その分をお帰りの際に御用意いたしましょう。代わりにグレン様にもしもの事があれば謹んでバックアップする事も視野にお入れしますわ。では50万ディル相当、白金貨500枚で」
おおうそんな額に加えて、支援者ってやつか。良い関係を結べそうだ。
「それと、レイシアから伺っているとは思いますが、現在グレン様は数日の間城に匿う形となっております。窮屈な思いをなさっているとは思いますが、何かあればレイシアにお申し付けください。宿は使えないと思いますがご宿泊先は決まっていますか?」
「そりゃあ勿論。ご心配なく」
もし外です、なんて口走ったらまた面倒な事になりそうだ。こんないい場所で寝泊まりしたら、色々問題があったり俺自身の生活の惨めさをより噛みしめさせられる。
ふぅ、と互いの用件が円満に終わった所で王女は息をつく。それはプライベートな会話への合図だと俺は察した。外で会って話をする時のそれだ。
「此処からは個人的な愚痴になるのですが」
「どうぞどうぞ」
「グレン様は勇者をご存知ですか?」
「そういった世情にはどうも疎くて、勇者という存在は今日聞いたばかりでね。レイシアが言うには色事が好きだとか」
「あの勇者殿には少々困っております。事あるごとにわたくしを愛人にかどわせようとお声掛けをなさってうんざりですわっ」
憤慨した様子でお姫さんの顔がぷりぷりしていた。やっぱり素の彼女の方が魅力的だ。こりゃ勇者も手を出したがる。
「ですから病を建前に面会を遮断しているのですが、面が厚くて平然とわたくしに迫る為にわざわざ何かを理由に訪れる始末ですのよ? 今回もわざわざ来訪した目的もそれですわ! しかもそこのレイシアにも手を出そうとしています! もう見境無し! 何なんですのあの男は!」
わなわなと思い出すように女王は悪態を吐く。我慢していた思いの丈も存分に。
そして吐き出したのは言葉だけじゃなかった。何と突然血を口から噴き出したのだ。
「ゲフォ!」
「ぬぉ?!」
「姫様ァ!?」
目を剥いた俺と声を裏返して駆け寄るレイシア。ティエラは咳き込みながら手で制する。それからその手を自分の胸に当てた。
「だい、だいじょぶ。ぢょっど興奮じで発作が出だだげでずわ」
病弱なのって本当だったのかよ。外出てるけど平気なのかよこのお姫様。
彼女の手の甲から、翡翠色の淡い光が発せられた。何度か見たことがある。治癒する魔法だ。自然を司る五属性とはまた違った属性の魔法。
「お騒がせしましたわね。持病を患っているのですが自分で症状を抑えられるのでご心配無く。いつものこゴボォ!」
「姫様ァ!」
いやいきなり血反吐を吐いてビビらない人いないよ。しかもそれをセルフ治療してる人とか初めて見たよ。
お姫さんの体調を考慮し、その日はお開きとなった。




