俺の来店、完全感覚クレーマー
自分の足でアバレスタにまで戻るのにそれから丸二日がかかった。
まず街では足りなくなった食糧や水などを買い秘跡を済ます。経験値を無駄にする気分はとてもよろしくなかったので心機一転。
だが金については良い感じで懐が潤った。当分依頼で食いぶち稼ぎに焦る事は無いだろう。
ここ最近ロクな食事が出来なかった事を考え、たまには贅沢をしてもいいだろうと自分にご褒美をすることにした。
外食である。依頼斡旋所の酒場には、当然食事が出来る所がある。冒険者のような根無し草の人間にとって、普段ロクな食事が出来ない分この上なく必要な所だ。
街の規模に応じて物資の輸入が盛んになる。つまり色々な食材が出回っている分、いろんな飯にありつけるという事だ。
という訳で、実は前から気になっていた注文をする為に俺は酒場に入る。
何せ特に人の目につく街の出入り口付近に設けたそこに、大きな看板で『誰でもウェルカム!』な謳い文句があれば余所者にとっても嬉しい限りだろう。俺もその一人だからな。
適当な席に座り、天井近くに立て掛けてあるメニューをぐるりと一瞥した。今回は値段を乗せる天秤を振り切らせる感覚だ。
給仕の女の人に手を挙げる。振り向いた時にゴブリンを見てほんの一瞬立ち止まりそうな素振りを見せるも、すぐに平静を装って俺の元で注文を受ける。プロだ。
「ベーコンとポテトのチーズ焼き。それとシチューで、パンもよろしくパン」
携帯向きのパンは酷く堅くてパサパサしていたが、こういう所でのパンだったらいける筈。
そわそわと貧乏ゆすりをしている俺は、二重の意味で周囲に目を惹いたがそんな事は構わなかった。それどころではなかった。
待つこと十分程度、給仕の人が湯気が立った物をトレイに載せて運んでくる。お……きたきた来ましたよ。
「おまちどうさまぁ。酒は?」
「いらん」
そんなことより俺の視線はその料理に注がれた。外ではこんな温かい物を食う事が出来ないんだ。わきわきと手をこまねいた後、並べられたフォークとナイフを手に取る。
いざ、と構えた時に俺の目の前に影が覆う。
「元気そうじゃのう」
そう言ってごく自然にあたかも当たり前のように、影は相席に座った。
「今日には着くと思い、やはり此処かと思って入って正解じゃった」
「食いながらでも良い?」
赤髪に漢服を羽織った女性、リューヒィが少し困った表情をしながら頷いた。
「何で俺がこの街に戻るって分かった訳?」
「冒険者とは、未知の旅に赴くためには相応の準備が必要じゃろう? 数日の依頼を終えたばかりで、余所の街へは行かぬと推察は出来る」
木のスプーンで同じ材質の器に入ったシチューを口に入れながら、俺は彼女の推理に耳を傾ける。
「そしておぬし等のような冒険者は、ちょっとした金が入った時ほど普段では注文しない食事にありつけようとするんじゃ。戻ればまず依頼の受託を問わず酒場に向かうと簡単に想像出来る」
「ご明察の通りで」
「しかし、のう」
と、リューヒィは注文をすることなく俺の料理を見降ろして言う。
「もっと豪勢にやればよかろう。おぬし普段どれほど細い食事をしておるんじゃ? これで贅沢なのか? 酒をじゃぶじゃぶ頼まんか、酒を」
「いいんだよこんなので。一時の衝動で湯水みたいに使ってたまるか。てか酒はアンタが好きなだけだろ」
「否定はせん。此処の酒も悪くないからのう」
昼間から酔いつぶれてたまるか。見知らぬ人に介抱されるかどうかどころか荷物持ってかれるわ。
「それでアンタが俺が此処にいるのを見越したのは分かった。で、何の為?」
確かに、彼女は俺が今回依頼をするにあたって間接的に仲介した立場の人間だ。俺が稼げたのもリューヒィのおかげ。
だが、それに対して手数料を払うという取引はしていない。確かその依頼情報は酒の奢りの礼として貰ったのだ。今更それで金をくれというのは図々しいにも程がある。
「うむ。儂はやはり依頼の件にて話があって此処に来たが、そう警戒するでない。ぬしの文字通り命懸けで手に入れた報酬のおこぼれを与ろうとしたりはせんよ」
「命懸けって言うからには、もう知ってるんだな?」
俺がドラゴンと遭遇し、闘った事も。
どうやって此処に辿り付く俺より早く知っているのかはこの際何でもいい。俺は解釈を変えれば、この女に死地へと送られたような物だったのだ。
「あれでは、儂が意図的におぬしを嵌めようとしていると思われても仕方ない。だがその場のおぬしたちも思ったように、儂自身も想定外の事じゃった。すまぬ」
そうしてかんざしの差した頭を垂れる。俺への謝罪だ。その一連の優雅さすら感じる動きに、思わず食事の手を止める。
「悪意はハナから無いと分かってたし、別に構わねぇよ。だが、まさかその為にわざわざ俺の所に来たのか?」
「わざわざ、と言える事ではあるまい。交渉の場ではそういった取り違いはあってはならぬのでな。当然、足を運ぶ必要はあるんじゃよ」
「律儀だなぁ」
俺自身結果的に言えば多額の金が入り、万々歳で尚且つ色々な収穫もあったので謝らなくても構わなかったのだが。彼女の交渉柄、欠かしてはならないのだろう。
「それと、じゃが」
俺と向き合ったリューヒィと目が合う。彼女の真紅の宝石のような煌めきのある瞳に魅入られそうになった。
「おぬしはそのドラゴンの姿を憶えておるかのう?」
「ああ、有翼無脚種で体表に岩がついていた」
「そやつの頭部に、角はあったか?」
「角?」
「うむ。一角や後頭部に鹿のような角。どちらかでもあったかの?」
俺は視線を左斜め上にして、記憶を遡る。岩竜の頭部にはそうと言えるような物は存在していなかったと思う。何度も顔に近付いていたから、見誤りは無い。
「無かった。それが何か重要なのか?」
「でなければ聞かぬじゃろう? おぬしも知ってる筈」
「は? 角があるか無いかで分かるのは、そのドラゴンの格差ぐらいだろ。人と猿の区別みたいに--」
知っていてはおかしい情報を口走る俺自身に、息を止める。
「その通りじゃ。きちんと馴染んでおるようで安心したわい」
以前この女と会話をした時にされた事が不意に蘇る。あの額に指を当てた時だ。あれが、原因だ。
よく考えてみればおかしかった。岩竜の弱点を、俺は遭遇した時点で知っていた。魔法耐性がある事も! その種類も!
「俺に何をした」
「落ち着け。周りに迷惑じゃ」
腰を浮かした俺に、リューヒィは物静かになだめる。付近にいる人々に見られている事を自覚し、俺は席に戻る。
「害は無い。簡単な話じゃ、知識を授けただけじゃのう」
「知識だ?」
「そう。この世界の大半の魔物や様々な情報が、今おぬしの中に入っておる。さながら歩く図書の棚ぐらいには」
「そんなに知識があれば、色々頭に浮かんでくると思うが」
「出遭ってもなくすぐに浮かびはせんよ。おぬしはその竜を見て、その知識を認識が出来たようにのう」
この女は一体何者だ? 敵だったら、こんな事はしない。
俺が何かを言おうと口を開いた時、別の物に邪魔をされた。
「ふざけてるのこの店は!」
普段通り騒々しい店内が、しんと静まり返る。しかも何事も無かったようには戻らなかった。
騒動は別の席にいる給仕と客と思わしき人物からだった。どちらも女性だ。
客側は一目でその正体が分かる。金髪に笹みたいな形の耳。そして相当に整った顔のエルフ。長寿故に年齢は分からないが外見は少女だ。
料理に夢中であんな容姿をした人物に気付かなかった俺も相当な間抜けだ。
「こんな物で金を取ろうっていうのね! いいえもはや詐欺ね詐欺! これって豚の餌!? アンタ達こんな生ゴミみたいなの食ってるの!?」
そう言って、恐らく自分が頼んだのであろう料理に指をさし、エルフが詰め寄った。
「ちょっと作った人呼んで! アンタじゃ話にならない。いるんでしょ責任者!」
口論は大きくなるのが目に見えた。席を立つ客が何人かいるし、笑い声は無くなりざわめきが増える。
「特に何なのこのシチューは!? 発酵でもしてんじゃないの! しかも焦げた味がするわ! ど田舎だからって通用すると思ってんの! アンタ達それでも貴族の宴で振舞ったりする料理人なの!? それとも庶民にはこれくらいがお似合いって訳! 見なさいよこの肉の具材! 薄い切れ端じゃない!」
コックが言いたい放題になじられていた。俺も同じメニュー頼んでいる手前、自分の分に目を落とす。そんなに不味いか?
「エルフの故郷も、ど田舎じゃろ?」
と、遠目で同じく傍観している負けず劣らずの容姿をしたリューヒィが呟く。
「金を出すなんてゴメンだから! むしろこんなひどい物を食わせた事に金を払わせたいくらいよ!」
うわ、この世界にもいるんだ、クレーマーって。
容姿と言動の不一致があまりにもずれた彼女に、流石にその料理を担当していたと思われる店員が顔を真っ赤にする。
「ウチに出してる物にケチをつけるんだったら出てってくれ! そんなに嫌なら食うな! 誰だか知らないがそこまで言いがかりするんならこっちも出るところ出てやるからな!?」
「不味い物に不味いと言って何が悪いって言うの!? いいじゃない! ウチの勇者連れてきてやるわよ!」
勇者、という単語にざわめきが耳朶を打つレベルにまで上昇する。勇者ってこの世界にもいるんだなぁ。
「あ、アンタ……ここいらでいるとすれば……あの……」
「そうよ! 風の一行よ! 呼んでやるから憶えておきなさい!」
青くなった料理人に対し、クレーマーエルフは怒り肩で店から出て行く。凄い、堂々と食い逃げしていきやがった。
まぁ、大概のクレーマーにもタイプがある。要求が通るまで騒ぎ続けるのと、単純に己の許せないという感情を吐きたいだけ吐いて去るタイプの二つだ。恐らくあのエルフの場合、当人の落としどころとしては両方当てはまるだろう。
八つ当たりと思わしき言い掛かりによって鬱憤を晴らすのと、タダ飯が狙いだったのだ。何よりの証拠に、彼女の残した料理は、一口や二口では止めていない形跡がある。半分は食ってるな。途中まで普通に口にしていた辺り怪しい。
冷めつつあった料理の手を止めたまま、俺はリューヒィと向き直る。
「何だったんじゃ? アレ」
「さぁ」
俺達の話題は完全にあの少女に持っていかれた。




