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俺の真名、喪失のグレン

※視点が変わります

 彼の帰還を誰もが皆喜んでいた。世界の為に自ら命を賭し、そして見事に凱旋した事実は勇者や英雄という名を装飾する事に異論を挟む者はいない。

 緑の肌をした彼は、仲間や家族に囲まれて人のように顔をほころばせていた。


 しかしその優しい笑顔が、裂けた哄笑に挿げ替えられる。



 火の海が都市を覆っている。かつてアルデバランと呼ばれた国の最後であった。いくつもの死体の山が築き上げられ、生ける者の気配が無い。

 丘から地上にもたらされた地獄のようなその光景を見やり、緑の肌の彼は忍び笑いを漏らした。

 英雄として帰還した筈の彼が、突如として反旗を翻し、国を落とした。女子供も容赦せず、殺戮を繰り広げた。


「ど……し……」

 足元から、呻きが聞こえた。悲しむ声は草地に倒れた赤い髪の女性が発した物であった。

 彼はこしらえた大きな鋼の剣を竜姫の胸元に突き刺している。涙の筋を残し、口から血を垂らした。

「……どうし、て……グレ……」

「さぁ、ね!」


 引き抜かれた刀身が再度竜姫の身体を貫く。

 眼から光が消え失せ、彼を愛していた者の死に様を眺めて高笑う。


「ハハハ、ハハハハ! ハハハハハハ! --アハハアハハハハハ!」

 そうして、また一つの世界が終わった。これで幾つ目だろうか。


 ゴブリンに成り代わっていたボクは元に戻り、破滅させたその余韻を暗闇の中で反芻させる。

 いくらでもシミュレーターのようにあの世界を再現させることが出来るので、色んなシチュエーションを組み立ててゴブリンに関わる者を悲劇に見舞わせるシナリオを僕は追体験し続けた。


 たとえば、ゴブリンがもし処刑が決行されてしまって、怒り狂った竜の姫が人の国を滅ぼすお話。

 たとえば、ゴブリンが他者との関係を構築する前に民衆が認めずあらぬ疑いをでっち上げ、投獄されて惨めな生涯を経るお話。

 たとえば、ゴブリンに関わったことで様々悲劇が起こり、いつしか災厄として仲間達から糾弾されて討たれたお話。


 その世界では全てを滅茶苦茶にしてやった。台無しにしてやった。ボクを此処に陥れた報いを晴らした。

 何度彼は泣いただろう。何度苦しみの絶叫をあげただろう。例外なく、全てを悲劇に染め上げてやった。


 なんと胸がすいた事だろうか。繰り返していくごとにその怒りは、愉悦へと変わっていく事を実感した。

 ガフの部屋で流れる体感的には数百年は過ぎている。地上も相当年月が経っているに違いない。


 次第に此処の居心地も悪くないんじゃないか、そうボクは考えるようになってきた。誰にも邪魔されずに好きな世界を構築出来る。隔離したということは神々もボクには手が出せない。

 ゴブリンがあの世へ送った事実を認識すれば、ボクは意識を変えて更なる理想をガフの部屋の中で広げる事が出来るだろう。そこで果てなく管理者になり続けるのも一興。


 さて、そろそろ本人の様子でも見るとしよう。もう耐えられなくてとっくに消えているかな? それとも廃人のようになりながらも辛うじてその場に残っているのかな?

 どちらにせよ、ただの人間の精神ではとうに崩壊している。たかが一年だって気が触れてもおかしくないんだ。


 ボクは闇の繭を解いた。景色に白が広がった。ガフの部屋に戻ってくる。


 周囲を一巡したところ、ボクから離れた場所で背を向けて座り込んでいる緑の出来損ないを見つける。

「やぁ、戻ったよ。楽しい楽しい体感をしてスッキリしたところさ。君はどうだい? 大分放置してたけどどうだったぁ?」

 ゴブリンにとっては新鮮な会話という刺激をボクは親切にも送り込む。膨大な年月の間に誰とも会話が出来ず、摩耗した思考で理解が出来るかも危うい彼がきちんと返事をするのか期待だね。


 こちらの存在を認識した彼も、腰を上げて立ち上がる。

 その表情には孤独に幽閉されて久方ぶりのコミュニケーションであるというのに、さして大きな感動を含有していなかった。

「おー、気が済んだか。これで心置きなくやり合えるんだな? 長年の引きこもりご苦労さん」

「……え」

「ん? どうした、そっちから声を掛けてなに間抜けな面してんだ? そういうのをまさに鳩が豆鉄砲をくらったような顔、って言うんだぜ?」


 飄々と、ゴブリンは、何事も無かった様子でボクに軽口を叩いた。やせ我慢にも、見えなかった。

「なぁぶっちゃけ俺もどれくらい時間が経ったか分かんないんだが、そっちは何年やってたか数えた? 教えてくれよ」

「400年だ……。君は、それだけそこにいたというのにどうして」

「たった400年ん? おいおいおたくはその10倍生きてんだろ? 飽きが来るの早過ぎだろ。せめて倍は粘ってくれよ根性ねェなー」


 信じられない事を言ってのけた。まだ、受け足りないと言わん気なゴブリンの表情には気概の衰えた気配がない。たがが一介の転生者に、どうしてそんな精神を持ち合わせられるというのか。ボクの理解を越えている。

「答えろ、何故耐えられるんだ!? ボクですらそんな状況じゃ--」

「いや? 耐えてねぇよ? 数百年も何もしねぇでじっとしてるなんて無理に決まってんじゃんそんなの。3日で発狂するわ」

「は、はぁ? 何を言っている! 今まで君はガフの部屋に閉じ込められていた筈だ! どうやって乗り越えたんだぁ!?」

「ほんとに覚えてねぇんだな、お前」


 覚えていない? 何のことだ……? そんな一言と見下げたようなゴブリンの冷ややかな視線。ボクにも認知し得ない未知を内包している。

「まぁ仕方ないか。俺は自分ローグを一度自身と周囲からも記憶と痕跡を綺麗さっぱりと消しちまったからな。地上で俺のことを忘れたのはお前も例外じゃなかったわけだ」

「ろ、ローグ? 誰だ? 確か君の名は違った筈だ」

「ほらな。……ああ、そうかなるほどなるほど。それで俺がゴブリンになってから予言に関わり出してもノーマークだったのか。で、俺が勇者にならずとも反逆者を次々と倒していくのをまんまと見過ごしてしまったと。これで合点が行った」

「何だ! 何を言っているんだ!?」

 混乱の極致にあった。ボクはボクの知らない事が目の前にあると不安になる。そんな事があってはならない。


「しょうがない、まず名乗るか」

 こちらの理解の悪さに呆れるように肩を竦めたゴブリンは、一度瞑目した後にスッと目を開く。


「俺はグレン。喪失オブリビオンのグレン。お前にも忘れられたなりそこないの反逆者だよ」

「反逆、者。確かに先日君はそう名乗っていた」

「なんだよやっぱり盗み聞きしてやがったか。趣味悪いな」

「でもボクが君をきちんと認識したのは、安息(カタパウシス)のヘカクリフォが倒されたあの時だ。誰なんだ、君は!」

 送り出していた小人から事前に彼に関わる情報を取得していたが、心当たりなどなかった。忘れられたというが、こんな存在に干渉していた事をボクは知らない。堕落させた記憶なんて全く。


「覚えてねぇだろうが、俺はお前によって反逆者に堕とされた。そんで、こんな姿にされた。その時俺は願ったんだ、自分の汚名や過去、そしてせっかく与えられた反逆者としての力も全部要らないから消し去っちまえってな。だからか、憤怒イーラから喪失オブリビオンの真名に変質した」

 喪失オブリビオンのグレンは自らの手を胸に当てる。


「別に、そこまで大それた力じゃなかった。毒とか呪いとかを消すには便利だが、それくらいしか殆ど役に立ちやしねぇ能力さ。自分の中にある物を失くす、そして忘れ去る力。他人の記憶にも存在を消す事が出来たのはそのおかげだよ」

 彼を蝕んでいたヴァジャハの死の呪いも、ボクが散布した花粉の痺れも、そうやって体内から掻き消したという訳か。


「でも、ボクから君という存在を忘れさせたとして、それだけじゃ納得が出来ない。それ以外はゴブリンでしかない君にガフの部屋への放置が通用する手立てがあるとでも言うのか!?」

「察し悪いなぁお前」

「な、にィ?」

「記憶を消す、って言っただろ?」

 グレンはこめかみに指をあてる。それは二つの意味。己の脳みそについての強調と、こちらを頭足らずと指摘する意図があると思えた。


「この何も無いガフの部屋にいるのだとしても、一日くらいなら俺だって我慢出来るわ。いや、誰だって丸一日くらいじっとしてるだけだったら問題ないだろ。実際俺の中じゃまだお前が閉じこもってから数時間しか経っていないようにか感じてねぇんだから」

 コイツ、400年を数時間にしか思っていない、だと?

 けれども、このゴブリンの言わんとしている事はボクにもようやく伝わった。


「毎日毎日、この部屋にいる体感をその能力で消していたのか……!」

「そう言う事だ。殆ど体内時計感覚だが一日経って変化が無かったら、その時間を忘れて心機一転して繰り返せば精神に負担なんかありゃしない。生理現象も起きねぇし、結構楽だったよ」


 悪戯に苦しめるつもりが、苦労したのは……ボクだった? コイツを破滅させるネタが枯れるまでやっていたのに、その負担をロクに受けていなかった事実に歯噛みする。

「なぁ、永遠なんて無理だろ。偽物の世界じゃ限界がいずれ訪れる。でなけりゃお前は繭の中から出る必要なんざ無いんだ。趣向を変えなきゃいけなかったんだよお前も」

 徐々に自覚しつつあった。あの中では、飽きが出始めた。だから今度はコイツを倒した後に視野を広げようと思っていた。



「あとはお前がいい加減自分の世界に飽きるのを待つだけ。……ま、お前がそう仕掛けて来た時点で地上の奴等ともう会えないって事実は変わらんけどな」

「は、ハハ、そうだよ!」

 まだだ。まだボクには彼を苦しめる手札が残っている。ボクだってただこのゴブリンを体感で押し潰す為だけに闇の繭に閉じこもっていたわけではない。


「知ってるかい? ボクがあの中にいる間に作った世界でどんなことを追体験していたのか、君達の世界を模倣してどんなことをしたのかを」

「いや、興味ない」

「まぁ聞きなよ。君にとって大切な人がどれほど苦しめさせたと思う? それはもう数えきれないほど仲間達を悲劇に見舞わせたんだ、ボクがこの手で小鳥を握りつぶすように」

 彼の最愛の女性を手に掛けた感覚がまだ残っている。今に知らしめた時の彼の顔が目に浮かぶようだった。


「長くなるだろうし良いって。底意地の悪いお前のことだ。大方どんなものか予想はつく」

「へぇ、なら話が早いや! 悔しいよねぇ? 何もする事なくそうしていた間に、最っ高の一時を味わったよぉ。ガフの部屋では君が無力感で、ボクは全能感を味わった。それが事実だ」

「まるで自分に言い聞かせるみたいな言い草だな。まぁ仮にそうだったとしてだ」

「もっと悔しがれよ! ボクはもう、君には取り返せない程の--」

「お前が作った世界の出来事が何か俺と関係あるのか?」


 ただでさえ時間という概念が歪んだガフの部屋で、時間が止まる錯覚を覚える。

 関係があるのかだって? 別の世界で同じゴブリンを徹底的に貶めたというのに、まるで他人事だと言い切るのか?


「君の思い出を、汚したんだぞ……!」

「お前が酷い絵面として描いたキャンパスは、実際の風景に何ら支障をきたしてねぇだろ? 此処にお前がいる事、それ自体が俺にとって喜ばしい事なんだぜ? 幾らお前が手前テメェで作った藁人形をグシャグシャにして勝ち誇ろうが、俺の思い出は汚れねぇ」


 みすぼらしい怪物な見た目の癖に、晴れやかに言い切った。

現世あっちがもうとんでもない年月が過ぎてるなら、アイツらがお前に一生関わることなく過ごす事が出来たのなら、その時点で俺の勝ちなんだわ。ありがとよ、そっちの方から時間稼ぎをしてくれて。これで安心して心置きなくお前といられるわ」

「……ボ、ボクが、まんまと出し抜かれた……?」

「仕返した気になってるだけなんだよ、残念でした」

「クソ、ガキ、がァ……ッ!」

「おいおい見た目はお前の方が幼いんだぜ? ボウズ」

 頭に血が昇るのを、ボクは感じていく。コイツの心を折るには、こんな回りくどいやり方じゃダメだった。


 精神的優位は彼に分があるところは否めない。このペテン師ゴブリンは、あの手この手でするするとやり過ごしてしまう。


 殺そう。何度でも。何通りも思いついた惨たらしい死体を作り上げる想像をしながら、ボクは遂に本体であるこの身体を完全なる異形へと変える決心をした。

 百万の小人ミリオ・マリオはいわば逃げの技。直接戦闘には向いていない。

 ならば、本体ごと分裂が出来なくなろうと堕落して魔物化した方が奴を叩ける。そう、判断したのだ。

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