俺の約束、開かれた黒穴
未知のネモ。始まりの反逆者にして、この世界に魔物や亜人という概念をもたらして世界を歪ませた張本人。
俺も奴と関わった事でゴブリンに成り下がった。自業自得な面も多いが、陥れられた事実は変わらない。因縁のある敵だ。
「エル。ボクは争いが嫌いなんだ。いくら世の中の管理に当てはまらないからといって強引に消そうだなんてどうかしてるよ」
「勝手なことを。貴方の行いは到底容認されるようなものではないのは明白でしょうに」
「見解の相違だね」彼はコミュニケーションをし始めた。
以前であれば、一方的に言葉を押し付けていた。今はエルの言い分をくみ取っている。まさかコイツ、俺達には話す価値が無いと見なしていやがったのか。舐めやがって。
「世界を変える事なんてさほど異常な事とは言えないじゃないか。かつて火薬、電気、核といったものを発明し発展していったのが現代なんだ。僕もそれと同じことをしているだけだよ。ただ、幻想に過ぎなかった想像上の生物を現実に起こしたい。そう思う事は罪なのかい? 可能性があれば追求する、それが人の性というものでしょ」
「創造主気取りもほどほどにしなさい。その未知への好奇心は保つべき秩序を大いに乱している。それを分かっているから、別の反逆者を作って片棒を担がせているのでしょう?」
「それだって立派な挑戦というものではないのかい?」
黒真珠のような光を吸い込んでしまいそうな瞳が、エルマレフを見やる。
「保つべき秩序? そんなのそちらの勝手な都合のエゴだ。生き物が、その世界にある物が決まった形であるべきだなんていつ彼等がそう望んだのかい? 環境で進化する物もいれば、別種と共生関係に特化していく生物は受け入れられておきながら、新たな魔物を意図的に作り出す事だけ咎められるなんて不平等だ」
「では貴方の行う改変はその生き物達が望んだ故に行っているのですか? 他の転生者を反逆者にする事も? ただの詭弁を並べて、正当化するのなら無意味です」
「やれやれ。やはり、話は平行線か」
微かに首を振ってネモは分裂しようとする挙動を見せた。既に新たな小人のストックは復元したのだろう。
だが、今はまだ各地に散らずにまとまっている。
「イタチごっこを存分に続けさせてもらうよ--百万の小人--」
「させません!」
そして、エルマレフが遂に用意していた大仕掛けを発動した。
彼の背後の遥か頭上にそれは現れる。最初は小さな黒点がその場に穿たれ、拡大した。奥先には何も見えない深淵がある。
「な--」
彼だけが重力から解放され、徐々に引っ張られていく。しがみつく物もなく、抵抗を見せる彼の手足は空をきる。
「何をする気だ!? ボクを、ボクはどうなる!?」
「この地上とお別れする時が来たのですよ。去りなさいネモ!」
「い、嫌だ……」
少年は狼狽し始めた。頭を強く振り拒絶を示す。しかし、無情にも黒穴は彼を引き込み続ける。今小人化すれば、恐らくあっという間に中へ収まるだろう。
離れている俺にもその影響があった。身体が引っ張られそうになる。反逆者にのみ、強い引力が働いているのだろう。
「嫌だ、嫌だ嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァ! 嫌だァああああああああああああうわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
子供のように、喚き散らすネモ。無垢な顔つきを醜く崩して、生に執着する。
だが、ガフの部屋への入り口を不意を突いた絶妙なタイミングで開いたおかげで、逃げられることなく奴を捉える事が出来た。確実に決まった。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおお!」
が、ネモは新たな手を打った。
突如として地面から木の根が飛び出す。そして彼の背に連結して滞空するネモを繋ぎ止める。
そのまま引っ張られていくと、根が芋づる式に地面を隆起させた。どんどん大樹の根っこが掘り起こされていく。周辺の大地に亀裂が走り、地鳴りが起きた。
ネモの牽引に呼応して、顔を出したのは膨大な根の巣であった。こんなもの、いつから埋まっていた。
冷や汗をかきながら、少年は少し有利を取り戻したように笑い始める。
「……ハハ! 姿を現す前に小人を地面に潜ませていたんだよ! 索敵されれば終わっていたけれど念の為にね!」
「ネモ、貴方は何をしたんですか?!」
「地中の小人を植物に変えたのさ! ボクは動物よりこっちの変化の方が十八番でね! 大いに根を張らせてもらったよ! そう、そこの城の地下深くにまで伸ばしてある!」
「まさか……!」
「気付いたァ? このままボクを引っ張り続ければ、根は更に盛り上がり、ここら一帯の大地を滅茶苦茶にするんだよ! もう分かるよね良いのかい大勢の人を巻き添えにするんだよそれでもボクをこの穴に吸い込むのかぁああい!?」
最後の抵抗か。このままでは城まで被害が広がり倒壊する。被害が大きくなることは目に見えていた。
「だったら、お前を根から切り離せば良い話だろ!」
「お願いします! 私は部屋の入り口を維持するだけで精一杯! 皆さんが頼りです!」
総員してネモの方へと襲い掛かろうとする。しかし彼も反撃を仕掛けて来た。
空に伸びた根の至る所から、紅い花が咲いた。そして各所からガスの噴射みたいに不吉な鱗粉が噴霧される。眼下にいる俺達はモロに浴びせられた。
「身体が……!」
「動か、ぬッ!」
痺れが全身を拘束し、皆をその場に跪かせた。竜人のアディでさえ手も足も出なかった。
「さぁエル! これでボクを解放しないと人々が死ぬんだ! どうするんだい!? 止めずに見捨てるかぁい!?」
「この……どこまで非道な事を!」
「アハハ! 出来ないよねぇ君は優しい優しい子だもんねぇ! 早く解きなよォ」
作戦に陰りが見えつつあった。運命の時は訪れる。
「アハ、アハハハハハハ! アハハアハハハアハハハハハハ--がふぉっ」
「水衝・崩拳!」
既に宙にいたネモの端麗な顔に俺は鎮静を含んだ拳を打った。麻痺の影響などなく、引力を逆手に一気に近づいた末の不意打ち。
「雷光斧!」
次いで、雷属性の付与を施したハチェットを振るい、背中に接合された根を絶つ。彼は再び黒穴に引き寄せられ始めた。大地の隆起も、たちまち沈黙する。
「お前、何で動け--」
「コイツでェ」
問いに答えるつもりもなく、俺はその手に炎を纏う。象形付与、朧火乃鉤爪。
「大人しく入りやがれェえええええ!」
動くことすらままならぬネモの胴元に紅蓮の炎爪を押し付けた。そのまま白百合の少年を突き出し、どんどん伸びて目的の場所にまで押し込んでいく。
「あ、あ、ぁぁあああああああああああ--」
そうして、黒穴に彼は呑み込まれた。核となる小人はもういない。確実に本体をガフの部屋に閉じ込められた。
その代償に、俺も既に引力に逆らえない圏域にまで至っている。ましてや空中だ。踏ん張りようもない。
炎爪を地面にまで伸ばし、しがみつこうとしたがすぐにめくれ上がる。地質が柔らかい。だからこんなに根っこが地面の中に入る訳だ。
エルマレフはガフへの入り口を閉じようと必死になっているが、あの様子だと恐らく間に合わない。
引き込まれる。そう悟りながら、眼下で未だ動けずにいるアディと目が合う。ゆっくりと距離が離されていく。
「そんな、グレ……ン」
「悪いアディ、駄目みたいだわ」
「い、嫌じゃ! おぬしを、一人には!」
空を飛んで助け出そうともがくも、まだ満足に立つ事も出来ない。
「なら、炎の手で儂をつかめ! 儂もそっちに--」
俺は頷かない。道連れなんて出来る訳がない。
「……い、言ったであろう、儂は地獄にだって付き添うと! 行かんでくれ!」
「パパ!? 嘘、パパァ! 行っちゃやだぁあああ!」
騒ぎから外に出たのか、少し離れた場所で駆け付けようとする小さな人影が見える。
幼き少女は、俺が天に向かうのを止めようと両手を必死に振って呼び続ける。
「お願い! 行かないで! トリシャと約束した! 置いて行かないって言ったのにィ! いやぁああああああ!」
家族が泣き叫んでいた。でもこうなってはどうしようもない。
大切に思うこと。それだけでは大切にするということにはならない。
かつては保身だった。しかし今回は身をなげうってでも奴の脅威から守りたかった。
「トリシャ、アディ。聞いてくれ」
代わりに俺も応える。
「あの約束は守るよ、ちょっと奴とあっちで決着をつける必要がありそうだ。なぁに心配すんな。ちゃんと帰るからよ」
前のように置いていなくなったりしようとはしない。ただ、少し留守にするだけだ。
「ガフの部屋の時間は曖昧だ。でも、必ず会いに戻るから。だから、そんな顔するな」
泣かないでくれ。ぐいぐいと、俺は生きたままあの世へと送られながら宣言した。
「行ってくる。俺がいない間も、元気でやってろよ」
泣き崩れる二人。しかしアルマンディーダは声高に俺に想いを届けた。
「待ち、続けるぞ! 何年過ぎようと! 何十年経とうと! 儂は--」
音が、視界が後ろから消えた。




